見出し画像

夜の特別な場所

僕の夜は午後9時から。

よく入院していた小児科病棟が、消灯した後だった。

入院中、毎朝勤務室の「今日の準夜勤」のホワイトボードに書かれる名前を見るのが好きだった。

「お!今日は若い看護師さんだ!」

「いつも話聞いてくれる人だ!」

「げ!あの人だ・・・大人しく寝たふりしてよ・・・」

夕方以降のテンションが、その日の朝には決まっていた。

引き継ぎのため、日勤と準夜勤の看護師さんがそれぞれ回ってくるのが夕食前の5時半頃。

僕は大部屋にいることが多かった。

当時の大部屋は6人。ベッドの間隔もあまりなく、プライベートは薄い一枚のカーテンのみ。

慣れてますよ感をかもしだしながら、「僕はいいから他の人のとこ行ってやって」と言いながらも、かまってちゃんオーラは出ていたように思う。

夕食が終わり、消灯の時間になった。

ただ、元気が余っているいち小学生に、夜9時に寝ろというのは無理がある。

でも、親との約束で、テレビも一枚1,000円1,000分のカードで3日もたせなければいけないし、ゲームボーイの電池も3日もたせなければいけなかった。当時は、9時になれば自動的にテレビはザーーっと何も映さなくなった。

暗い消灯台の下で絵を描いたり、本を読んだり、小説を書いたりもしていたが、それもずっとやり続けてられるほど、集中力のある子どもではなかった。

廊下の電気が消えて、見回りが終わってしばらく経ったあと、

カーテンの隙間からこっそりぬけ、いびきの大合唱の部屋のドアを開ける。

誰もいない暗い廊下。点滴の台をガラガラと押していく。

僕がよくいた部屋は病棟の一番奥から1つ手前。

異様に暗かったのを今でも覚えてる。

左には避難用の扉があり、ガラス窓が目に入る。

そこから誰か覗いてやしないかと、夜廊下へ出るたびにびくびくしていた。

トイレに行き(あえて消灯前には行かなかった)、どきどきしながら勤務室を覗く。

「〇〇ちゃん、いらっしゃい」

僕に気づいた看護師さんが笑顔で迎え入れてくれた。どきどきが安堵に変わる。

昔から、勤務室にはよくいってた。そこでのルールもあった。

「引き継ぎの時には入らないこと」

「カルテは覗かないこと」

「夜11時には出て行くこと」

ただし、これが厳しい看護師さんだとそもそも勤務室に入ることすら許されなかった(本来処置の時以外は入っては行けない場所だ)

消毒のにおい。遠隔で示してる心電図の音(音の感じですぐに飛びだしていく看護師さん)不謹慎ながら、勤務室の独特な雰囲気が好きだった。

「学校に好きな人がいてさ」

「お母さんホントうるさくて嫌なんだよ」

「あの看護師さんすぐ怒るから嫌い!」

古びたグレーの丸椅子で、クルクル落ち着きなく動きながら、手書きカルテに記録をしている看護師さんと話す時間が、すごく特別な時間だった。

病室では「頑張ってる明るい子」を演じるようにしていた。

他の入院仲間たちの手前。入院慣れしていますよ感を出している手前。

皆のお兄さんでいないといけない。

本当にそれができていたかはわからないけど、僕には大事な誇りだった。

だから、この夜の勤務室の時間は、本当に大好きだった。今思えば、あれがプライベートということなのかもしれない。

年齢があがるにつれて、僕は勤務室にいられなくなった。

行きづらくなっていった。

話を聞いてほしいのに、聞いてほしい人がそこにいるのに、僕は入れなかった。

あるとき、すごくすごく辛い治療をしていた時があった。

気持ち的にも相当参っていた。

小児病棟なのに、大部屋は大人ばかり。

夜はいびきがひどかった。

たまらず、勤務室の方へ向かい、向かいにあるソファーでじっと座っていた。

眠りたくても、寝られなかった。

いびきもそうだけど、寝る体力がなかった。

たまらず、勤務室へ入った。

誰も、話を聞いてくれなかった。してくれなかった。

そして「もうこどもじゃないんだから、そういうの考えた方がいい」。

言い放たれた。

今から思うと、本当に至極当然のことだった。

僕以外夜にそこに入って話をしている人はいなかったから。

僕だけ特別扱いをするわけにはいかない。今までが特別すぎた。

ても寝られない日々は続き、気が狂いそうな夜が毎晩毎晩・・・。

夜をはじき返したかったし、殺したかった。

そんなとき、夜勤の看護師さんが夕方に回ってきた。

3年目、4年目ぐらいの看護師さんだった。

心配そうに声を掛けてくれたが、僕は布団をかぶり、何も聞かなかった。

他の人たちは、僕の様子を見ても何も言ってくれなかった。

「治療に耐えろ」「環境に耐えろ」「治すことだけに集中しろ」

健康状態を聞いて、それをメモするだけ。機械的だな、とももはや思わなかった。

寝られないなんて問題児のいつものわがまま。

そう捉えられたのはほぼ間違いないと思う。

誰も何もしてくれなかったし、僕自身も何もできなかった。

看護師さんやお医者さんを信頼する気持ちは、とっくに失せていた。

声をかけてくれた大好きな看護師さんに、こんの姿を見せてしまった悔しさと、どうしようもないやるせなさに泣きながら、歯を食いしばりながら、布団の中で震えていた。

でもその布団の上から「ポンポン」と撫でるというか、手のひらで何回か優しく触れてくれた。

「辛かったら、あとで勤務室おいで」

その言葉は、僕とって「救い」以外の何者でもなかったよ。

その日の夜は、堰を切ったようにいろいろな話をして、聞いてもらった。

あの夜は、僕にとって本当に、本当に特別だった。

・・・あれから10年近くが経った。

その人は今でも病棟にいる。

3人のお子さんをもつお母さんとして、看護師さんとして。

今でも時々、その病棟に入院することがある。

だから、その人が夜勤の時は心が弾んだ。

夜を迎えられるということは、そこまで生き延びられたということ。

誰かに支えられて、生き続けられているということ。

いつか

いつか誰かの「夜」を支えられるようになりたいな。

なれるよね。

きっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?