26歳のパリ
26歳の春、5月23日からパリに住居をおき2区ストラスブルグ・サンドニのpassage Lemonedで新たな出発が始まりました。
この辺りは、洋服、雑貨の問屋街で平日は、凄くガヤガヤして 人の騒めきがあちらこちらでストレスが溜まるほどの熱気がありました。服のバイヤーの車がクラクションを鳴らし それを避けるように進んでいく服を乗せたリヤカーが車の間をすり抜けていく様子、フランス語で叫び声と言うか、怒鳴り声、口喧嘩も始まり、
もうストレスが溜まる程です。ただ、その光景に、なぜか、通りの影にある所に娼婦が立ってりして なんとも言えないサン・ドニでした。
僕は、こんな街で本当に過ごし、生きていけるのか、いつも疑問を持ち まして、GFを面倒見ていくほどの甲斐性(かいしょ)があるのかも疑問で戸惑う日々でした。
ただ、パリって 本当に綺麗な街で 100年以上、もしくは、200年近く、建物の外壁を変えず昔の良き時代を美しく残し、100年以上前の街にタイムトリップした気分をさせます。夕方、5時を過ぎると先程まで叫んでた人たちは、家路に急ぎ、並びゆくアパルトマンの窓には灯がつき、少しずつ部屋からの良い匂いが腹にしみる夕焼けごろです。サン・ドニには、凱旋門がそびえ立ち、僕の住んでる2区側と凱旋門の反対側の北側には商店街が並び、その辺りの住人は、その商店街の店で夕食用の買い物をおこなっています。商店街には、チーズ屋、ワイン屋、アラブ色八百屋、アラブ食を感じる肉屋、インド料理屋、インド食材屋が並ぶパッサージュ通り、カフェ、レストラン、やっぱりアラブ色が多い乾物屋の中に国際色を感じさせる人種感。黒人、白人、アジア人、アラブ人が、彼たちの母国料理を作るための買い出し。僕たちも、中国人の食材屋でよく買い物をしました。
5月後半のサンセットは、大体ですが、22時前ごろです。なので 夕食が終えても
外は、まだ明るい夜です。食事を終えた9時ごろから、食後の散歩をするのが日課です。パリ市内は、大きくなく 地下鉄の3~5駅間は、普通に歩きます。僕たちが住んでるサン・ドニは中心部なので 街中を散歩には凄く適した地域です。飲食店以外は閉店していますので、食事に向かう人ぐらいしか歩いていません。パリは本当に技アリで、少しずつ変わっていく夕日に少しずつ照らしてくれるオレンジ色した窓からの光。街灯もオレンジ色で目に優しく覆ってくれます。夕日が僕たちを照らした影も時間が過ぎて行くように地面に長く長く映し出す形で時間の長さを感じさせる街です。
こんな街、パリのノートルダム寺院、コンコルド広場、モンマルトル寺院、エッフェル塔、シャンゼリゼの凱旋門、セーヌ川のサン・ルイ島などなどをロマンチックに夜の散歩に楽しんでたパリ生活でした。
昼の顔、夜の顔がこんなに違い街は、見たこともない。僕なりに感じたのが、
昼は戦いの場あり、夜は休戦の場、だから、家路に急ぎ、早く羽を休めたい、
いつもの食卓に戻り笑顔の家族、友人共々会え 本当の人どきを味あえる喜びを感じてるんだと 思えます。東京から来た僕にとって まだ、経験もない26歳でした。
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