USB木魚と『好奇心は猫を殺す』
こんばんわ、お疲れ様です。はんにんまえ(私)です。
ご飯を食べて、ひと休憩し、音楽を聴きながら、まったり今日のことを記録します。
お昼にご飯を食べながらwebサーフィンしていた時に、とある方がUSB木魚を開発(作成)したとの記事を見ました。素直にクスッとしてしまいました。ツイッターに動画もあるので、興味のある方は是非。
たぶん、ものづくりって、原始的、プリミティブには、こういうもんなんだろうなと思いました。
誰かに評価されるとか、もうかるかどうかとかそんなの関係なくて。
『作りたいから、作る。』みたいな。
自分の原動力を定義すると、私の場合は『好奇心』でした。
お金も地位、名誉も正直どうでもいいです。
ある程度、自己が確立した段階から、新しい物を探して、そこで自分が何を感じられるかということを大事に歩いてきました。
でも、ここ数年、いや4年ほど、自分の好奇心が疎ましくなっていました。
『好奇心は猫を殺す』
好奇心は、私をここまで引っ張て来てくれました。でも、その好奇心が身を滅ぼす原因になっていることを薄々感じていました。
好奇心をもつ、挑戦する、何かを習得する、仕事が増える、
好奇心をもつ、挑戦する、何かを習得する、仕事が増える、
好奇心をもつ、挑戦する、何かを習得する、仕事が増える、
・・・・・
いつのまにか、体も心もすり減り、限界に達しました。
結果、3年で2回ほど体を壊し、死にかけました。
(生まれつき体が弱いのを無視して、さんざん無茶したツケを払うときがきたのだと思っています。)
そして、療養中悩みました。
好奇心を持ち続けて果てるのか、
穏やかに暮らすのか。
結局、答えは最初から出ていました。
『好奇心を持ち続けて、穏やかに暮らす。』
究極の自己中。わがままを通そうと思います。
もちろん、この先いろんなものを失うと思います。
ただ、この結論は揺るがないと思います。
会社には感謝しています。ここまでさんざん勝手をやらせてくれたのは今の会社だから。でも、療養中にわかったのです。今の環境では、好奇心も持つことは叶わず、その上穏やかに暮らすことはできないと。
私に挑戦を強いるあなた方は、私以上に挑戦していますか。
評論家ぶって口だけ動かしていませんか。
はっきりいってクソッタレです。
すべてを失ったとしても、わがままを通します。
死ぬより怖いことなんてないのだから。