ウジョン(友情)
1 「ガールハント・イン 魚町銀天街」
二人は魚町銀天街にいた。
魚町銀天街は、福岡県北九州市小倉北区にある繁華街で飲食店、居酒屋、其の他種々雑多な店舗が立ち並び人が多数往来する場所。
「こんな堕落した低能なことばっかりしているのか?日本の学生は」
韓国の名門ソウル大学から日本国際学生協会(ISA)の招きで日本に会議兼観光で訪れていたソムナムは吐き捨てるようにユウジに抗議した。
ソムナムは、ユウジの半ば強引な誘いというか、ユウジ自身の趣味でもある「ガールハント」にかれこれ二時間近くも付き合わされていたから、ソムナムからそういう不満が出てもまあ無理もない。
「もういい加減にしないか、ユウジ。というか『トンテジ』!」
ソムナムの不満はマックスに達した。
「トンテジ」とは韓国語で「豚」という意味であり、ユウジの体形が学生には不似合いくらい少々メタボっぽいものであったことも皮肉ってこう言ったのである。
「『トンテジ』ってどういう意味なん?」
ユウジが興味深く聞くと、ソムナムは大笑いしながら
「お前のことだよ。体形からして、そしてこういう堕落した行為をすることからして」
とスノービッシュかつ蔑んで早口の英語でまくしたてた。
ユウジは韓国語が話せず、ソムナムは日本語が出来ないので二人は英語を共通言語としてコミュニケートしていた。
二人の関係性について少し説明しておこう。
ユウジは日本国際学生協会の九州支部に所属する学生で、地元の大学に通う二回生。
親元から離れて下宿生活をしている。
ソムナムの通うソウル大学とは「月とすっぽん」ほどのレベルの相違があった。
この年の夏に韓国のソウル大学からソムナムを含む三名の学生が国際学生会議の帰途に九州支部に立ち寄るという話になったことから、自らの下宿をソムナムの宿所として提供する「ホームステイ」ならぬ「下宿ステイ」を申し出てソムナムを自身の下宿に投宿させながら日本の文化を紹介(笑)するという任務を負っていたのである。
ソムナムは、韓国の東大ともいわれる名門「ソウル大学法学部」の同じく二回生。性格は几帳面かつ生真面目で「絵にかいたような」優等生。
初めての海外旅行兼研修ということで日本を訪れ、東京、名古屋、神戸と大都市でホンモノの「ホームステイ」でそれこそ至れり尽くせりの日本滞在生活をエンジョイしたきた。
ところが、最終研修地である福岡県北九州市小倉北区に辿りついたまでは良かったが、ここにきて想像だにしなかった超意外な「下宿ステイ」に遭遇して憤懣やるかたない気分だったのに加えて、ユウジの趣味に付き合わされて不機嫌さはマックスに達していたのだった。
この時韓国から九州支部を訪れた三人は、ソムナムの他にミッキーという女性とソキという年齢に見合わないくらいの落ち着きをみせる男性だった。
ミッキーとソキは幼馴染で、二人とも韓国財閥関係の裕福な家庭に生まれ育った言わば富裕層のおぼっちゃま、お嬢様であったのに対してソムナムは一般の家庭というよりも寧ろ少し恵まれない、貧しい家庭に生まれた子だった。
そんなソムナムの口癖は
「名門ソウル大学を首席で卒業して、いつか必ずビッグになってやる!」
だった。
ユウジにも度あるごとに
「俺はビッグになる男だ。トンテジのお前とはレベルが違う」
と自分の優位性を自慢し、ユウジの生活態度や考え方を見下していた。
「人の世話になっておきながら、『トンテジ』呼ばわりとは無礼千万で生意気な奴だな」
とユウジは心の中では不快感を抱きながらも与えられた3日間の日程を粛々とこなしつつ、夜にはユウジの下宿で枕を並べながら二人で将来の夢や互いの境遇について夜を徹して語り合った。
2 しばしの別れ
「会うは別れの始まり」というが、3日間を面白おかしく過ごしてきたユウジとソムナムにもそれは訪れた。
