5月の匂い
私にとっての5月の匂いは、みんなにとってのゴールデンウィークや五月病のイメージとは違う、新生活のワクワクの匂いだった。
2年前の5月に実家を出て初めて一人暮らしをした。過保護な父が「駅から近くて治安のいい場所2階以上の部屋」という条件提示をし、当てはまったのはあの部屋だけだった。京都駅の近くで、最上階9階の角部屋は、大学生の一人暮らしにはかなり贅沢だったと思う。
それでも、家賃は周辺の家より抑えめで、その分設備はそれ相応のものしかなかった。都会のよくあるワンルームでの初めての一人暮らしは想像以上に楽しかった。なにもかも自分で決められる。昼まで寝ても怒られないし、夜中にコンビニだっていけちゃうし、誰を招こうが勝手だ。
"誰を招こうが勝手"を通り越して、"誰を住まわせようが勝手"になった結果、野良犬状態だった恋人と暮らし始めたのが6月末だから、実際私は一人暮らしを2ヶ月弱しかしてないことになる。だから、私は一人暮らしの楽しさを語れる資格がない。それでも、5月の匂いは一人暮らしと新生活のワクワクの匂いだった。
そこからずっと、彼と一緒にワンルームで二人暮らしをした。初デートはコンビニの払込と、近所の公園だったし、歩いて行ける範囲に鴨川も、梅小路公園もあったから、度々デートでお世話になった。あんなに狭い場所で付き合いたてのカップルが同棲するなんて、自殺行為に近いし、そりゃもう幾度となく喧嘩もしたけど、同じ数だけ仲直りをして、ちゃんと二人で、あのワンルームで過ごしてきた。「あのくそ狭い部屋で暮らしてこれたんだから」という謎の自信が私の心の中にはある。
同居同棲1周年を迎えて、いろいろあって急遽、 去年の12月に今の家に2人で引っ越した。
今の家はとっても広くて、2人で暮らすのにはぴったり、むしろ持て余すぐらいだ。コンロだって3つあるし、浴室乾燥もあって、お風呂も蛇口を回さなくていい。駅からちょっと遠いこと以外なんの不自由もない。あのワンルームで2人で暮らしてきて、お互いの信頼関係を積み重ねたから得た場所だと思ってる。
今の家で初めての5月を迎えた。いきなり暑くなるもんだから、昨日は少し窓を開けて寝た。その時の夜風の匂いに「あぁもう、前の部屋の匂いや音は感じられないんだなぁ」と分かって、なんだか心がムズムズ、切なくなった。去年までは一人暮らしの初心を思い出すようなワクワクの匂いだったのに。
ベランダから見える夕日と京都タワーが綺麗で、隣の部屋の真夜中の爆風スランプの大熱唱がうるさくて、高瀬川の桜が絶景で、たまにホームステイのニュージーランド人が騒ぐあの家で、2人で過ごした時間はもう戻らない。場所がかわっただけで、時間はそんなに経ってないのに、もう懐かしくなってしまってることに驚いた。
別に別れた訳じゃないし、私たちの関係は確実に最初より居心地がよくて、あの頃よりも大好きで、更には前進あるのみだけど、だからこそ、あの頃を懐かしく思うし、たまにこうやって思い出したいなと思った。
でもきっと今の家でのこの瞬間も、山鳩の鳴き声も、酒屋さんのシャッターを開ける音も、自販機で誰かが飲み物を買う音も、コロナでこんなに自粛していることすらも、また懐かしくなる時が来るのね。だって、全てのことがたったの2年の間に起きた話だし。
季節の変わり目の匂いで、何かを懐かしくなれるぐらい、当たり前に毎日を積み重ねていられること自体が幸せなことだね。これからも一緒に過ごしていこうね。恋人よ。隣でよく寝てますが。
来年の5月の匂いは、どんな記憶を蘇らせてくれるんだろう。