じいちゃんありがとう。言えなかったな。
コロナの影響でじいちゃんとの最期のお別れができなかった。
気持ちの整理をするためにnoteに書き留めておきます。
わたしの田舎は熊本県の阿蘇。
祖父母や母たちが住む大自然に行くことが1年に1回のたのしみだった。
じいちゃんが癌で8月まで持つかどうか、、、
母から聞いてすぐにでも飛んで行きたかった。
田舎はとても閉鎖的なところ。都会の感覚とは全く違う。
コロナが広がっている中で東京や大阪の人が行くと一気に噂が広がる。
そして大阪や東京から来た人と接触すると2週間は母たちも外出できない。
「もしもの時も、もう来なくていいからね。」
母の言葉で
最期のお別れができない。。。
もし、危ないってなった時も手を握ってあげれない。
そう思うと毎日眠れなくなった。
何より、じいちゃんが死ぬと思うと。。。
子供の頃から憧れだったじいちゃん。子供の頃は世界で一番強いと思ってた。
わたしは3人の子供を産んで、母として強く生きていたつもりだけど。
どうにも、信じがたい。いつまで経っても子供の頃の気持ちのままじいちゃんを見ているんだわ。
母が病院からテレビ電話でかけてきてじいちゃんと最期のお別れ。
酸素マスクをしたじいちゃんを見て泣きそうになった。
わたしは言葉が出てこなくて「じいちゃーん。じいちゃーん。」と呼ぶだけ。
ありがとうが言えなかった。
時間はたっぷりあったのにどうしても出てこない言葉。ありがとう。
子供の頃、じいちゃんが山に行く時はあり得ないほど早起きした。
トラックの荷台に乗り山の中へ入っていく。兄弟たちとキャーキャー言いながら。
山のことはなんでも知ってて、じいちゃんが側にいれば怖いものは何もなかった。蜂が出たら素手で倒したり、川の中を昇って魚をとったり。
毎日が冒険だった。
自然の素晴らしさを教えてくれたのがじいちゃんだよ。
都会で虫がでても怖くないし、子供たちにセミを素手で取ってあげることもできるよ。わたしはじいちゃんが作った米で育ったし、わたしの娘もじいちゃんの米で育った。田舎に帰った時はわたしの娘にも都会では経験出来ない事を教えてくれた。
それはもう、感謝でしかない。
でも言葉に出すと子供の頃からじいちゃんと過ごした楽しい思い出といろんな感情が溢れて止まらなくなりそうで。言えなかった。
電話を切った後、次女がじいちゃんは??と聞く。
心のダム崩壊。
次女を抱きしめてわーわー泣いてしまった。
「ママ、悲しい。。。」
感受性が高い次女も一緒に泣き出し2人で号泣。
今までずっと我慢してきた涙たちが一気に体の外に出た感じがした。
なぜか、次女の前だと涙が止まらなかった。
どうしても言えない言葉は胸にそっとしまっておいていいんだ。きっと。
自分に言い聞かせる。だって、言いたくても言えないから。
思いが強ければ強いほど言葉に出来ないものだ。
結局、じいちゃんは8月末まで頑張った。
わたし達が帰るの待ってたんじゃないかな。毎年帰ってたもんね。
コロナが落ち着いたら、まず初めに田舎に帰りたい。
そしてお墓の前でちゃんとお別れをしよう。
その時に少し心の気持も軽くなるかな。。。