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その後の話。

関東に引っ越してきて、9ヶ月。
シロアリが発生したり浴室の換気扇が壊れたり、郵便や宅配の誤配が何度かあったり、シャワーがぬるいか熱湯かしか調節が効かないなどの不便は多少あれど、徒歩30秒で商店街の立地&優しい大家さんの敷地での暮らしはいい感じです。

と同時に、前に住んでいた土地(奈良市)がいかに魅力的な場所だったか、そこに点在するお店の個性やクオリティがいかに得難いものか、思い知ることにもなりました。

先日、こちらで知り合った奈良出身の方が「地元にいた頃は大阪や京都、兵庫の人には遠慮するようなところがあって、奈良なんて何にもないし…とかずっと思っていたんですけど、東京に来てから周囲の人に『わぁ奈良、いいね。大好きだし憧れる〜』とか言われるようになって、なんかびっくりなんです」というようなことを仰っていて(実際にはもう少し自虐的な感じ)。

地元の京都を出てから鎌倉、横浜、小田原、一旦京都に戻ってから奈良、と移住した私は、これまで全て観光地をあえて選んでいたので引越し後の生活そのものがいつもどこかレジャー感覚だったのですが、今初めて東京の住宅地に住んでみて、なぜか「地方」にとても憧れる気持ちが膨らむというか「ここじゃないどこか」への好奇心が湧いてくることに気づきました。
つい他府県のアンテナショップを覗いたり、大阪(住吉や阿倍野界隈)の不動産屋さんのツイッターなど(残したい古家や長屋活用を積極的にされている)を連日眺めたり。日本の中心地、首都に来てみたら、そこが「ハブ」だと実感するというか、「ここからどこへ出かけてゆこうか」を思い描きやすい場所なんですね。

ここ数年、「自由に動けるようになったら、真っ先に博多座や小倉の松本清張記念館に行きたい〜」と思っていた私。ちょうど今度、好きなミュージカルの博多座公演のチケットが幸運にも取れて(世の中は今もこんな状況なので、無事に公演が行われるかは正直当日まで不明だけど)路線検索をしたら、ANAで国内どこでも片道7000円セールを開催していてびっくり。京都から博多に行った時の額から比べて、なんてお得なのでしょう。そして便数の多さにもびっくり。そうか、これが東京なのか〜と私は最近ようやく実感しています。

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関東に越してきたのは、昨年の夏、身内が救急搬送されて、病院から留守電が入っていたのに私は5時間以上気づかず、ようやく事情を知ったところですぐに駆けつけることもできず(感染症対策で見舞い・面会禁止に)、二度目の入院もいずれあると知ったときに「ああ、近くに住んでいた方がいいな」と思って決意したもので、当時お店をしていたのでお客さんやお世話になっている方々に閉店を伝えるためにnoteに経緯を書いたことがありました。

この前、知り合いの方から「その後、いかがですか?」ときかれたので、遅ればせながら、身内は通院やリハビリは続けていますが今は元気です、ということを書いておきます。ただ、当初、関西には数年で戻る予定だったけれど、それは難しいかなとも思っています。

いずれにしても、遅かれ早かれ、結局私はお店をしていた家を出ていたでしょう。

もともと、どこかでお店をしながら暮らしたいと考えて各地で探したものの見つからず、最終的に奈良で見つけた物件は、家賃的に自分の予算を上回っていて完全に高嶺の花でした。
それでも、介護のために住んでいた実家を姉に明け渡すことになっており、遺産相続の手続きが終わったらなるべく早く家を出なければ、という思いと、絶対に小さくてもお店をするのだ、私は絶対諦めないぞ〜と意地になっていて、関東に住む大家さんのお宅までご挨拶に行って熱意を伝えて(住宅用にとの条件だったので、お店をするお許しを得るために)、当時かなり気持ちの上で背伸びをして契約を交わしたのでした。

お店の売り上げが、その「背伸び分」を補ってくれたらよかったのだけど、10円50円100円という品物を置いていることと、毎日のように会いにきて話すのを楽しみにしている年配男性のエスカレートする言動に滅入ってお店を開ける日が少なくなり(他にも色々な方がおられたのでなんだかんだで疲れてしまった)、そのうち感染症拡大で外出自粛期間に入ったりして、それなのに好奇心でクラウドファンディングを思い立ち、気づいたら何かとお金を使っていて、一方仕事があまりうまくいかなくなり、何度か定期預金を崩すことになったのでした。
だから、俯瞰してみると、「よく2年もお店できて、あんな風情ある家で住めていい経験だった〜」という話なのかなと。

