歯科矯正31週目‐1

来週矯正歯科です。もう前回から一か月経つのか。早いね!

最近よくVtuberの動画のコメント欄見てて、AさんとBさんの仲良さげなことをてぇてぇとか言って喜んでるのってどういう心理なのかなってちょっと考えている。
ガチ恋は分かりやすいんだよな。ガチ恋は「私」がAさんのことを性的な目で見てるって話だから。
AさんとBさんが仲良くしているとき、それを喜んでいる「私」は一体どこにいるんだろう。

でもそれに疑問を持つとなると、あらゆる漫画・アニメ、その他フィクションを楽しんでいることに対しても疑問を持たざるを得なくなる。
言うまでもなく、ワンピースと「私」は全然関係ないし、名探偵コナンと「私」も全然関係ない。
「共感できないから面白くない」って言う人もいるけど、私は共感できようができなかろうが面白いものは面白いし、面白いものは面白くないと思っている。
共感や自己投影ができる作品なら主体の在処がはっきりするのだけど、そうでない作品を楽しんでいる私はなんなのだろう。「私」はどこにいるのか。いや、まあ、第四の壁側にいるのだろうけど。

Vtuberの存在はフィクションじゃないけど、その存在は半フィクションとも言えるし、だったらAさんとBさんが仲良くしているのを楽しんでいるのは恋愛漫画を楽しんでいるのと同じ心理なのかもしれない。(ここでいう恋愛漫画とは付き合うまでの過程を描いたものではなく、カップルになって以降若しくは両片思いのいちゃつきを見守るタイプの恋愛漫画である。)

AさんとBさんは恋愛関係ではなくとも、友情でも、仕事における信頼関係でも、上下関係でも、ライバル関係でも、何かしらの人間関係が作用していたら、それだけで喜ぶ人がいる。(私もちょっと喜ぶ。)

それが「なぜなのか」と深く考えるのは恐らく不毛なこと。なぜならこれは性癖みたいなものなので。
人間関係フェチとでも言うのか…何か的確な言葉がないだろうか。

ていうか「てぇてぇ」ってなんなんだ。

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