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【考えさせられる話】なぜモテるのに寂しさが埋まらない?あなたは愛をどれだけ語れますか

どれだけモテても、どれだけ応援してくれるファンがいても、「ずっと寂しがっている人」というのは、それこそ大量にいますよね。人によっては、告白してくれた人がすごく優しい人だったりして「この人なら大事にしてくれそうなのになぁ」と思うのに、なかなか好きになれず、付き合う気になれず、結局は一人でいることを選んで「寂しいなぁ。愛されたいなぁ」と思っていたりします。

雑で露骨なことを言ってしまえば、ほとんどの人が「相手を選ばなければ彼氏彼女ぐらいはできる」という状態かと思います。でも、寂しさが極まっても、愛が欲しくて欲しくてたまらなくても、「もう誰でもいいから一緒にいて」とはなかなか思いませんよね。なぜでしょう。これは、かなり難しい問いかと思います。

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その話をする前に、まず「愛」が何なのか、「寂しい」が何なのか、を説明する必要があります。

校長は「愛」をいつも同じ言葉で説明します。愛とは「その存在をかけがえのない唯一無二のものとして大事に思うこと」です。

例えば自分の彼女が、自分にとっては「ただカワイイだけの人」であり、愛していないならば、その「価値」だけが必要ですから、もっとカワイイ人が登場すれば「そっちのほうがいいな」と思いますし、取り替えたほうが合理的ですよね。また何らかの理由で彼女のかわいさが失われたら、「もう必要ない」と思うでしょう。

愛している場合は違います。例えば最初にかわいさに惹かれて犬を飼っても、ぬいぐるみを購入しても、ずっと一緒にいて思い入れが積み重なれば、何らかの理由でいくら見た目がボロボロになっても「新品に取り替えたいなぁ」とは思えないでしょう。つまり、いくら最初に「価値」に惹かれて近づいたとしても、そこにはだんだん価値とは関係のない個人的な思い入れが生じ、その「存在そのもの」を大事だと感じ始めるのです。仮に愛する人と同じ見た目で同じ記憶を持っているロボがやってきても、それが別のものと入れ替わったとはっきりと分かってしまったら、「それでいい」とも思えないでしょう。それが「愛」なのです。愛している場合、その存在そのものが大事であり、それは交換不能で唯一無二のものだからです。

「寂しい」というのは、その「愛」が足りていない状態です。ある人にとって「存在を唯一無二として大事にされている感じ」が、不十分なのです。「君が病気になってもボロボロになっても、君は大事だよ。とにかく、どういう形であれ、そこにいてほしい。それに、幸せになってほしい」という具合に、価値とは関係なく、思われたいのです。

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