別れの舞台は、福岡国際空港。
たったの3日間ではあったが、ユウジとソムナムの心の中には何か言葉では言い表せない、親近感というか親密な感情がお互いの心の中に生まれていた。
ソムナムは照れ隠しに
「元気で居ろよ、ジャパニーズ・トンテジ」
と最後の言葉も「トンテジ」呼ばわりでユウジに投げかけた。
ユウジは、「お前もな、コリアン・トンテジ」
と応じたが、その声は心なしか震え体の奥底からこれまで体験したことのない何かがこみ上げてくるのを感じた。
「この感情はなんだろう。」
それはこれまでの人生では味わったことのない人との別れを惜しむ寂寥の思いとさながら肉親との別れを思わせるような、とめどない悲しみの入り混じった複雑な感情の高ぶりだった。
そして頬をつたってとめどなく流れる涙を流している自分に気づいた。
「なんで今俺は泣いているんだ?この感情は何なのだろう?」
あの生意気なソムナムと会うこともなくなり、むしろせいせいしている自分がいても不思議ではないのに。
胸からこみ上げる熱い感情と涙をソムナムに見られまいとして、瞬時うつむいて再び顔をあげると。。。
何とソムナムが大泣きしながらユウジに手を振っているではないか。
ソムナムもユウジとの3日間に何か国籍を超えた親近感というか友情にも似た感覚を覚え、別れに際して心の底からこみ上げる感情を抑えきれずに感涙を流していたのだった。
二人は互いの涙と泣き顔を確認すると、お互いの寂寥の念は最高潮に達した。
とめどない涙を流しつつ互いに
「元気でやれよ、また会おうな」
と何度も何度も相手の姿が小さくなるまで叫び続けた。
ソムナムの姿はやがて他の乗客の波に呑まれ、だんだん小さくなりそしてユウジの視界から消え去った。
ユウジは、20年間の人生で初めて経験する「人との別れ」それも国籍が違う人との別れがこんなにも切ないんだとソムナムとの思い出を反芻しながらソムナムの乗った飛行機を見送り、福岡国際空港を後にした。
ソムナムとユウジの間にはたった3日間ではあったが確実に友情(ウジョン)が芽生えていた。
3 再会のチャンス
「あんたに韓国から電話があったよ」
ユウジの母である和代が久々に実家に立ち寄ったユウジに伝言した。
ソムナムとの楽しく忘れられない日々と切ない福岡空港での別れから五年の年月が経過していた。
ユウジは既に大学を卒業して、地元の公務員として忙しい日々を過ごしていた。
「え?韓国?」
と一瞬どこの誰が連絡してきたのか理解に苦しんだが、
「ひょっとして」
と思い、和代に
「それって、ソムナムという男性からではなかった?」
と問いただすと、和代は「そうだよ」と返す。
ああ、国政学生協会でアテンドして下宿に泊めてあげた、あのソムナムかと漸く記憶の糸を辿って電話の主が誰であるかをつきとめた。
しかし、またなんでなのかな?
和代に仔細を訪ねると
「ちょうど東京に来ているのでユウジに会いたい」
と伝言していたことから、ソムナムが何らかの理由で来日し自分のことを思い出して会いたくなり実家に電話してきてくれたことに気づいた。
実は、福岡空港で別れる際にソムナムに実家の電話番号を伝えていたのでソムナムがユウジの実家に電話してきたのだった。
当時は携帯電話が無い時代であり、必要な時に必要な情報をタイムリーに提供できる環境にはなかったので折角の再開のチャンスを逃してしまったのだ。
「ああ、折角再開できるチャンスだったのに」
と悔やんでも既にソムナムは韓国に帰国した後で、なすすべもなくがっかりしながらもユウジは和代に
「で、今彼何してるって言ってた?」
と尋ねると和代から意外なというか、やはりという返事が返ってきた。
「外交官だって」
え?あのソムナムが韓国の外交官?
