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生きるということについての、自分なりの考え方

生まれてきた意味について、20年以上、考えてきた。
そこで一つ、今の時点での結論というのを、書いておこうと思う。
共感してくれる人もいるだろうし、全然意味不明、という人ももちろんいるだろうなと思いながら。

人は、何故生まれるのか。
何の為に生きるのか。
何故、苦しみ悩みながら、辛いことを乗り越え、前に進まなくてはならないのか。
いつかは死ぬと判っているのに。

この問いに答えが見つからず、日々苦しかった。
努力して得たものも、いつかは手放さなければならない。
愛する人と気持ちが通じ合い、束の間幸せを感じたとしても、結局死ぬときは独りだ。
そして、いつか来る死からは、決して逃れられない。
それなら、死んでいるように、虚ろに生きれば良いような気さえしていた。

でも、あるとき、ふと理解した。
…というか、突然腑に落ちたことがある。

生まれてきた意味なんて、特にないんだ。

私は、偶然にこの、仮初めの身体を得て、此処にいる。
それは、神様と呼ばれているものの意志かもしれないし、そんな大それたものではなくて、単に確率の問題かもしれない。
奇跡と言えるかもしれないし、よくあることかもしれない。

だから、どうしたって良いのだ。
自分なりに生きることを解釈し、理由をつけて、自分で決めた、信じるもののために、自分が良いと思う方法でこの生を過ごせば、それで良いのだ。

そう思えたら、急に世界がすっきりと明るく見えた。
それは、ほんの一瞬。光が空から射すように、すっと心に落ちてきた。

今でも毎日、辛いことはある。
他人から言われた言葉で心を冷やしたり、
遠くで起きている悲しい出来事に、胸を痛めたりする。
だけど、それほど恐れはなくて、何もかもきっと大丈夫、何とかなると思える。

そんなの詭弁だ、と反発する人もいるかもしれない。
でも、今このとき、苦しみ悩む人がいるのなら、少しこんなふうに考えてみるのもいいかな、と思っています。

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