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大きな木とじいちゃん

じいちゃんが木から落ちて死んだ。
90歳になるまであと1ヶ月の出来事だった。享年89歳。亡くなる前の週末に親戚で墓じまいをしたそうだ。その時に、木から落ちて死なないでよ、と親戚から声をかけられていた。じいちゃんはそんな心配をよそに「なぁに言ってんだい。木から落ちて死ぬなら本望だ。」そう返したそうだ。

元々じいちゃんは体育の先生で、よく竹馬や水泳とか、運動の仕方を教わっていた。1番自信満々だったのは木登りだった。じいちゃんの家には大きなどんぐりやヤマモモの木が育っていた。毎回じいちゃん家に行くたびに木登りの練習をした。足の掛け方、手の使い方、目線等、一つ一つ厳しく教えてくれた。登りきって頬張るヤマモモは甘酸っぱくて美味しかった。

じいちゃんの訃報を母親から電話で聞いた。電話を切った瞬間。涙がぶわっと溢れ出た。そんな自分の感情に、実はとてもびっくりした。

私の母親とじいちゃん(母からしたら義父)は折り合いが悪く、物心ついた時からじいちゃんの悪口を聞かされていた。じいちゃんは悪い人なんだ。そう潜在的に刷り込まれていった。それとは裏腹に、じいちゃんの家に行くのはすごく楽しみだった。だから、自分の中に変な歪みを感じていた。じいちゃんと遊ぶことを心から楽しみたいのに、母親の目を気にして、上手く感情を出すことができなくなった。複雑な気持ちに整理がつかず、いつのまにかじいちゃんには近づかないようになってしまっていた。中学校に上がる頃には、ほとんど話さなくなった。

私は、母親をいじめるじいちゃんは悪いやつだと思い込んで、もうどうでも良いと思っていた。だから、いつか死んでも何にも思わないんだろうな、とも思っていた。でも、じいちゃんが死んで、もう一生会うことができないとなった途端、幼い時の感情が憎いほど蘇る。

じいちゃんと自然の中で色んなことをして遊ぶのが楽しかった。じいちゃんがこれまで先生として体験したこと、感じたことを聞くことがワクワクした。手仕事が好きなじいちゃんが作るヤマモモジャムや、ヤマモモ酒を飲んでみたかった。いくら願っても、そんなじいちゃんは戻ってこないのだ。

幼い時の記憶が蘇る。私は木に登っていた。
てっぺんまで上り切っていた。
暖かい春の陽気で、風が心地よかった。
誇らしげに見るじいちゃん、一抹の不安を感じつつも、木登りした孫を見て、俳句を読んだばあちゃん。
幸せだった時を胸に秘め、じいちゃんを偲ぶ。

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