真の賢さは正解のない文章を論じられるか
社会人になって思うのが、賢い人は難なく文章を書くことができる、ということだ。物事を構造的に整理し、文章にまとめることができる。
最近、仕事で文章を書く機会が増えた。決裁を取得する"理由"の文章、概要を"説明"する文章、様々である。
当初はなかなか文章がまとまらなかった。HP、別のパワポ、別の人のメール文などバラバラと複数の文章を参考にしてしまい、つぎはぎだらけのまとまりのない文章ができてしまっていた。
物事をキーワードだけ抑えて文章化しようとするから、"何も伝わらない"文章になっていた。自分こそが理解できていなかったからだ。
こういうとき、物事を全体的に捉えられていなかったことに気づいた。
書いていくうちに、一旦まっさらな状態で、物事の全体感を捉えたのちに書き始めてみると、だんだんとまとまった文章が書けるようになった。
無理に使うべきワードを意識しないこと、他のいくつもの文章を参考にしないことが大切だった。
私はこれまで、センターも8割、資格も複数取得し、"それなりに賢い"くらいの人間だと思い込んでいた。
だが、真に賢い人は、自分の頭で考え、まとまりのある文章を書ける人だと思う。
マーク式の試験は、キーワード・国語力・コツでどうにかなる。長い問題文でも、全てを読まずともキーワードさえ抑えれば正解できるものが多い。
だが、記述式試験は、自分の頭で考え、論理的に説かねばならない。解答例を見たところで、丸写しして次に活かすなんてことはできない。
これからは、文章を書ける人間になれるよう、訓練していきたいと思う。
→次回は身近な誤用を例に、大切に使いたい言葉たちを紹介したい。