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あなたの通勤、通学路に石仏はありますか?

探究部顧問のMr.Sです。

運転中。信号待ち。何気なく周りを見渡す。
一日が始まる。というか始まっている。
前の車の人は何時に起きたのだろうか。
交差点には小さなお堂。仏さまが手を合わせている。石仏だ。
信号が変わり走りだすと、またすぐに引っかかる。ああ、なんか信号に引っかかり続ける連鎖に組み込まれた気がする。時計を見る。まあ、まだ時間はある。
交差点に建てられた小さなお堂の中で、仏さまが手を合わせている。

石仏!!
結構石仏多いな!!
あんまり気にしたことなかったけど!!

ということで今回は飯能の石仏について、調べた。
石で造った仏さまを「せきぶつ」という。ちなみに「いしぼとけ」と読んでも間違いではないようだが、「せきぶつ」の読みが現代では定着している。

石仏について、まず浮かんだ疑問。
➀飯能には、どれくらいの数の石仏があるのだろうか。
➁最も古いものは、いつ建てられたのか。
③石仏は何種類ほどあるのか。珍しい石仏はあるのだろうか。

1.飯能には、どれくらいの数の石仏があるのだろうか。

『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』によると、915基が確認されたとのことだ。ただしこれは昭和61-62年度の悉皆調査によるもので、その後発見されたものについては反映されていない。

2.最も古いものは、いつ建てられたのか。

『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』によると、飯能市で最も古い石仏は江戸前期の寛文年代のようだ。飯能市内で最も古い石仏は寛文7年、高山の三角点にある虚空蔵菩薩で、最も新しい石仏は大正13年加治の庚申塔である。

3.石仏は何種類ほどあるのか。珍しい石仏はあるのだろうか。

『はんのうお宝スポットVOL.5』によると、飯能市内に50種類ほどの石仏があるようだ。路傍の石仏の主流は、地蔵菩薩、馬頭観音菩薩、庚申塔の3種類だ。ちなみに、地蔵が376基、馬頭が157基、庚申が79基。
地蔵、馬頭、庚申、供養塔が飯能市の石仏全体の77%を占めている。
地区別に見ると、総数としては旧飯能地区が190基と最も多く、次いで吾野地区が188基と多い。ただ、内訳を見ると、旧飯能地区は地蔵(89基)、馬頭(18基)、庚申(4基)で、吾野地区は地蔵(53基)、馬頭(54基)、庚申(21基)と、両地区には違いがある。
吾野地区は馬頭の多さが目立つが、『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』にはこのように書かれている。

馬頭が市内で一番多い地区になりますが、秩父から飯能への往還道や峠が多いこともその理由でしょうか。供養塔が多いのは山岳修験道の指導者が多かったためとも考えられます。

『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』p21 吾野地区

次に、全国で珍しいのかは分からないが、特徴的だと思った石仏を挙げる。

・富士浅間神社 倶利伽羅不動
 宝剣を龍が呑みこむ形に造られている。
・全昌寺の地蔵菩薩
 童二人が縋りついている。

珍しかったり、特徴的だったり、そういった石仏はやはり魅力的だ。
それをきっかけにして、石仏の世界に深く入り込んでいく方もいるであろう。

「奥武蔵地方の石仏ってどんなものが多いのですか。すぐ隣の秩父とも違うのでしょう?」
 各地の石仏愛好者からこんなふうに尋ねられることがある。
「どんなって・・・・・・」
 わたしは胸のなかであれこれ親しい石仏を思い浮かべながら、いつもこういう。
「ごくごく平凡な、どこへいっても路傍に見つけることのできる素朴でささやかな石仏ばかり。でも奥武蔵のつつましい風土と、つつましい暮らしぶりによく似合っているんですよ。」

『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』p264 石仏のいのち、坂口和子

私は、生活に溶け込んでいる石仏が好きだ。ほっと安心する。
私たちが生まれる前から、路傍で社会の変化を見守っていた石仏たち。
大切に守り、次の世代に継いでいきたいものだ。


参考文献
今回の記事で使用されているデータは以下の参考文献に基づくものです。

『飯能の石仏ーふるさとの証言者ー』、飯能市教育委員会(平成元年)、㈱文化新聞社印刷部
『はんのうお宝スポット1-10号』、飯能市教育委員会生涯学習課https://www.hanno-lib.jp/area-information/docs/HG21151-1.pdf

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