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広告・宣伝とは何ぞや(文学フリマ参加後記あり)。

(5/31 文学フリマ終了後の追記あり。結果、感想部分は一番下へどうぞ)
*本文の後にヘッダー画像の漫画を載せますので、お時間ない方はスクロールして漫画だけでもどうぞ〜

外出先で目に付く駅やビルの上の看板。「広告募集中」の文字を見るたび、「あそこに自分が広告を出すなら、何をどう伝えようかな」とつい考えてしまう。最近よく乗る路線バスの、乗降者が特に多い(ので停車時間も長い)停留所前のレストランの上側面が募集中で、それを見るたび「ここに看板を出して有効なのはやはりクリニック系だろうか。ひと月いくらなのかなぁ」などとぼんやり考える。

もう何年も前、東京ドームに行ったときに、漢字二文字だけの看板を見て「なんだろう」とやけに気になったものの、結局検索などはしなくて謎のまま放置して、ずいぶん後になって、それがミネラルウィーター(訪問販売系?)の広告だと知ったことがあった。その時驚いたのは、私はその名称をドームの座席にいた光景ごと(試合の結果、阪神が負けたかどうかは失念したのに)覚えていたということなのだった。買う境地にまでいかなくとも、好感を持たなくとも、ただ「認知」しているというだけで、例えば訪問販売に来られたり電話がかかったりしたときに、「ああ、あの大きな看板でおなじみの…」と自分が多少気を許してしまうことには繋がるだろう。

また、テレビのバラエティ番組などに俳優さんが出てくるとたいてい「番宣です」とおっしゃったり、言わずとも映画や舞台、ドラマなどの告知が画面の一部に表示されたりするのだけけれど、それを見たからと言って、映画を観に行ったことはほとんどなく、その方が早朝から深夜まで、とにかくあっちにもこっちにも出ておられて大変だなぁ(どんだけ私はテレビを見ていたのかという話だけど)と心配になるだけの話で。それでも、映画の宣伝などで耳にしたタイトルの原作本を別のところで目にして手にしてみたり、随分時間が経って再演されたときに心境の変化があってその舞台を観に行ったりすることがあるので、宣伝というのは無駄に見えて、まれに、思いがけないところに作用することを経験上知っているのだった。

何もしなかったら、商品名、あるいはお店、作品名など、その存在さえ誰にも知られずに終わってしまうけれど、何か少しでもすれば、もしかしたら何か、かけがえのない出会いに繋がることもある
そう信じるからこそ、いやそう願いを込めてどなたも発信しておられるのだろう。

そんなことで今日私も宣伝のためのnoteを書いているのだった。

文字が続くので、ここで気晴らしのイラスト。

文学フリマに出展するのは二度目。それまでは「デザインフェスタ」という雑貨・アート系のイベントに参加することの方が多く、もっと前はアート・クラフト系のイベントや手づくり市などに参加していて、けれど、私はいつもどこでも一匹狼(1人参加・徒歩参加)なので、どこに行っても他の方の展示や客層を見て「ちょっと違ったかなぁ」と気後れしてしまうのだった。
デザインフェスタは学園祭のようで雰囲気は好きだけれど、ブースの展示(スペースだけ借りて台も椅子も自分で作るか調達するかレンタルする)に苦労して、費用面でも荷物を運ぶ点でも自分には負担が大きくて、「もうちょっと、こじんまりしたイベントがいいなぁ」と思って、それで以前から(客として行くつもりで)気になっていた文学フリマの方に参加してみたのだった。
文学フリマではブースに長机が最初から用意されていて、椅子も借りられるし、出展料もデザインフェスタほど高くない。スペースが小さな分、コンパクトに展示できそうな点も良かった。
けれど、私の趣味の創作は「文学」って感じでもなく、本当に本好きな人たち界隈に混じってブースを出すのは、何とも申し訳ないような気まずいような部分もある。前回、「やばい、なんか場違いなところに来たかも」とうろたえていたら、華やいだ人気のブースと比べるととんでもなく静かだけれど、それでも私のブースにも、何も言わずに「これください」とやって来るかた(誰なのか、どこで私の作品を知って買おうと思ったのか分からないまま)が思いのほかおられて、「どこで誰が見てくれているか分からんもんだなぁ」と不思議に思ったし、本が好きな方は、世間の評判ではなく直感で選んでもくださるのかなぁ、などとじんわりもした。
(ここから追記:文学フリマに出すのは、上に書いた理由以上に、今回は特に自分が編集した「喫茶店のお客さんノートを読む」というZINEを、興味を持ってくれる方に届けるため。自分が書いたものではないだけに、見知らぬ誰かの書き込みを、その44年分の集積をものすごく面白い、素晴らしいと思っていて、自分の雑貨を売るより漫画を読んでもらうより今はこの本を1人でも多くの人に読んで欲しいと思っていて、実際に読んだ人から熱い感想を頂いたりするのでもう少し頑張って宣伝をしようと思ったり。でも読んでもらわないとその良さがわかってもらえないようなところがあって難しいなぁ…と思いながら「こういうのが好きな人が会場にはいるかもしれないと信じて」文学フリマの日を待っているのでした。)

