
パソコンやネットを使わず絵を描いてみた
2025年1月、久しぶりにアナログで絵を描いた。
普段の仕事では、手描きにせよ最終的にはパソコンに取り込んでPhotoshopやIllustratorで編集したデジタルデータをネットで送るのだけど、その際「先方でも編集しやすいこと」が求められている。
たとえば猫の絵柄の商品を作るときに「ふわふわの毛並みを手描き風タッチで」と依頼された場合は、手芸店で売っているぬいぐるみ自作キットのように前後の脚・顔・マズル・目などパーツごとに素材(毛並みや陰影)を作り、別に作った全体のポーズ(手芸キットで例えると型紙)に当てはめて組み合わせて、後からポーズ、パーツどちらも、自分でもお客様にも動かしやすい(修正しやすい)データにしている。
街並みの絵の場合は窓や屋根やドア、ドアノブ、木、街灯など、パーツ(レイヤー)の数はもっと多くなる。ただすべて作るのではなく、ストックしている自作の手描き素材(テクスチャ)もよく使っている。
仕事をはじめた頃はパソコンを使っていなかったので、紙に描いて完成させたものをお客様に見せて(デザインを筒状にして会社を訪問するか、宅配で送るかしていた)、修正指示をいただくと紙を切り貼りしたり絵具を塗り重ねたり、最悪の場合は1から全部描き直すこともあったので、それを思えばパソコンの出現はとてもありがたい。
ただ、パソコン中心で仕事を続けているうちに、いつしか私は「一枚の絵」を描くことを一切しなくなった。イベントで販売するためにオリジナルの絵を趣味で制作する時でも「他のアイテムにも使うかもしれないし、配置をかえるかもしれない」と考えると、仕事と同じように「編集できるデータ」を作ってしまう。
だからといってデジタルだけで絵を描く技術が向上しているわけでもなく、どうも中途半端だなぁ。
そんなことを長年思いながら時代の波に身を任せていた私が、久しぶりに一枚の絵を描くことになり、よい刺激になったので、後半はその話です。
******
昨年12月、出先で小さな美術館にふらっと入ったところ、思ったほど展示作品が多くなくて手持ち無沙汰になり、資料コーナー的なところもじっくり見ていたら、他の展覧会などのチラシの中に、ある絵画展の応募要項を発見。
その絵画展で昔、父が受賞した関係で私も新幹線+泊まりがけで行ったことがあり(亡き父は公募好きで、なぜか高確率で受賞していたので、私や兄が関東の会場へ代理で行ったり受賞の様子の撮影要員として呼ばれたりした)、そこで食べた白米がとても美味しかった記憶がよみがえり、ふと「私も一度、出してみようかな」と思いたったのだった。
まず応募要項にF10号サイズ(53.0㎝×45.5㎝)とあったので、年末に画材店で水彩紙(半切78.8㎝×54.5㎝)を買った。普段はB4のスケッチブックやF4の水彩紙を使っているので大きな紙を買うのは久しぶりで、画材店で紙を巻いてもらった包装紙の大きさにも丸めた紙が収まる長いレジ袋にも妙に感動。

そして下書き。まずは手持ちのA4用紙の一部をカットして、完成サイズと同比率の縮小版を描いた。ネットで画像検索などはせず(流行の絵、今風の人気の絵を真似しないように、それ以上にネットで映える素敵な絵、いい絵に圧倒されて描く前から「自分には無理」と落ち込まないように)手元にある好きな絵本や展覧会の図録などを参考に何種類か思いついたものを描いてみて、縦長で進めることに決定。消しゴムのカスがとにかくたくさん出て、「ああ、昔は羽ぼうきを使っていたなぁ」と思い出し、途中からは引き出しで眠っていた「ねり消し(ゴム)」を久々に使った。
小さい下絵ができると、紙を折りたたんで6つのパートに分け、完成サイズの紙に6分割の線を入れて拡大しながら描き写した。

