しおあじ記 その1

GWが終わってしまった、
僕は、hanpo本誌のほうの編集であれこれしていて、なんかいつも通りの日常でした。
でも、平成から令和に移り確かに時代が動いたんだな、って感じているのは歳かしら。。。
でもね、不登校っていう言葉ができて35年っていうのを、よく口にするんだけど。
昭和に生まれたこの言葉が一つの時代を跨いで今も続いているというのは、
やっぱり、これは一つの生き方として認められるべきことなんじゃないかな~って強く思っています。
僕自身、それになってこの方ずっとその言葉に縛られているしね。

さて、しおあじ記は、僕のこれまでのこと、小学生になるちょっと前からの話。

 僕の家は力関係のはっきりした男3兄弟、しおあじは僕その末子。
しおあじの話をするときにはこの兄たちの話も結構重要だったりする。
長男は僕が幼稚園の頃には学校に行かなくなっていて、知り合いのオジサンとよく出かけていたから、実は家にいたことはあんまり記憶にない。
2番目の兄はまじめで友達も多く僕にとっては憧れの対象。
僕はと言えば、基本的には外で遊ぶのは好きだったけど、体は丈夫じゃなかったからしょっちゅう寝込んでいた。
 幼稚園の頃は、キリスト教の関係の幼稚園に通っていたが、体力がないから、外で遊んでいても友達と遊ぶよりも、草むらにはいって生き物とか観察していて、あんまり人と遊ぶのは得意じゃなかった。っぽい。
幼稚園もあまり楽しいとは思っていなかった、教会の図書室に隠れていたり、園の敷地から抜け出して、近くの小川とかに行っていた。なかなか迷惑な子どもだなァ。

 そんな僕が小学校に上がるころ、周りの友達や、幼稚園の先生たちは
「学校は楽しいよ~」「お友達がたくさんできるといいね~」「お勉強は楽しいんだよ~」と言っていたので勝手にそうゆうものだと思っていた。
幼稚園よりもマシだろうと思ってしまったのだろう。
今タイムマシンがあるなら肩つかんで丸三日くらい説教したい。
でもそうした刷り込みは他にも体験したことことのある人もいるのでは?

でも、当時はそんな様子だった。




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