ということは、ソウル大学を卒業して彼の口癖だった
「いつかは必ずビッグになってやる」
を実現する第一歩を踏み出したんだと感心半分、うれしさ半分そして自らの境遇と比べて着実に夢を現実のものにすべく努力しているソムナムに敬意の念を抱くユウジであった。
こうして再開のチャンスは実現することなく15年の歳月が流れる。
4 涙の再会
(1) 再会の前兆
ユウジはワシントンDCのFBI本部である「J・エドガー・フーバービル」のレセプション会場にいた。
ユウジは機会に恵まれ、地方公務員の身分でありながら外務省に出向して在外公館それも世界最大の我が国大使館である在アメリカ合衆国日本大使館に勤務していた。
FBIとは故あってレセプションに招待され、妻の民代を同伴して立食パーティーに参加していた。
ホストであるFBI側は、言わずもがなの白人中心。
そして招待された欧州豪州のゲストはそれぞれの小グループに分かれて談笑し、気が付けばユウジと民代の周りにはアジア系のゲストばかりが集まっていた。
これは海外のレセプションとりわけ欧米の在外公館主催のレセプションではよく見かける光景ではあるが、知らず知らずのうちに人種毎にグループ化されるのである。
話を元に戻そう。
ユウジと民代の周囲にいたのは韓国大使館のメンバーだった。
しばし世間話で談笑したあと、ユウジは興味本位冗談半分で韓国大使館のメンバーに対して問いかけた。
「私の学生時代の友人でソムナムという男が外交官をやっているということだけど、皆さん知りませんよね?」
と、なんと意外な答えが返ってくるではないか!
「ああ、ソムナムさんなら知ってますよ。この間までワシントンにいたんですよ。今はソウルに戻ってますが。」
え?何?ソムナムがワシントンにいた?それも少し前まで?
いやいや、他人の空似というか別の人物だろうと思い直し
「外務省にソムナムっている人はたくさんいるんですか?私が知っているソムナムと同一人物なんでしょうか?」
と更問すると
「おそらくあなたが仰っているソムナムさんは、我々が言っている人物と同一ですよ。この間まで韓国大使館の参事官をやっていましたから」
とユウジが学生時代にガールハントに突き合わせ、ユウジをトンテジ呼ばわりし、福岡空港で涙の別れをした、あのソムナムは彼らの言「ソムナム」と同一人物であるというのだ。
「まあ、世間は狭いとは言いますけど、もし万が一あなた方の仰るそのソムナムさんと連絡を取る機会があったらユウジは今ワシントンに来ていますと伝えてくださいますか」
と半信半疑で韓国大使館のメンバーに言い残し、バージニアにあるユウジの自宅電話番号を彼らに教示して「J・エドガー・フーバービル」を後にした。
(2) その時は来た!舞台はなんとクリスマス・イブの夜
FBIのレセプションから一か月後のクリスマス・イブの朝。
ユウジの台所にある自宅電話が鳴り響いた。
「ハロー、トウ・フーム・アム・アイ・スピーキング?」
(どなたですかね?)
と問いかけると電話の向こうから聞き覚えのある癖のある英語とどこか懐かしい、明るく弾んだ声が聞こえてきた。
「ユウジか?俺だよ。ソムナムだよ」
「え?ソムナム?今どこ?」
返す答えが感動で震える。
あのソムナムが電話してきてくれた。しかも魚町銀天街の「ガールハント」から15年の歳月を経て。
最初は信じられなかった。
本当にあの生意気な「コリアン・トンテジ」のソムナムなのか?
ユウジは思わず
「あなたはあの『コリアン・トンテジ』か?」
と問いかけると
「そうだよ、ジャパニーズ・トンテジ」
と笑いながら答えが帰ってくる。
やはり、あのソムナムだ! でも何故今ここに電話してきたのか?