原寸の下書きができて遠くから全体を見ると、小さな絵では気づけなかった大きさのバランスの違和感に気づき、部分的に拡大したり、いくつかのモチーフのかたまりを移動させたくなった。
そこでパートごとにスキャンしてPhotoshop(画像編集ソフト)で繋げて、修正・変更したい箇所をコピーして編集して上から貼り付け、そして出来た修正データをA3用紙3枚にプリント(コンビニのネットプリント利用)して貼り合わせた。この一連の作業はパソコンとネットに頼った。
そして買ってきた水彩紙に下書きをトレース台上で写して、いよいよ着彩。
ところでうちにある大きな机は現在パソコンと周辺機器用になっているので、アウトドア用の折り畳み机の奥行き40㎝で作業をしなければならないけれど紙がはみ出してしまうため、資源ゴミに出す直前だったダンボールを下に敷いた。たまたま、その数日前にあまりに寒いので窓に立てる断熱シートをネットで買って届いたダンボールがあってよかった。

本来なら一度小さめのサイズで着彩して色やタッチを決めてから本番に進んだ方が良いのだけれど、締め切りが間近に迫っていることと、やっている途中に飽きたりやる気が失せたりするのが怖かったので、失敗したらすぐやり直すか応募をやめればいいのだから、と一発勝負で塗りはじめた。

案の定、着彩を進めるうちに迷走した。実はその絵が「輪郭線があるあっさりした絵なのか、塗りで印影を表現したやや重めの絵なのか」その時点でも定まらず、背景を黒にしたいという思いはあるけど、どうやって黒の上に明るい色のモチーフを載せる表現をするか、色の塗り方も決めかねていた。パソコンを使えば背景色は簡単に変更できるのだけど、紙に色を塗るとなると、ううむ。
それでも数週間、細切れな時間を使いながらああでもないこうでもないと描き進め、ときには軌道修正し、塗り直し、途中で明らかな失敗があり、いっそ紙を破って描き直そうか、それとももう諦めて別の機会にしようか、などと頭を抱えるうち「これだから私は」と人生否定しそうになったり、諦めきれず何度も遠くから眺めてため息をついたり再び気を取り直したり、透明水彩の部分を残したりアクリル絵の具でこってり塗ったりしながら、ある時「完成」というゴールにたどり着いた。失敗した部分に何度か色々な絵の具を塗って、その何度目かの色が紙にのった途端、「これだっ!」とビビッとくるような感覚があったのだ。

上の絵は、完成した絵をダンボールに梱包した図。
アナログの絵は塗ってしまうと取り返しがつかないので丁寧に描くし、失敗したら今度はどうにか修正しようと必死になるし、変に隠すならこの失敗を生かしてと工夫もするし、やってしまったことは元には戻らないけれど、結果的に塗りムラが「味」になったり奥行きになったりするものだなぁと、最後の方で感じることができて、まるで人生のようだなぁと思った。
アナログ絵も人生もパソコン作業のように「戻る」ボタンを押せない。一方で、一枚の絵を破棄して別の絵を描き直すことができるように、人生も新しいキャンバスでいつからでもやり直すことはできるのかもしれない。
こんなに不穏で残酷で絶望的でいつ精神や肉体が病んでもおかしくなさそうな、ひょっとしてすでに私自身、結構もうおかしくなっているかもしれない時代に、そんな前向きなことを自分がまだ考えられるなんて、たまには(自分比で)めずらしいことをやってみるのも大事だなと。
今回、出先の商店街の店頭のラックで小さな美術館のチラシを見て閉館40分前にギリギリ駆け込んだ、という気まぐれがまずあって、そこで「せっかく来たのだから」と隅々まで見学していて一枚の応募要項を見つけて、そういえばスマホもパソコンもない時代にはこういう出会いが結構あったよね、と懐かしくなりました。これからもそうした出会いを楽しみに、街を歩きたい。
*トップ画像は、絵画展に出品する絵を最後にトリミングして出来た数ミリ幅の切れ端が鮮やかだったので白い紙にスティックのりで貼って、他にも冒頭で書いたデジタル用の素材(寿司の絵を描いた時のイクラとかクマの耳のテクスチャなども)も散らして即席でコラージュしたものです。