70〜80年代が特にお気に入りです。昭和最後の日の書き込みも。

文学フリマの運営の方からはブース名と番号と配置図、作品の紹介をSNSで積極的に行い、友人知人に来場をお願いするように、と案内があるけれど、Twitterで私はすでに何度もこの話をして、フォロワーの方にこれ以上同じことを読んでいただくのは気が引けるのだった。

ただ、せっかくTwitter以外にnoteも利用しているので、やはりnoteでも一応宣伝をしておこうと思い、今日は昔描いた「コバちゃんマンガ」を載せてみることにした(「ハニホ堂つうしん」という50円の読み物の最新号に別の話のコバちゃんマンガを載せているので)。
何か親近感か、興味か、そんなものがわずかでもよぎった方は、5/29開催の文学フリマ東京会場か、はたまたまた今後、どこかの場所で、あるいはこうしたネットを通して、作品を通してお会いできましたら幸いです。
後日、このnoteでは、展示を終えた感想や宣伝効果?の結果報告などを書きますね。(この記事の一番下に追記あり

では最後にコバちゃんマンガです。右からタテ4コマを上から下に、続けて左のタテ4コマを上から下に読んでください。

コバちゃんマンガなど、他の話もご覧になりたい場合は、4コマ用Twitterでどうぞ。

こちらが主役っぽいかもしれませんが、「コバちゃん」は人間の方です。

↑ここまでが、数日前に書いた記事で、ここから下がイベント終了後の感想です。

【文学フリマ東京、出展後の感想】

 本来、独立した記事で「文学フリマの感想」と題して書く予定だったのですが、新しい記事をアップすると大げさになってしまうかなと、特に反省する内容でもあるためここでこっそり触れてお茶を濁すことにします。

まず、結果的に多くの方に立ち寄っていただき、前回よりも賑わって、たくさんお買い物をしていただけたことは、とてもありがたく幸せなことでした。特に喫茶店のお客さんノートの本を多くの方に立ち読みしていただけて嬉しかったです。
福島県相馬市のグッズ、相馬手ぬぐいやブックカバー (共に工房もくもくさんとのコラボ)も多くの方に手に取っていただけて、出品してよかったです。
 ただ、せっかくあれほどたくさんの方にお越しいただいたのに、来てくださった方が偶然通りがかったのか、ネットで何かを見てわざわざ足を運んでくださったのか、ほとんどどなたともお話しすることができず分からずじまいでした。
その反省点をここで振り返っておきたいです。

・ハニホ堂の失敗・・・1人では無理!

私はどこのグループにも属さず、創作仲間的な人もほぼいないので、デザインフェスタや手づくり市も含め、前回の文学フリマも1人で出展していて、そのことに違和感を覚えたことは今までなかった。

たまにイベントに出る時は、関西では姉や、時には甥や名古屋の従妹も手伝ってくれて、関東では仕事関係の友人2人が会場に遊びに来たついでにいつも店番をしてくれて、みんな改まって頼まずとも、「どうぞぉご覧ください〜」と感じよく気さくにお客さんに声をかけて作品の説明なども上手にしてくれて、その場を和ませる才能を持っているようだった。
思えば、私はこれまで「1人で参加」と言いながら、実は周囲の人に助けられてイベントを切り抜けてきたのだった。

