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コラム#12 スピード社会と「じっくり考える」力の欠如
現代は、何もかもがスピードを求められる時代です。仕事では短納期を競い、プライベートでは手軽さを追求し、情報は瞬時に発信され消費されています。この「速さの美徳」を強調する風潮に、私は心底辟易しています。
私の昔の上司も、早口で話し、何でも急いで片付けようとしていました。毎日仕事で顔を見るたびに、非常に嫌気がさしました。私は現代の「スピード信仰」に疑問を抱かずにはいられません。
確かに、迅速に動くことには価値がある場面もあります。医療の緊急対応や災害時の避難行動など、遅れが命取りになる状況は多々あります。
しかし、これをすべての場面に適用するのは短絡的ではないでしょうか。早口で指示を飛ばし、相手が理解しているかどうかも確認せずに次へ進む姿は、知性や効率性というより、ただのせっかちさに過ぎないように思います。こうした人々に共通するのは、物事を深く考えたり、立ち止まって熟考することの大切さを理解していない点です。
速さだけが知性の証ではありません。逆に、じっくりと時間をかけて思考を深める能力こそが、本当の知性を表すのではないでしょうか。
たとえば、味噌汁を作る際、急いで煮たものと、弱火でじっくり煮込んだものとでは、味わいがまるで違います。前者は、何かと忙しさに追われる現代人の生き方を象徴するようで、薄っぺらく、深みのない味わいです。
一方、後者は時間をかけることで、素材本来の風味や旨味が引き出されます。それは、粘り強く考え抜くことで得られる知恵や洞察に似ているのではないでしょうか。
速さに囚われると、人は簡単に満足し、表面的な結論に飛びつきやすくなります。そして、深く考えるべきことを見落とし、大切な本質に触れられなくなる危険性があります。何事も、焦らずじっくりと考える姿勢が必要なのです。
だからこそ、私たちは一度立ち止まり、「速さ」そのものを疑問視するべきではないでしょうか。それが本当に必要なのか、それとも単なる自己満足や慣習なのかを考える余裕を持ちたいものです。社会がスピードを求め続ける中で、あえて「じっくり考える」ことを選ぶ人間でありたいと思います。