ユウジは尋ねる。
「今どこにいるの?ソウルか?」
「ワシントンDCだよ。今朝着いたんだ」
「え?ワシントンって何しに来たの?わざわざ俺に会いに来てくれたわけじゃないよね?」
「いや丁度ワシントンに来る用事があって今朝韓国大使館に連絡を入れたところ『学生時代にあなたと遊んだというユウジという日本人があなたと会いたがっている。電話はかくかくしかじか』というので、あのユウジかと思い電話しているんだ」
これは夢ではないのか?あのソムナムと会えるんだ。
正に偶然に偶然が重なるという奇跡に近い現象が今自分に起こっていることにユウジは気づく。
「で、今晩はどうするの?クリスマス・イブだけど」
「今晩は空けてあるから15年ぶりにユウジに会いたいな」
という夢のような返事が返ってきた。
ユウジは民代にこれまでの経緯と奇跡に近い出来事を早口で伝えると民代からは
「いいよ。学生時代の親友でしょ。折角だから家にきてもらったら?」
という有難い返事。ユウジの自宅での接宴を提案してくれるではないか。
持つべきものは良妻だと心の底から感謝の念が湧いてくる。
「ソムナム、今晩家に来てほしい。ここの場所わかるかなあ、バージニアだけど」
「ユウジお前、俺を誰だと思っているんだ。ワシントンDCについ最近まで勤務していた大使館員だぞ。バージニアに住んでいたからバージニアは庭みたいなもんだよ。お前の家くらいすぐ見つけるよ」
と快諾してくれ、こうして夢の再会までのお膳立ては整った。
そうか、15年ぶりか。あいつどうしてたんだろうな、夢の外交官になって世界を駆け巡っているし「ビッグな男」の成長過程なんだろうな。有言実行の男か。
まさか、あの15年前にたった3日間しか過ごしていなかった男と感動の別れをして15年振りに再開するその舞台が外国それもアメリカの東海岸で、そのきっかけはレセプションでの何気ない会話だったというまさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く展開にユウジは興奮を抑えきれないでいた。
(3) 再会
19時、ユウジの玄関ドアのベルが鳴った。
びっくり箱から飛び出たようなおもちゃのようにユウジは玄関ドアのドアノブに飛びつく。
そして、玄関ドアを開けるとそこに立っていたのは。
15年前よりも少し髪が薄くなっているものの、あの懐かしい童顔のソムナムだった。
ユウジとソムナムはあたりを気にすることもなくハグしながら互いの名前を呼び合う。熱く、とめどない感涙が互いの頬を伝っては落ち、伝っては落ちた。
我に返ったユウジはおもむろにソムナムを自宅リビングに招き入れ、15年間互いの身に起こった数々の出来事や家族のことをそれこそ少年のように余の更けるのも気にせず語り合った。
互いに奇跡の再会に感謝しつつも、更なる再会を期して15年ぶりの再会は幕を閉じる。
5 二度目の再会
1年後。
ユウジは、ワシントン州シアトルにいた。
APEC首脳会議がシアトルの離島で行われることになり、日本から出席する細山総理のロジスティックス支援のため首都ワシントンDCから仲間と共に出張で来ていたのだ。
総理大臣の外遊中はバイの会談(二国間会談)を精力的にこなすのが通例であり、その日は日韓首脳会談がセットされていた。
ユウジは首脳会談が行われるホテルに先飛び舞台として先行していた。
ホテル内を見回りがてら徘徊していると、なんとそこに昨年15年ぶりに再会したばかりのソムナムがいるではないか!