今回、いつも来てくれる友人の1人が同じ日、他府県で別のイベントへの出展を決めていて、そうなると残りの1人がどちらか片方の会場に顔を出すのは何となく難しいだろうと想像がついたので、今回は1人で乗り切ろうと覚悟していた。
京都から姉を呼ぶほどのことではないと思ったし、そもそも姉はその日、会社のイベントで休日出勤だと聞いてたので、いずれにしても無理なのだった。
ただ、1人で設営や店番をすることに、あまり不安はなかった。それよりもむしろ、「2ブースもとってしまった以上、間延びしないように展示を充実させて、少しでも足を止めてもらえるように楽しい展示にしなきゃ、ポツンとしたまま5時間過ごすのは辛いわ」と、体裁を気にする方が強かった。

今回、感染症対策で見本誌コーナーが設置されないと知ったので、より不安は高まった。知名度のない自分は、ブースに立ち止まってもらう努力を、あるいは「見に行ってみよう」と少しでも思ってもらえるようできることをしなければと、上に書いたように、Twitterや文学フリマ公式サイトのウェブカタログ上で宣伝を前回よりは熱心にやってみたのだった。

2ブース取ったのは、前回参加した時に、「狭いな」と感じたからで、もともと閉所恐怖症気味だからというのと、人混みが苦手なので少しでも自分だけの空間を確保したいという理由だった。
混んでいるカフェを避け、一杯の値段が高い店で「場所」を確保するのと同じ感覚かもしれない。

ただ、2ブースを埋めるには、ある程度の品数が必要だった。立ち止まってもらうために何が目を引くのか分からないので、あれもこれも(とはいえ文学フリマに合うと思う)お店をしていた頃の品を持参して展示したのだった。すると長机(これで2ブース分)には収まりきらなかった。

後半、友人が撮ってくれていた一枚(雑ですが背景を消しています)。おみくじのボードの左に写っている水のペットボトルは差し入れでいただいたもの。感謝!

本当はこの他に、木工作家さんとのコラボ商品(スマホや文庫などを立てられるユーティリティースタンド)なども置きたかったのだけど、すごい荷物量になるのでやめた。現地で机に載らずにダンボールにしまったままの雑貨もあった。上の写真は、後半に撮影されたもので、ブックカバーやポストカードも減っているが、当初はごちゃごちゃだった。本当はブース番号を書いた紙もプリントアウトして持参していたのに、掲示する余裕がなかった。そしておみくじやバッジ、ポストカードなどのプライスカードをつけ忘れてたまま終了してしまった。

会場には、人気の作家さんや出版社、サークルなどが多くおられたため、それを目当てに大勢のかたが来場されたようだった。良い天気で、感染症の面でも、以前より心理的に外出しやすい状況からか、前回初めて参加した時と比較にならないほど来場者数が多かった。その流れで私のブースにも恩恵があったのだろう。
いや、もしかするとうちを目指して来てくれた方が中にはおられたのかもしれないけれど、ほとんど会話らしきものを交わすことができず、それを知る手立てはない。
特に苦戦したのが画面左のマッチくじで、在庫を探すのに苦労してしまった。あいうえお順ではなく、いろはにほへと順なので、いちいち「いろは歌」を脳内で唱えながら段ボールの中を探すのだった。お客さんが欲しいものに限って品切れで、謝ってばかりだった。いっそ柄を隠して選べない状況にすればよかったのだけれど、見本で出している47種全柄そろっていないので、ガチャガチャのようなスタイルでは騙すことになってしまうと変に真面目に思い、選べるスタイルにしたら自分の首を絞めてしまった。

午後になり、元担当編集者だった友人が、既に持っているのに冊子を買い足しに、という名目で激励に来てお水やポカリスウェットを差し入れてくれたり、『鎌ちゃんの話』の著者、アサヤマさんがおにぎりを差し入れてくれたりして、少し気が緩んだ。けれど2人に何を話して良いかも分からぬほど、もてなすとは程遠い状況だった。手伝ってもらうにも、指示をする気力もなく、マッチ探しやブックカバー を丸めて渡すのかそのまま渡すのか、ふわっと二つ折りで渡すのかなどに迷いながら、バタバタしていた。
すると、来ないはずだった(いつも店番を手伝ってくれる)友人の1人が姿を見せて、私のすがるような目で状況を察したのか、そのままブースに入って私の代わりに次々とお客さんの相手をしてくれた。その後の私は彼女の助手となり、「はい、50円お釣りちょうだい!」とか「これはどこにあるの?出してっ」と指示されて「ほい」「へい」と従うだけでよかった。彼女がお客さんに説明などもしてくれて、その間私は水を飲んだり汗を拭ったりおにぎりを頬張ったりできたのだった。

