5年目になりました。
3/10日は
hanpoの発足の日なのです。
だからといって特別なことは何もやらずに、
日々平々をおくっております。
というか、なにか特別なことをする余力が無いのだけど。
さて、日々平々と、生きづらさとか、あたりまえとか、普通について考えている日々なのです。
最近、メンバーに勧められて、叶姉妹のファビュラスラジオを聴いていたのだけど、
その中で、年相応の格好と「若作り」についてのお話をされていて、
意識の中で自由じゃないわね、誰かと比べることもないし、その「若作り」を考える数だけ年相応から離れていくんじゃないかしら?と、お話をされてまして。
この「若作り」を「生きづらさ」とか「普通」に代入してもこの話はできるなぁ、なんて考えていました。
僕らは、生きづらさについて考えている時に、気がつくと、考えるごとに、それを強く意識してその事が生きづらさになっていく。
普通も同じで、普通について考えれば考えるほど、普通、から離れていく気がする。
ここに、西尾維新の言葉を借りてくると、
「自分だけみんなと違うって?
そんなの、みんな一緒だ」
なのだと思う。
どこかで、「生きてるだけで特別だ」、とか、そんなことを耳にしたことある人は多いと思う。
だけれども、
生きていることも、死ぬことも特別なことじゃない。
同じなわけ無いって?
そうだね、もちろん、生まれ持ったものや境遇は異なるものね、けど。。。
みんな同じように生きてるし、同じようなことを考えてる。たぶん。
僕が普段考えていることはこうだ。
どうしたら、このまま楽に生きれるんだろうか
このまま生き続けることはできないのか
ただ生きていられたら、それだけでいいのに、
なんで、この世界では、それが許されないんだ。
生きるって色々面倒な物事が多すぎる。
こんなに大変だなんて誰も教えてくれなかった。
なんで、生きるのはこんなに大変なんだ。
生きづらい。
まぁ、こんな感じだ。
こんな感じが僕の日々平々。
でも、
生きるのは本当に面倒なことばかりで嫌気がする。
ということを、どこかの誰かもきっと考えているんだろうなぁ、と思うと少しだけ、そいつの話を聞いてみたくならないかな?
まわりの普通をとりあえずおいておいて、
自分の尺度でいいから一旦考える。
でも自分のだけじゃ考えるのは難しいから、
誰かの言葉や考えを聞いてみる。
それを誰かと比べる必要はなくて、
へー、そうゆう考え方もあるんだ、
と受け止めてみる。
思ったように前に進めなくて苦しい事は多いけれど。
自分だけが知らない道に取り残されてしまうと思ってしまうこともあるけれど、
きっと同じように悩んだヒトはどこかに居て、
それが物語の世界だろうが、
ラジオだろうが、フリーペーパーだろうが、
話をしてくれるヒトはどこかに居る。
自分の道が見当たらなくても、誰かの話を聞いてみるのもいいんじゃないかと思う。
その先で、少しずつ、進んでいけばいい。
前を向いていようが、後ろを向いていようが、
進むことはできるんじゃないかと思うから。
5年目の、歩みへ向けて。
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