「え?ソムナム、お前何しにシアトルに来てるの?」
思わず尋ねるとソムナムからは意外な答えが。
「ヨンサン大統領が日韓首脳会談に出席するのでそのサブスタンシャル用務で来ているのさ。お前こそ何してるの?」
「そうか、ソムナムはプロパーの外交官だったね。大統領付とは流石だな。俺は細山総理のロジ担当でワシントンDCから出張中さ」
と互いの任務の違いこそあれど、一年前は東海岸でそして今度は西海岸で再び会えたことの奇跡或いは運命ともいえる機会に双方ともただならぬ縁の強さを感じざるを得なかった。
「お互いしっかりと任務を遂行しような。で、シアトルの後はどうするの?ソウルに帰るのか?」
とソムナムにAPEC後の予定を尋ねるとソムナムからは
「終わったらワシントンDCの韓国大使館に報告がてら寄るので、どこかワシントンDCのレストランで食事でもしないか?」
と思ってもみなかったオファーが。
予想外ではあるが正に偶然が重なるという運命的な展開にユウジはソムナムとの間には何か言葉では表せないが強い絆のような友情が存在することに気づくのに時間はかからなかった。
APEC首脳会談は何事もなく無事に終わり、ユウジとソムナムはそれぞれワシントンDCへと移動した。
6 思わぬ事実に触れたワシントンDCの夜
ユウジとソムナムはワシントンDCでも有名な和食レストラン「雲海」の一室にいた。
APEC首脳会談のロジ及びサブを無事終えた二人は結構寛いだ雰囲気で世間話に花を咲かせた。
そしてことあるごとに互いを「ジャパニーズ・トンテジ」「コリアン・トンテジ」と呼び合いながら親密度を増しながらその晩の締めを迎えるはずだったのだが。。。。
話題は北朝鮮が核開発と核実験を行っているという方向に向いてきたその時。
ユウジは、酒の勢いもあってか北朝鮮の行う行為に対する悪口雑言を口汚く罵り、いつもよりもかなり強い口調で自論でもある北朝鮮脅威論を一気にまくし立てた。そしてこの発言。
「韓国もいろいろと北朝鮮から攻撃を受けたりしてるし、むしろ北朝鮮はこの世から消滅した方が良いにきまっているよな?」
いつもはユウジの話に真摯に耳を傾け、相槌をうちながら頷いてくれるソムナムの様子が少しおかしいのに気づく。
そしてその表情は、いつもの童顔でニコニコ顔のソムナムのそれとはまったく違う、どこか寂し気かつ残念そうに見えた。
我に返ったユウジはソムナムに「何かまずいこと言ったか?俺」と尋ねるとソムナムはこれまで見せたことのない真剣な表情でポツリとこう言った。
「そうは言うけど、北朝鮮も南朝鮮も元は一つの民族だし互いにいがみ合ってばかりではないんだ。いつかはお互い一つの国で一緒にやりたいと思っている」
ユウジは頭を鉄槌でガツンと一発殴られ、冷や水を頭からぶっかけられたような感触を覚えた。
そしてソムナムの気持ちを気遣うことなく自らが発した言葉がソムナムの心を傷つけ、えぐるような容赦ない発言であったことにようやく気付き反省する。
「ソムナムの気持ちや置かれている立場に配慮することなく身勝手な発言をしたことをお詫びします。許してね」
と許しを請うとソムナムは
「いや、いいんだ。そういう立場はその身になってみないとわからないから」と返す。
その後気まずかった雰囲気も時間の経過とともに消え去り、別れ間際の二人の話題はこれに尽くされた。
ウジョン(友情)
故あって何気ないチャンスで知り合った日韓の友人。
数奇な出来事とラッキーが重なり合い、二度ならず三度も再会できた運命の糸。
そして二人は誓い合い、確信する。
「国籍の違いを乗り越えてもウジョン(友情)は存在する。そして親しい友人が住んでいる国に対して争いや攻撃などはできるはずがない。この二人だけでもこの真実を信じながら立場を尊重し今後もそれぞれの人生を送ろうな!」
7 その後の二人
ユウジは任務を終え、日本に帰り元の平穏な公務員生活に戻った。
ソムナムはと言えば
韓国外務省に戻り、出世街道をひたすら上り続け学生時代にあの小倉の魚町銀天街で宣言した
「俺は必ずビッグになってやる」
を有言実行するが如くの勢いで外務省幹部に上り詰める。
そして北朝鮮の核開発を巡る六か国協議が始まり、その韓国側代表にはなんとソムナムが就任していつぞやのワシントンDCでポツリとつぶやいた南北統一へ向けた布石に一肌脱いでいることが報じられていた。
その報道を見てユウジは呟く。
「ソムナム頑張ってるな。いつか南北統一へ向けた動きが加速して夢の統一が実現したら良いね。俺は日本からあなたを見守っています」
その後二人は再会することなく年月は流れ、やがてお互い還暦を迎える年齢になったが未だに四回目の再会には至っていない。
しかし、お互いが世界のどこかで生きている限りまた再び会い昔話に花を咲かせたいなとユウジは願っている。
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