その家のお向かいや近くの何軒かが更地になっていることをTwitter経由で知ったり、知り合いの方から「奈良情報」と題して画像付きメールで教えていただいたり、別の方からも新店舗や閉店の情報などとともにお知らせいただいたりして、私の暮らしも変わったけれど、街も刻一刻と変化しているのだなぁと時の流れの早さに胸がキュッとなります。そして奈良の人の親しみやすさというのか、あったかさにも救われます。

ちなみに今の住まいは以前の家賃よりも数万円低いのです。阿佐ヶ谷姉妹のドラマを見て感化され、大家さんが近くに住んでおられるアパートに絞って探して正解でした。

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今年も残り、あと4週間。
2022年を振り返ると、色々と気づくことが多い一年でした。
雨の日に鳥がうちのアパートの庭の木やご近所のベランダ等で雨宿りをしていて、雨は嫌なものと思っていたけど、鳴き声がとても美しく響くこと。
今まで当たり前のように受けていたお仕事が、ある時突然切れてしまうことによって、途方に暮れたのちに、だけどよく考えてみたら、こんなにも長い間、一人の人間に任せてくださっていたのだなぁという、そのこと自体への果てしない感謝。
熱が出て数日寝込んで、痛みもだるさもない何気ない1日のありがたさ。
戦争なんて絶対に嫌だと思いながら、何もできないままにいつの間にか悲惨なことになっていて、だけどその前から紛争は各地で起こっているし、人権侵害も食糧危機もあちこちで起こっているのに、経済危機ばかりがクローズアップされていて、何より自分も自分の生活のことばかりを心配していること。不満や愚痴が多いのは、欲望が大きいせいで、今満たされていることへの感謝を忘れていること。

ドラマなんて最近あんまり観ないなぁ…とか思っていて、この数年配信やYouTubeを見ることが増えていたけれど、今年友達から教えてもらったり、偶然も含め、何作も面白いものに出会えて毎週の楽しみになり、本当に久しぶりに「テレビもいいねぇ」と思ったこと。

人は第一印象で決めつけてはいけないということ。素敵だなと思っていて、その後で苦手になる人もいるし、逆に、苦手だと思っていた人の魅力を知って大好きになることもある。だから自分も誰かに「ふんっ」てな態度を取られても、「まぁね、あの人はきっと私の本来のいいところをキャッチするセンスがなかったのね(けどいつか何かの拍子にめちゃ仲良しになってるかも)」と思えたり。

実際の行動としては、引っ越しをした以外に大きな何かをした覚えがなく、唯一日々を(途切れ途切れだけれども)4コマ漫画にしてTwitterに載せていたので、後で2022年はこんな感じか、と思い出せるのはよかったかもしれない。
けれど今年勉強しようと思っていた四柱推命については、何冊か読んで頭がねじれそうになり、図書館で借りた『日本で一番わかりやすい四柱推命の本』でもついてゆけなくなって落ち込んだ。易経の本から読み始めることに軌道修正したものの、今から3年くらいでどこまで勉強できるか不安です。
だけど興味あることがある、分からないことがある、というのは生きる目的にもなるので喜ばしいことだとも気づく。来年こそ!

お店を閉めて、今年はイベントには2つだけ参加したものの、新しく何かを作ったとは言い難く…ただ、昨日と今日のんびりする時間があったので、色シリーズの絵を久しぶりに描いてみました。

2019年からゆっくり描いてきた色シリーズ。赤から始まって、だんだんネタ切れになってきてしまったのですが…下の画像がこれまでのラインナップ。確か右下の「白」も今年作ったような気がします。

これに今回、「茶色」が加わりました。

*ポストカードにするには少し寂しいので、後日「きのこの山」などを追加。

オレンジピールチョコは、サボって以前作成した「オレンジ」の画像からもらってきました。

繰り返しになりますが、残すところあと4週間。笑っても怒っても悩んでもぼーっとしていても同じ時間の長さなので、流れに任せたり逆らったりしながら精一杯生きたいと思います。皆様もどうかお元気で。