漫画感想: 甘木唯子のツノと愛

4年前、文化庁メディア芸術祭にふらっと寄り、アニメーションAiry meに思わず見入ってその場で3度もみてしまいました。
それ以来、久野遥子さんが描き出す世界観のファンです。
久野さんの作品をみると、悲しくて切ない記憶と柔らかい毛布に包まれる感覚が交差するような、無機質だけど温度のある生物をみるような、むごい死に方で死んだけどふわふわと天国にきたような(死んだことないけど)、正反対の感覚が同時に沸き起こります。

以外ネタバレ有り感想。

唯子は中学生にあがったばかり、まだ本能のままで感受性が豊かに働く部分がたくさん残っている。
なんだかんだ兄の言う通りに、明確な目的を聞かされないままツノの特訓をし続けるが、その一方で、兄の長い苦しみや、父がひっそり流す涙を自主的に受け取っている。その他の場面でも、野重さんの表情をよく見ていたり、クラスメートたちの言葉ではなく目から発しているものを見ている。観察ではなく、共感している。この唯子の「ひとをみる」優しさはもしかするとお母さんゆずりなのだろうか。お母さんは、よくみえるが故に、時を重ねいろいろな現実が辛くなってしまったのだろうか。
母親から捨てられた、という共通点をもつふたりの兄妹の中で生まれたツノは、その共通点、ある意味絆を表していると思うけれど、最後の描写では、絆を壊したのではなく、新たに絆をつくったように見えた。自分が被害者と思いつづけるかぎり無意識ににじみだす卑下感や、愛するが故の憎しみなど、負の水たまりたち。の喪失。まったく悲しい結末ではない。ふたりの成長だ。でも読後のこの独特なせつなさはなんだろう。
作り上げたものがなくなるのは、たとえ負の水たまりでも、切ない。ふたりがそこにしがみついて現実を受け入れようとした時期もあったのだから。

#漫画 #漫画感想 #甘木唯子のツノと愛 #久野遥子

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