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祖父の高校時代の話(前半)

こんにちは!
飯能高校探究部のHiDEです。

今回は、祖父の高校時代(1955年〜1957年)のことを聞いてみたので2回に分けて書きます。今回は、前半です。

noteのネタ探しで祖父の高校時代のことを書いてみようと思いLINEで質問を送りました。

祖父はパソコンで回答の文章を作成してくれ、それを受け取りに行き、話を聞きました。

今回の記事は、私が書いたのではなく祖父に書いてもらった感じになりますが、たまには、いいかなあ、と思います 😅

以下が私からの質問と祖父からの話です。

■どんな時代でしたか?
高校時代、世の中にトンと関心がなかったから、うまく言えませんが次のような社会現象が田舎の高校生の耳目にも届きました。

①島倉千代子「この世の花」(1955年)
17歳のデビュー曲で200万枚の大ヒット。
あの鈴の音のようなやさしい声音にすっかり虜となり、生涯に渡ってのファンです。

②「ジラード事件」(1957年)
アメリカ兵ジラードが農婦を射殺した事件です。高校当時はジョンソン基地(今の入間基地)と思っていましたが、群馬県の米軍実弾射撃訓練場での事件でした。彼女は薬莢(やっきょう)を拾うために訓練場内に入ったようです。大きな社会問題となっていたことを、高校生ながら感じました。

③映画
後述しますが高校時代は映画全盛期でした。

■得意科目と苦手科目は何でした?
得意というより好きな科目は国語と地理。
苦手は理数系でした。
今の高校生の勉強は当時と比べると難しくなっていますね。

■1日何時間ぐらい勉強していました?
テスト前以外に勉強した記憶はあまりありません。
先生の授業は、大事にしていました。

■高校時代 どんなことをして遊びました?
自分の高校の野球部が夏の大会に出場する試合は、大宮球場へ応援に行きました。

川越市連雀町に親友がいました。彼の家は蔵造りの呉服屋の三男坊で高校の3年間、同じクラスでした。

西武線の入間川駅(今の狭山市駅)から本川越駅まで学割定期で通学していたので学校が休みの日は、私が出向き、2人で川越の街を歩きました。会話内容は忘れてしまいましたが女の子や勉強の話はしなかったと思います。

共に同じ時間を共有している、その空気が心地よかったのだと思います。

通学の時は川越の街の映画館の前を通ってました。当時の映画館の名前を忘れてしまい、Googleで調べたら「鶴川座」でした。

「山椒大夫」(原作 森 鴎外)
「潮騒」(原作 三島由紀夫)
「金色夜叉」(原作 尾崎紅葉)
「あすなろ物語」(原作 井上 靖)
「太陽のない街」(原作 徳永 直)

などを観ました。

どれも素晴らしい作品で、今でも映像のワンシーンがよみがえることがあります。

この映画館に「七人の侍」の大きな看板が掲げられたことがありました。

監督は黒澤明。

今、思うと年代から再上映かもしれません。

「七人の侍」の映画は観ませんでしたが、後年、神田神保町の古本屋で映画シナリオをまとめた「1954年 年鑑 代表シナリオ集」(三笠書房)を手に入れました。その中に「七人の侍」があり何度も読み、読むたびに感銘を受けました。

この本は今でも大事に持っています。

本を見せてくれました
七人の侍
買った日と場所が書いてありました

鶴川座は、川越の蓮馨寺(れんけいじ)と道路はさんで反対側にありました。

話は、高校時代からそれますが蓮馨寺には中学生時代に大相撲巡業を見に行きました。横綱は照國(てるくに)でした。

入間川(狭山市)の天満天神社にも巡業が来ました。横綱は千代の山、関脇は栃錦でした。

蓮馨寺、天満天神社にはサーカスも来てました。
(つづく)

■前半のまとめ
「勉強しろ、と言われた?」と祖父に聞いたら
一度も言われたことがないようです。
自由な高校生活を送ってた、と言ってました。

映画の本について
「よかったら、読んだら?どの本もいいよ。」
と言われました 😨

続きは次の記事に。

では!


〜顧問のつぶやき〜
探究部でnoteをはじめてからずっとHiDEを応援してくださっているお祖父様。

今回はHiDeがそんな孫思いのお祖父様にインタビューしてくれた記事です。

これ、すごく良い企画ですよHiDE。

人生の先輩のお話の中には貴重な情報だらけです。文献になっているならまだしも、個人の思い出の中にある情報は聞き起こさなければ、他者は知る由もありません。

今回のお祖父様のお話に出てきたものをHiDEが探究してみては?

HiDEはヒアリング調査が上手だと思うので、ぜひ続けて欲しいです!

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