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子どものころ好きだったことは大人になっても変わらない

私は生まれた時、心臓の壁に穴があいていたらしい。詳しいことはわからないんだけど、数ヶ月で自然に塞がったらしく大事には至らなかったそうだ。基本的には今日までの人生30年間、とくに大きな病気することなく健康に生きてこられた。

今日は、私がどんな子どもだったかの小話です。

子ども時代のはなし

私の両親は宮城県気仙沼の同じまちで育った同級生。父方は味噌と醤油屋。母方は豆腐屋。親戚は納豆屋。大豆つながりすぎて面白い。

20代前半で早々に結婚した両親。両家にとっての初孫だったので親戚中から可愛がってもらい、祖父母たちはコマ撮りのように私の写真を撮っていたといいます。周りからたっぷりの愛情を注がれすくすくと元気に育ちました(結婚式か)

幼稚園より前の記憶はあまりない。たぶん、絵を描くことやぬいぐるみで遊ぶのが好きでした。

幼稚園年長のとき、別のクラスの元気で明るくてかっこいいA君にときめいて、それが初恋。同じく年長の終わりくらい、A君に好きな子(Bちゃん)がいることを知って儚く失恋。生まれて5年で初恋と失恋を経験。その頃A君は、Bちゃんと結婚する!と言っていて、大人になってマジで二人は結婚したのですごい。

確か5歳くらいにピアノを習っていました。宿題をギリギリまでやらず母親に怒られながらいつも大泣きしてピアノを弾いてた。何かをギリギリまでやれない性格は子供の頃から変わってなかった…。
ピアノ教室でも、幼稚園でも、じっとしていられず落ち着きのない子どもでした。調子乗りで、いつも怒られてた笑

小学校では2年生から金管バンド?マーチングバンド?に所属。厳しい音楽の先生のもと、コルネットというトランペットの小さい版みたいなのを吹いていました。肺活量と腹筋を鍛えまくっていた小学生時代。引退前の6年生で念願のソロパートを任され、大会に出場した見せ場の大事なところで大失敗。練習のときから、他の音は綺麗にでるけど高音域が出しづらくていつもとても苦しかった。
苦い思い出になりつつ引退してしばらく経ってから、私が使っていた楽器を修理に出したら高音が出づらい故障があった、よく音出せてたねと先生から連絡があった。もっと早く気付け自分!w
負けず嫌いで意地っ張りなところがある。

小〜中まで生徒会や文化祭実行委員会などに入ってみることが多く、企画したり作ったりまとめたりが好きだった。
マーチングバンドもそうだし、みんなでゼロから何かを作りあげるあのワクワク感が好きだった。文化祭前の空気が好き。
「受け身に誰かに楽しませてもらうより、楽しむために自分がどう行動するか。動かす側にいたい」と思っていた。(空回りも多かったけど。)
いまのWeb制作とかベンチャーとかスタートアップで働いてる時の、さあこれからどうやっていく!?みたいなワクワク感が好きなのに繋がっているのかも。

おジャ魔女どれみとハリーポッターが好きで15歳まで自分にも魔力があるのではと真剣に思っていた。なかった。

10代で熱中していたことがもうひとつ。小学校3,4年生くらいからインターネットの世界にどっぷりハマった。正直、友達と遊ぶよりもインターネットの世界にいる方が楽しくて、親が仕事でいない日などは平気で10時間くらいPCに向かっていた。(今と変わらん)
知ってる人は知っている「ふみコミュニティ」に入り浸り、Yahooのサーバーを借り、独学でHTMLやCSSを書き、「PictBear」というフリーソフトやWindowsのお絵描きソフト「ペイント」を使って画像加工し、、いわゆるキラキラサイト作りに熱中。

まさにここがいまの自分の原点であり、真に夢中になれること。誰にも強制されることなく自然と心が向くことがWeb制作。だからいまの仕事は、大変だとしてもまっったく苦にならない…。子供の頃はいい加減にしなさい!って怒られてたことを、好きなだけやれる大人になれたのは嬉しいこと。

周りのWeb制作やっている友達でふみコミュに入り浸っていたという人には本当によく出会う。あれが原点という人は多いし、あの時の憧れのHP管理人さんがいま意外と近くにいることを知ってびびったりしている。広いようで狭い世界にいたんだなぁ・・・。

正直小学校〜中学までの9年間は、現実の世界では友達をうまく作れない暗黒期だったので、インターネットでは違う自分でいられるというのが私にとって救いだったと思う。

もし自分が親になったら、子どもには、あなたの居場所はひとつだけじゃないよ、世界は広いよ、苦しかったらそこから逃げていいよ、と伝えてあげたい。子どもには子どもなりの社会があって、自分で気軽に居場所を変えるのが難しい場合が多いから、苦しいときは本当に苦しい。私にはインターネットの世界があってよかった。

中学まで勉強は苦手ではなかったので、中学3年は塾にこもって受験勉強を頑張り志望高校に合格(泉館山って言ってわかる人います??)。
そこから友達の輪が広がってやっと現実世界が楽しいと思えた。そのおかげで(?)勉強よりも友達と遊ぶことが優先になってしまい、成績は常に下から数えた方が早い状態に。お茶やお菓子のパッケージを見るのがとても好きでその頃からデザインの仕事がしたいと思っていたけど、デザイン学科がある大学の受験には失敗。一度夢を諦めることに。

これはまた別の話になるので、「子どもの頃の話」としてはここまで。

絵を描く、小説を書く、歌をつくる、ホームページを作るなど、想像・創造・感覚的なものが得意で好きな子ども時代でした。
今やってることにつながってるなと思います。

振り返ってみて改めて思うけど、子どものころからいまと、好きなことや熱中することって全然変わってないな。子供の頃から朝は苦手だった。寝ながら朝ごはん食べてた。
苦手なことは苦手なまま。好きなことは好きなまま。

思い出のアルバム

私のお気に入りの写真たち。基本的に眉間にシワが寄っている。変顔特集。

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「ボテッ」…。

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すごく楽しくなさそう

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フリフリを着たチンピラ

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三輪車でワシのポーズをする謎

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お気に入りのぬいぐるみ「きんちゃん」を抱いてニヤつくわし

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・・・ケーキ嫌いなんか?

最後に普通の写真も。

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写真を撮る時のお気に入りポーズ

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これは珍しい!笑顔です!

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飛行機乗る予定は無いのにたまに仙台空港に行って写真を撮ってた若き日の両親。空港がちょっとしたテーマパーク的な感覚だったらしくはしゃいでる手の感じがかわいい。(私は相変わらずしかめっ面)
航空会社に就職してからみつけた写真で、ちょっと面白かった。

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子供の頃の話、おわり。

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このnoteは、いしかわゆきさん「書く習慣」の巻末にある「1ヶ月書くチャレンジ」30個のテーマをもとに書いています。

明日のテーマは「最近ハマっていること」

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はな|Hana Chiba
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