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【考えさせられる話】どんな性格でもみんな壁に当たる…ということは?

例えば性格の中で「論理的か感覚的か」というと、対称性がありますよね。「左と右」のように、対になっている感じがします。でも「自信があるかどうか」はどうでしょう。自信は「どれくらいあるか」というものであって、対になっている感じがしませんよね。普通に考えて、「あればあるほど良い」という感じがします。

それはまぁ性格をどう眺めてどう語るかにもよるのですが、実のところ「自信」だって、少し見方を変えれば、対称性がある軸(性格の捉え方)だと言えるでしょう。対称性があるということは、「自信がある」というのも一長一短だということです。「自信」があれば、伸び伸び楽しく生きられそうではありますが、自分に高い水準を期待することで苦しみが増したり、守りに入るべき状況で(自信が認知を歪めてプライドを醸成し)リスクを負ってしまったり、重大なパートナー選びで慎重さを欠いたりするかもしれません。「自信がない」ならばその逆が言えます。校長からすれば「自信がある」と「自信がない」は、左と右のような、対になる関係なのです(実は少し違うのですが、こうした軸と現実の性格について深掘りすると話が複雑化するので割愛します)。

人の性格は様々で、本来は分類など存在せず、まるでどろどろしたスライムのように「一定の形を持たないもの」でしかありません。ただ、それを無理に、何らかの形に分類するにせよ、様々な性格タイプに「優劣」は存在しないのです。現代社会に合っているとか、乱世に合っているとか、環境変化が激しい時期に合っているとか、状況や目的を限定すれば優劣はつきますが、性格そのものに優劣はありません。

ですから、例えばものすんごく褒められている子どもがいても、ものすんごく恵まれている子どもがいても、校長は「まぁそれでも、その性格なりの壁にぶち当たるから。そこをどうこなすかにかかっている」と思って眺めています。そんなにすんなりいくとは思っていません。

超当たり前のことを言いますが、我々は全知全能ではないですし、子どもなどは足りないところだらけですから、大量の課題を抱えています。しかも、それぞれの性格によって、課題の偏り方が違っていて、いつか人生の中で「その人なりの」大きな壁に当たるのです。単純に言えば、上手くいくところまで上手くいき、いつかその人のボトルネックとなっている箇所が試されて苦しむということです。

例えば競争心や自己完結する傾向が強い人ならば、思いやりを持つことや、人と協力したり人を上手く「使う」ことに課題があるかもしれません。例えば天真爛漫で感じたままを表情に出す人ならば、愛されることには強いかもしれませんが、人につけこまれやすいかもしれませんし、駆け引きや根回しをして有利な運び方をすること、悪い状況を無理矢理に突破することなどに課題があるかもしれません。「このタイプならば、そのままいけば、ここが伸びにくい」という部分が、それぞれにあるのです。

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Aが伸びやすい人ならばBは伸びにくいだろう、というところが必ずあります。放っておくと「Aが80まで伸びたがBはまだ10だった」ということになるのです。そして多くの人がそうやって成長しますから、いち早く、Bを「それなり」にまで育てると、とても魅力的な人になるのです。例えば強気でガツガツして超負けず嫌いなのに(Aは100なのに)、最低限人の痛みが分かるしマウントも取らない(Bは50まできた)、ということが年齢のわりに早めに達成されると、周りからはすごく魅力的に映ります。

でも、その足りない部分(B)は、どうしてそんなに伸びないのでしょう。

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