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コンビニの安楽死

世界には得意と不得意が存在する
楽器を弾くことでも、勉強することでも、他人と関わることでも、
得意な人と不得意な人がいる
それと同じように生きることにも得意不得意がある

私はきっと、生きるのが下手な側の人間で、自覚もしている
自覚できるレベルにも達しているので他人から見たら自分が思っている以上に下手に生きてるんだろうな

必要ないところまで神経質だし、
親孝行なんてちっともできてないし、
他人とコミュニケーション取るのが下手だし、
だから他人のことばっか考えてるし、
何やっても中途半端に終わるし、
時間管理が下手だし、
自分でも自分のことがわかってないし、
大好きな人達にも迷惑ばっかかけてるし、

時間があれば無限に挙げられるんじゃないかというほどに、
いろんな要素が私を「生きるのが上手」という概念から遠ざける

人生なんてずっと楽しいわけじゃないし、辛いことがあるから楽しいとか、幸せとか思えるんじゃん!なんていうけど、本当にそうなの?
なんて考えてしまう事もある

そもそも辛いことを乗り越えて楽しいことにたどり着くまでの時間が長くない?
そこまでの過程が辛すぎない?


そんなことを年中無休で考えている私のXに三ヶ月前、
「死にたがりの女の子がコンビニで安楽死キットを買う話」
という、なまくらげさんのイラストが流れてきた
https://x.com/rawjellyfish/status/1756986015414444100

何故か、そしてどこに刺さったのかわからないけど私にはあまりにも刺さる内容で、最後まで読めずに、一枚目だけ読んで終わってしまった
そして四ヶ月消化できずに今やっと、というわけ


日本では安楽死が合法化されていないから、イラストを見たときはすごくファンタジーだと感じたはずなのに、いざ重ね合わせると不思議と現実味が湧いてくる

SNSが私達に定着して、ありえないほど簡単に自他を比較できるようになった
「SNSなんて見なきゃいいのはわかってるけど、見ないと置いていかれている気分になるし」「他人の目なんて気にしなくて良いのはわかってるけど、結局他人と生きていくわけだし」
そんな風に思っている同年代は多いはず、私だけかもだけど
そんな風に思ってしまう出来事が、年齢が一歳上がるだけでも増えていく

高校生になって、中学校と全く違う環境に立たされた
中学校のときは三年間学級委員やってしまうぐらいリーダーシップを持ち合わせた人間だった
それが、芯のある人たちしかいない環境に放り投げられ、こんな性格になってしまった
私よりも優秀な人なんて溢れかえるほどにいるし、実際問題、自分の代わりなんていくらでも効く
そんな現実と向き合うことは思っている以上にエネルギーが削がれるらしく、意外にも死って近いものなんだな、と思い始めた




もしも今、日本で安楽死が合法化されたらどうなる??




日本の経済動向とか、企業のマーケティング方法とか、全く知らないに等しい
けど安楽死の合法化でコンビニにも安楽死キットが売られるようになったら”安楽死ビジネス”が成立するんじゃないかと思う
(ここまで大げさに言わなくても、ある程度成功するのでは?)


もう生きるのはごめんだけど、痛いのは嫌だし苦しいのも嫌だから死ねない、が自分で死を選ばない人たちが言う、多くの理由な気がする
安楽死キットが出現したらその人達は生と死、どちらを選ぶのだろう

私だったらどうだろう、と考える

答えは出さない

もし安楽死キットが生まれて、大好きな友達が使おうとしていたらどんな言葉をかけるだろう、と考える

・自分にとってその人がどれだけ大切か伝える
・とりあえずどこかに行く
・話を聞く
とかいろんな選択肢が思いついたけど、本当に実際そんな場面が来たら私は何も言わないかもしれない
というか、何も言えないと思う
私はその人の感情を底までわかってあげることはできないし、
「考え直そう」とか言ったところで、その人の人生を保証してあげられるわけでもない


「負」として捉えがちなものも、その人からしたら「正」でありその選択のほうが幸せなのかもね、
という話





何もない僕たちになぜ夢を見させたか
終わりある人生になぜ希望持たせたか
なぜこの手をすり抜ける物ばかり与えたか
それでもなおしがみつく僕らは醜いかい
それとも綺麗かい
答えてよ

愛にできることはまだあるかい / RADWIMPS






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