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ブラック会社に勤めた結果・・・
僕は、ブラック会社に勤めてました。
ロンドン留学も終わりが近づき、また自分の仕事についてどうするか?悩んでおりました。大学の卒業エッセイもかき終わり、イギリスに残って働くか?それとも日本に復帰するか??大変悩みました。そして自分はイギリスのとあるインディーレコードレーベルにトレイニーとして入社することが決まってました。条件は無給。1年間。1年経ったら、その後どうする?というのを考えようという契約でした。当然、契約書などなく、口約束。当時そのレーベルは日本の音楽、特にロックを某日本レーベルを受けていたレーベルでした。
↑ ↑ ↑ お世話になる予定だったレコード会社。
卒業式前にとあるアーティストのツアーのお手伝いをするのと、とある会社の面接をするのに日本に一時帰国しました。その面接というのが今回の「ブラック会社」の面接になるんです。留学する前に勤めていたレコード会社時代の上司に当たる先輩が紹介してくれました。面接は至ってカジュアルで、六本木のレストランで調子になる人と対面したのですが、基本、とても丁寧で、会社もこれからどんどん大きくなると言われ、絆された。なので自分はその会社に入社をすることに決めた。決めた理由の中にこの上司になる人が自分の中学生の時から大好き、リスペクトしてるバンドのマネージャーをやってたというのも決め手になりました。流れでオフィスも見せてもらいました。
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年が明けて僕は日本に戻りました。そして、その会社に初出社します。最初の一週間はほぼ何も起こらず、日本の生活に慣れ、会社の雰囲気に慣れるという感じで過ぎていきました。帰りも定時。そんな平和な日々が過ぎ、日本も労働環境がよくなったもんだ・・・と思っていた時、定時で帰ろうとすると・・・
「おい!ふざけんなよ。毎日定時で帰りやがって。もっとやることあるだろう??」と怒鳴り始めました。そこから自分の地獄絵図の始まりでした。
深夜にオフィスに戻ってきても7人の社員の、6人がいるんです。日本人って先輩が仕事してると帰りづらいですよね??すっかりイギリスの自由なマインドは吹っ飛んで日本風の文化にどっぷりになってしまいました。そして、週末も仕事がある訳ですが、土日に帰ってもこの上司が仕事してるんです。週末はどうも彼らは経費精算の日にしてるみたいで黙々と精算作業をしています。僕は現場で力仕事、運転なども伴うので会社に帰るとヘトヘトになっていて、でもそこに他のスタッフがいると帰れない状態がずっと続きました。この力関係はいろんな場面で自分を縛ってきます。帰りの電車で、家に帰って、朝、夜、深夜関係なく着信が入ります。出ることができないと、テキストメッセージが届き、罵詈雑言のようなメッセージ「どこにいるんだよ?返信しろ!」という感じです。
それでもやっているプロジェクトはものすごくやりがいがありましたので自分と会社を繋いでいるのはそれだけでした。現場には気を許せるスタッフなどもいて現場にいる時間、関わりがある会社に打ち合わせに行ってる時間、外に出てる時間だけが自分の生きている時間でした。打ち合わせなどが長くなったり、その結果、色んな所を周wって帰社しないといけなくなると、すぐになにをやってるのか?という電話、メッセージが飛んでくる始末。
長い間、休みが無かったのでイギリスに旅行に担当のアーティストと行こうという風になりましたので、やっとその呪縛から逃れられると思いました。期間は一週間。この間だけは会社から離れて自由な時間が得られる・・・とそう思ったのが間違いでした。その上司から、いくんならあれ撮ってこい、なんかネタになるものを撮ってこい。報告は毎日しろ!etc..etc..
「ん??ちょっと待てよ?これ自腹で行くんだけど?しかもホリディなんだけど?どうして報告がいるのか?」と。
その上司からは、休みで行く、タレントと行く、マネージャーと行くんだから当然半分は仕事だろう?休みをもらえるだけでもありがたいと思え!
「だったら経費半分は払ってくださいよ!」とキレてみると
お前、よく上司にそんな態度できるな?休みで行くんだからそのくらい撮って来いよ。予算なんか出すか!と怒鳴り出す始末。それがマネージャーだよ。
もうお話にならい。
当然、行って、撮る写真、ビデオはおざなりになるに決まってますよ。撮った写真を送ると、ちょっと正面からのアングルが多いからこういう角度、ああいう角度で撮ってみろよ!とアングルの指定までし始める。電話口で倒れるかと思いました。これは100%仕事です。と言いましたが、このチャンスを逃すのか?お前それでマネージャーよく務まるな・・・と。
結局、毎日、1日3回くらいの報告をさせられ、電話代も自分もち、旅費も自分もち。宿泊費も、全て自分もちの出張を終えて日本に帰りました。カエルや否や、イギリスに行ってる間仕事が溜まりまくってるからそれやれ!と言われそのまま仕事をした記憶があります。
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そんな軋轢の中で8年近くが経過し、勢いの良かったプロジェクトもだんだん陰りが出てきて、色々と状況が変わりました。この間に、給料は一円たりとも昇給はしませんでした。一度だけ年末に、餅代とかいって10万円社長から支給されたことがあっただけでした。周りの会社での担当も入れ替わり、最初にいたスタッフはすっかりいなくなり、レコード会社も変わり、移籍だね。っていうタイミングでボロボロになった自分は、年が明けた3賀日の間に退社届けを上司のデスクに置いて、会社に関わるもの全てを会社に置いて帰りました。その年は、年越しまで仕事をしていたので、年明けはしばし時間があったんだと思います。1月5日位にその上司から矢のような電話がかかってきましたが、出ることはありませんでした。そんな、本当はやってはいけない会社の去り方をしてしまいました。自分の精神状態は一杯一杯でもう耐えられない、ロープの最後の意図が切れる寸前でした。なのでこれ以上その会社、そこのスタッフ、そしてその上司、または社長と関わり合いを持つことが出来ませんでした。本当は、労基署にも訴えたかった。怪しいところはたくさんあった。勤務時間を多分、1ヶ月600時間は働いていました。過労死レベルです。1日20時間勤務。いやそれ以上。考える余裕はなく次から次へとやることが出て来る。そんな中で長い間働いていました。いい事もたくさんありましたし、感動する事もあったし、経験出来ないような事も経験できました。それを自分の宝物として生きていける事もあります。
まとめ
それは間違いなく自分の糧になっていると思います。激動の中で長い間時間を過ごし、ひどい労働環境でしたが音楽の仕事は仕方ない、ましてスタッフの人数が少ない会社では限界があります。現在この会社は存在していません。なくなって当然の会社だったと思っています。かといってその当時の上司や社長を許したわけではありません。自分の失った時間、働いてるとは思えない職場の環境。そういうものを取り戻したい。そんな思いがいまだに続いています。死んでも忘れないでしょう。この話はノンフィクションです。この状態でよく生き残ってるなと思っています。これを機に自分は音楽の仕事に対するモチベーションがなくなりました。この後、いくつかの会社を転々としますが、当然使い物になってないと思います。今は静かに余生を迎えて静かに人生を追われたらいいな?と思っています。この事は公に記すのは初めての事だと思います。ざっくりとした話ですが、本当の話です。
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