優しい世界にいたい
ネット空間は、時にとても優しく、時にとても厳しい場所である。
noteで私やフォローしている人の投稿に似た文章を読んでいる分には、自分に近い考えに触れることが多いので傷付きにくい。
そればかりでは意見が偏りがちになり、あまり良いとは言えないのかもしれない。
けれど、自分が見ていて不快になるようなものに自ら触れる必要は基本的にはないんじゃないかなと思う。
世界で何が起きているかなど、知っておいた方が良いことは無数に存在するだろうけれど、
落ち込んでしまってマイナスの沼に落ちていくことになるのならば、得る情報は取捨選択した方が良いのではないか。
この前、自分の気になったとある仕事について検索しているうちに、相談サイトの投稿にたどり着いた。
そこでは、30代の女性がこれから学びたいと思っている二つの分野に対して、
それは今から学んでも意味がない、お金にならない、あげくの果てには肉体労働をするしかないといった否定の言葉が書き連なっていた。
この二つの分野は私も興味があったので、そういった心ない言葉は自分自身にもしっかり刺さってしまったようだ。
そういう言葉を投げる人がどれくらいその分野に通じていて、仕事現場の状況と未来の展望を理解しているのかは分からなかった。
けれど、まず言葉がどれも刺々しく、状況を少しでも良くしていきたいという女性の想いを踏みにじっているかのように、私には思えた。
相談サイトには、厳しい、あるいは侮辱するような書き込みが割と多いように感じる。
その書き込みの裏に、どういう感情が渦巻いているのかは分かりかねるのだから、
誰かも分からない人の言葉を読んで一喜一憂したり、何かを諦めてしまうよりも、
自分の考え・感覚、信頼できる人の考えを参考にして、動いていった方が良いと思う。
仕事に関することは何でもとかく厳しく言われがちだが、
ハードモードな姿勢が当たり前になっているのはどうなのだろう。
もっと、人それぞれの仕事に対して使いたい(使える)体力・気力・時間を柔軟に選べる世の中になってほしい。