事前に行きたいと思っていた他のブースには、ほとんど行けなかった。なので代わりに買ってきてもらった本も何冊かある。好きな漫画家さんが参加されていたのに、お話しするどころか、そのお姿を見ることさえできなかった。近くのブースの方ともお話しすることはほとんどなかった。お隣のブースや近くの出展者の方が見にきて、いろいろと買ってくださったのに、私ときたら、その後ご挨拶にいくこともできず失礼してしまった。
そして気になっているのが、最後に長テーブルの中央に貼られたシールを私はちゃんと剥がしただろうかということ。スタッフやボランティアの方に余計なお手数をかけてしまったかもしれない。

多くの方に立ち寄ったり買い物をしていただいたこと、お札がいっぱい手に残って帰りに友人とおいしいご飯を食べられたことはとても嬉しいし幸せだけれど、私は、何かとてももったいないことをしたように思う。
不用品を売るためにフリマに参加したわけではないのだから、何を面白がってもらっているか聞かせてもらったり、また、ここに並べているのはどんな本なのか伝えたり、せっかく来てくださった人に、普通の店で手にするのとは少し違う体験をしてもらうこともできたはずなのに。あまりにも私は「他の用事」に忙殺されて、その場にいたのに心ここにあらずだった。

1人でできることには限りがあるのだから、その日、その催しで自分が何をしたいのか、何を目指すのか、何を一番大事にするのかを考えて、無理をして欲張らず、見知らぬ人や他の作品とのご縁を得ることにもう少し重点を置けたならなぁ…

そんなこんなで、イベント終了後、幸せな気分と反省点とでごちゃ混ぜになっている自分に、先ほどほんの少し、リベンジの機会があった。
国民年金の支払いにコンビニへ行こうと表に出たら、明朝回収の燃やすゴミを誰かが早い時間から出していて、おそらくその袋をカラスが食いちぎって中身が散乱したらしい。その場所に出すのは限られた住民だけなので、掃除するのは大家さんだろうと思った。けれど、自分が見つけた以上、とりあえず部屋から箒とゴミ袋を持って降りて、散らばったゴミを片付けた。その上で大家さん宅のインターフォンを押して事情を伝えると、状況は知っていたけど具合が悪いので後で片付けようとしていたとのことだった。ご年配の大家さんは本当にしんどそうだったので、もう自分が片付けたこと、明日の朝自分がゴミを出すまで敷地内に戻しておくことを伝えた。破れているゴミ袋を、念のため自分のゴミ袋で二重にして閉じることも。
大家さんはとても恐縮されていたが、私は「29日のポンコツな自分のマイナス分を、これで少しでも取り返すぜっ」という思いだった。
けれど私がどこまでも俗人であるのは、こうして恩着せがましく大家さんに「自分がやりました」と報告するところなのだ。

第34回文学フリマ東京は、私にとって華やいだ時間でありつつ、欠落感も残りつつ、それ以上に立ち寄ってくださった方、お買い上げくださった時の笑顔など、いろんな方のお顔を思い出し、友人たちの優しさと、その日イベントが無事開催されて自分も元気に参加できた幸運、運営や、他の参加者の皆様に感謝でいっぱいです。人は1人では何もできない。私は本当に痛感しました。

さて、話は変わりますが7月ごろから世田谷のギャラリーカフェで小さな棚を借りて展示する、「一箱ハニホ堂」というのをやってみようかと思っています。私はその場にはいなくて、箱に全てを託し、お店の方にお任せする形ですが、毎月展示を変えられたらなと。今日を反省し感謝して、そいでまた明日は次へ!別の場所へ!なのであります。

最新号のハニホ堂つうしん。本当に、時は止まってくれませんね。


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