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編集者と出版者のあいだ

さいはて社 大隅 直人

先日、YouTubeを見ていたら、飼い主に溺愛されているゴールデンレトリバーが、ジャパネットたかたの社長(現会長)の声が大好きで、テレビをつけると画面にすり寄り、ひたすらそわそわするという動画が、なぜかおすすめに上がってきた。

犬も歓喜する美声を聴いているうちに、私は、28年前、29歳のときに、糊口をしのぐために国語教師として働いていた学習塾が倒産することになり、あわてて就職活動をした挙句に、とある出版社に潜り込むことに成功して、編集者の道に入ることとなったのであるが、私を拾ってくれた社長(当時)の声を思い出した。

その出版社は、現在も、一方で大学入試の問題集を作り、一方で学術専門書・教養書を作っているが、船場の商家の跡取として生まれたという社長は、空襲で生家を焼かれ、戦後、京都の百万遍で貸本屋を開き、後に出版社を立ち上げたという、立志伝中の人物だった。

親方は、毎日、大番頭、中番頭、小番頭、丁稚たちに向かって、威勢の良い関西弁であれやこれやと指示を出す。その言葉には迫力があって、みな従わざるをえなかった。

悪くいえば独裁的だが、良くとるならば、社長の信念のおかげで、経営は安定していて、従業員は安心して働くことができ、編集者は良書を作ることに専念できていた。

とはいえ、正直に書くと、かなり苦い思いもさせられた。けれども今となっては、ずいぶん守ってもらったり、庇ってもらったり、鍛えてもらったなと、感謝しきれない気持ちになる。

話を戻そう。入社してしばらくたったあるとき、私は、社長が電話をかけるとき、相手先によって、声のピッチが一段か二段上がることがある、ということに気がついた。

若くて世間知らずだった私は、社内での威厳のある態度と、電話口でのあきんど風のひたすら腰の低いしゃべり方との落差に、大きな衝撃を受けた。

そして、下っ端の私には、どういったシチュエーションで声のピッチが上がるのかといった背景について知る由もなかったため、それをたんに滑稽なことだと思い、その含意について想像することすらしなかった。

けれども、「はぁ〜」「えらい、すんまへんな」「まいど」「おおきに」と、甲高い声で小気味よく話す、その声には、上方落語や新喜劇のようなおかしみがあって、ジャパネットたかたとは違うけれども、人の緊張をほどき、人の気分を良くさせるようななにかがあった。私は、親方のそういう声を聴くのが好きだった。

育ちの悪い私は、結局、その会社には5年(正確には4年11ヶ月)しか居ることができず、フリーランスになってからも8年ほど下請けとして仕えたのち、43歳のときに、自分の版元(大隅書店)を立ち上げた。

起業してしばらくたったあるとき、銀行とか役所が相手だったり、こちらのミスが原因で人を怒らせてしまったときや、目の前にいる人を慰撫する必要があるときに、自分が、声のピッチを上げてしゃべっていることに気がついた。そして私は、親方の声と、彼が守っていたものについて、ようやく思い知ったのである。

私は、世間でいうところの学者一家に生まれたものの、早々にドロップアウトして、たまたま編集者になったという、中途半端な人間である。かつての自分は、学者くずれの、生意気で、不遜な編集者だった。今なお反省することしきりである。

そんな自分も、版元を起こし、さまざまなリスクをとらねばならなくなってからは、素直に謝ったり頭を下げたりすることが、人並みにできるようになった。本を売らねばならないときには、裏声のような声も出せるようになった。

最近の自分は、書き手を口説いたり、ここぞというときには低めの声で話すこともあるが、ふだんは、やや高めの声で上機嫌にふるまうように心がけていて、自分としては、もはや、そっちの自分の方が気に入っていたりもする。

とはいえ、社員を守るどころか、個人事業主のまま、ひとり出版社(出版者)にとどまっており、不甲斐ないことこの上ないが、たいした規模ではないけど、リスクを抱えてビビりつつ、自分を鼓舞して声を高めて必死こいて生きるというのは、悪くないなと思っている。

編集者と出版者のあいだ、などという気取ったタイトルを掲げておきながら、なんともまとまりの悪い思い出ばなししか書けなかった。お粗末。

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