絵・観音経偈(2022追記あり)。
絵般若、十三仏真言に続いて、今回、『観音経』を絵にしてみました。
般若心経には以前から親しみを持っていたものの、観音経の方は法事の時に耳にしても、今ひとつ記憶に残らなくて…
長くて敬遠していた部分もあるのですが、今回、絵にすると同時にようやく内容をざっくり知りました。
参考にした入門書によると、昔(2500年程前)、お釈迦様が説法会を催され、大勢の弟子や菩薩たち、天上界の神々などを前に語られたのが『法華経』だったそうです。それは28品(章)に分かれていて、その中の25番目の章が『観音経』なのだとか。
私が持っているポケット経本に入っているのは、偈文(詩)で表現された、お釈迦様と無尽意菩薩とのやりとりの部分なので、今回は「観音経偈」を絵にしました。観音経の前半部分では〈生きていると誰しも色々な災難に見舞われるが、そんな時、観音様のご真言(おんまかきゃろりかそわか)を一心に唱えると、難を逃れる出口が見つかる〉という話の具体例や、観音様の神通力について、そして人々を救うため様々な姿に変化する様子などが語られ、後半の偈文でも同じような内容になっているものの、参考書(後掲)によると前者が「外部からの災難」を扱っているのに対し、後者は「自分の内側にも起こる災難」について語られているとしています。
世尊(お釈迦様)は無尽意菩薩に問われ、観音様がいかに人々を救おうとしているか、そのためにどのような願をかけたのかを語ります。観世音菩薩は人々の心の内側にある災難の種、例えば【1.嫉妬心や怒りに燃える心などの「心の火難」が起こる時や、2.愛欲の海に溺れ(性の誘惑に負けるなど)そうになった時】、観音様のご真言を一心に念じれば火を消し、身も心も溺れることを思いとどまることができるように、という願をかけた、と。
あるいは、【3.地位や名声を手にした人が有頂天になり、足元をすくわれて転落する危険にある時、4.悪い心が起きて、お金がらみや恋愛で道を外れた行為に走りそうな時、5.いじめに遭ったり誰かに追い詰められた時、6.わがままな王様のように増長し凶暴化する自分の気持ちを制御できない時、7.結婚や会社、世間のしがらみなどに囚われて苦しむ時】などに、観音様のご真言を一心に唱えると無事にやり過ごせたり、考えが変わったりするように、という願をかけた、と。
【8.誰かに呪いをかけられたり、悪意を向けられる時、9.みんなからつまはじきにされ、差別やいわれのない害を受けた時、10.どう猛な獣、またはそんな暴徒に囲まれ傷つけられそうな時、11.ムカデやマムシ、蛇などの毒気のように、自分の心が毒を持つほどの怒りが起こった時、12.雷のように、心が怒り狂い泣き叫んだり大騒ぎしたり精神の波が激しい時】などに、観音様のご真言を一心に唱えると危機からは逃れ、自分の心も晴れるように、という願をかけた、と。
観世音菩薩はそれら12の難儀なことが起こった時に「この私を信じ、真心込めて私を念じたものを、なにとぞ百パーセント救わしめたまえ!(※)」と願をかけたと世尊(お釈迦様)は語り、様々な悪道(欲にまみれ道を踏み外すこと)や生老病死の苦しみなどからも救い出そうとされている観音さまの話が続くのです。
この部分ではひたすらに「衆生の苦悩を救わねばならぬ(※)」そして「衆生に楽しみを与えてやらねばならぬ(※)」という観世音菩薩の哀れみや慈しみの気持ちについて、また人々を救うために説く戒めについて語られています。
偈文が終わったところで、説法会の会場では、持地菩薩(地蔵菩薩)が起ち上り、お釈迦様に(次のように)申し上げたと続いています。「これまで観音様についてのお話を伺った者は、大変な功徳をいただいたことになるのですね」
そこにいる84,000もの人々(衆生)は皆、観世音菩薩のお話に触れて、「ほかに比べるもののない、無常の智慧(阿耨多羅三藐三菩提)。しかも誰でも平等に得られる本当の仏の智慧を身につけたい!」(カッコ内筆者。文は参考文献より引用(※))という願いを持ったそうです。
「あのくたらさんみゃくさんぼだい」は般若心経にも登場するフレーズなので、絵般若と同じものを配置しました。
観音経偈と最後の部分を漢字で見ると、「念彼観音力」が何度も登場することがよくわかります。「いろはにほへ」は絵にした時の区切り、縦の線は内容ごとに区切っています。
最後に、一心に唱えると救われるという観音様のご真言がこちら。
参考文献によると、ピンチの時、辛い時、災難に見舞われた(そうな)時に、ただ一心に観音さまを念じれば救われるという内容でしたが、それ自体より、むしろ「はるか昔からずっと、多くの人が人生上のあらゆる災難で苦しみ、そこから抜け出そうと観音さまに手を合わせて救いを求めたのだなぁ」ということを想像して、「自分だけが苦しいのではないのだ」「人生には外から内から悪や災難がやってくるのだ」という、当たり前のことに気づけた気がします。
私の場合、身体のあちこちの痛みに悩まされることが多く、そのことから何も出来ない日があるのですが、そこに悲しいニュースや将来を悲観するような情報に触れると過敏に反応してしまったりして…ぐったりすることがあります。
ここ数日もひどい痛みで夜中に目をさますほどだったのですが、寝ていても楽にならないし、と思って作業をしてみたところ、今、痛みがほぼ去っているのに気づきました。観音さまのパワーかどうかはともかく、何か無心に熱中することがあれば、思い悩んでいることから少し距離を取れるのかも…
そんな不思議体験をしたところでおしまい。
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2021.8追記
観音経偈のブックカバー を作りました。二枚にわたって収録。裏面にプチ解説をつけました。
2022.5追記
こちらの観音経偈ブックカバー (ポスターとしても)は二枚ずつ2セット入りで2022.5.29(日)文学フリマでも販売します。
使用テキスト:『仏前勤行次第』2016(青本)/高野山真言宗教学部発行)、『観音経偈』妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈
参考文献:『図説 【観音経】入門』2005 鈴木出版 大栗道滎 著(文中の(※)部分はそのまま引用)
*短く説明するために、かなり雑に個人の解釈で書いてしまいましたので、不備や間違いもあるかと思います。詳しくは専門書やお寺関係のサイト等でご確認ください。