誰かのせいにしたって進み続ける
「進む」という言葉はなんだか、前向きな意味で使われることが多いように感じる。
進路、進学、進化
わたしも、「進む」っていうときにはポジティブなイメージを持っているし、進むときにはいつも良い「結果」のことを考えている。
良い方向に進むこと、思い描いた通りに進むことを良いこととする風潮があるように思う。
たとえば、思い描いた夢があって、その方法を考えていて、
思ったように進まなかったら失敗なのかな?
大事なのは結果?過程?
結果として目標に至れば良いっていう人もいるだろうし。
過程の中で目標には及ばなくても何か見つけられればいいという人もいるだろう。
思い描いていた方法とは全く違うけど思いがけない結果に至ることもあるかもしれない。
少なくとも、「進んだ結果」何かを得たって話。
じゃあ、進み方は?
良い進み方や悪い進み方があるのかな。
わたしが進み方に行き詰まっていたのは小学生の頃。
クラス担任からのいじめで学校に行けなくなって、
人間不信になっていた頃。
あの頃のわたしは学校やクラスメイトに立ち向かおうなんてこれっぽちも考えなかった。
学校に行かなくなる葛藤もほとんど無かったかもしれない。
ただ過ぎ去ってくれさえすればよかった。
時間が過ぎればいいものだと思っていたからね。
でも、そうじゃなかった、時間がたてばたつほど、不安は増していって、同じ景色を見ているはずなのにどんどん苦しくなった。
気が付いたころには、自分の中の気持ちをどこかにぶつけないといられないくらい頭がいっぱいになって、誰かを傷つけたくもないから、自傷した。
でも、それじゃ何の解決もしなくて、痛くてダメだって思って、
全部人のせいになっちゃえばいいって思った。
思うだけならだれも傷つけないから、いっそ全部人のせいにして、開き直っちゃえって。
いじめられたのは担任のせいにした。
学校に行かなくなる選択肢も、わたしよりも先に学校に行かなくなった兄のせいにした。
外に出られないのは、虫を見るような目で見下してくる隣人のせいにした。
全部人のせいにして前に進もうって決めた。
根拠なんてないけど、自分に責任全部背負いこんで立ち上がれなくなるくらいなら、誰かのせいにしたっていい、今と同じ景色を見ていたら、何も変わらない、だったら後ろ向きながら進んで、わたしは今とは違う世界を見たい。
結果は後でいい、5年先か10年先か、20年先の自分に決めてもらえばいいから。
わたしはそれでも前に進むことにした。
きっと今よりいい景色が見れるはず。
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