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ガムになって6年目
「ガムみたいだ。」
ネット活動している中で、ふと思うことがある。
特に今みたいな資格試験の勉強中とか、
「18時に投稿します!」といったまま編集が間に合わなかった深夜とか、
高確率で思う。
「今、俺どのくらい味するんだろう」って。
面白いエピソード、ファッションなどのビジュアル面、ゲーム実況での掛け合いの空気感、はんぺんとしてネットの海にさらされる上で、一通りやった。
これは本当に勝手だけど、ある一定の層には刺さると自負していた。
でも、その一定の層をつなぎとめるのは大変だ。
その人たちは、「真新しさ」を求めている。だから常に尖ったことをしなきゃという思いに駆られる。エンゲージメントも大切だ。
人には興味期限がある。
その人を発掘した時、「こんなに面白いのに誰も知らないの?これから絶対応援する!布教しなきゃ!」と言って、ファンになってくれた時。
僕はうれしさと同時にプレッシャーを感じる。
「一生好きです」「ずっと応援してます」「最推しです」
もちろん永遠なんてない。その人が大学生になってサークルやバイトで忙しくなったら?就職したら?結婚したら?子供ができたら?
環境が変われば永遠は突然終わってしまう。
でもそれは当たり前だし、僕だってそんなことは重々承知だ。だけど、みんなの「一生」を聞くたびに胸がざわざわする。
僕らの最大使命は<永遠をできるだけ長引かせること>だ。
新触感のガムが出て、まだSNSでも流行っていないけど試しに買ってみたらすごくおいしかった。これはツイートすればバズるかも。ツイートしたらみんなもおいしいと言ってくれた。毎日食べているうちに味に飽きてきた。もうみんな知っているし、いいよね。
これじゃだめだ。ガムである僕らが、新味を出したり、20%増量したり、パッケージを一新したり、インフルエンサーとコラボしなかったからそうなる。嘆いてもお前のせいだ。時すでに遅し。
味が一番している時、みんなの興味がピークの時には、もう次の施策を考えていなければならない。そして、みんなの眼をくぎ付けにしなければならない。
僕は僕なりに必死にあがいた。それには自分を壊すことから始めなければいけなかったし、自分が何に特化すべきなのか理解しなければいけなかった。
そしてそれはひどく勇気のいる行為だった。
飲み会の席であいつ面白いよなあって言われるのとはわけが違う。
「はいどうも、ゲームの上手い人です」
「はいどうも、顔がカッコいい人です」
「はいどうも、歌が上手い人です」
「はいどうも、トークが面白い人です」
勘違いかもしれない、自意識過剰かもしれない、そう思いながらも長く活動するとはそういうことだ。特に伸びたいのならば。
でも僕は何も持たざる者だった。だから誤魔化すしかない。ゲームは上手くないし、カッコよくもないし、歌も上手くないし、トークも一辺倒だ。
とにかく誤魔化す。「ゲーム実況の編集が個性的」「ファッションセンスが独創的」「イケボで歌うの草」「言葉のチョイスがクセになる」…
君たちは顎を鍛えてるのか?というレベルでガムを噛む。餅つきみたいなスピード感だけど、それでは供給が追い付かない。手をぶっ叩かれてしまう。
そして、需要→供給のはずが、いつしか供給→需要になる現象もある。
新商品を試すのが好きな人は<永遠>の看板を持って次の推しの元へ行く。
失ってから気づく大切さみたいなべたな話だけど、その一人に甘えていたダメダメガムメーカーは空虚感を抱える。そのためにちょっとはみ出したことをして気をひこうとする。だせえ。少年期のナルトじゃん。
そして、すぐに「もうやめよかな」って思う。
他のサイトで配信してみたりする。でも上手くいかない。その人たちのために一生懸命供給して、勝手に枯渇する。
でも結局やめられない。一度平積みしてもらったから、またこのコンビニに置いてもらえるんじゃないかって期待する。甘える。
ゾンビ。
あと「仕事がつらい…」「伸びないのしんどい」とかSNSで発信するのはマイナスだと思う。ガムのポップに「おいしくないです」「売れなくて厳しいです」って書いているようなもんじゃんね。
だから耐えろ、すべての実況者。配信者。鍵垢に行け。お母さんに電話しろ。リア友にぶちまけろ。
ここまでわかった上で僕は今日noteを始める。
僕はあまのじゃくのひねくれものだから、<あえてやってますよ>と誤魔化す。
このガム、よかったら噛んでみて。ちょっと不格好なのだけれど。
2022年1月22日 自室にて、雪の宿をかじりながら、冬。