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花と天気
「雪、たくさん降らないといいですね」
そのひとは、ほほえみながら言った。
「そうですね」とわたしも笑って頷いた。
わたしは、このひとのことを好いていた。とても、好ましく思っている。
もう少し気の利いた言葉が言えればいいのに、いつも笑って頷くばかりだった。
「ご予定とかは大丈夫ですか?」と問われたので、
「引きこもります」とまた笑った。
週末の予定の、なんだか模範解答のひとつみたいになっちゃったけど、うそじゃなかった。
*
「雪、たいしたことなくてよかったですね」
週が明けてしばらく経ってから、そんなふうに言われた。
そして、思い出したのだ。週末の会話のことを。
「そわそわしながら窓を開けたのに、ぜんぜんたいしたことなくて」
「ひどい予報のときほどなにもない、って感じありますよね」
「ね、不思議。でもひどくならなくてよかったです」
今日は少し会話をして、「いつもありがとうございます」と「またお願いします」の言葉で見送られた。
わたしも「こちらこそ、いつもありがとうございます」とほほえんだ。
それは、いつも行く花屋での出来事だった。
*
この花屋に通うようになって、半年ほど経つ。
いままでは週に一度、ミニブーケを買っていた。
大変に痛い治療の見返り、と決めていた。
「今日は病院に行く日」ではなく、「今日は花屋に行く日」と思って、なんとか家を出ていた。
全15回の治療を乗り越えたいまでも、花屋には通っている。
いまでは週に2度ほど訪れて、好きな花を2本ずつくらい買って、少しずつ入れ替えている。
「こんなにお花ばっかり買って、贅沢をしているかもしれない」なんて思った日もあるけれど
2本で1000円未満、だいたいは500円か600円くらい。
コンビニでお菓子をちょっと買うくらいの気持ちで、と思うようにした。
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*
花屋のおねえさんは、3人いる。
3人が入れ替わりでお店にいて、それぞれみんなわたしの顔を覚えてくれている。
ハリネズミのおねえさんは、わたしを見つけると少しほっとした顔でほほえんでくれるようになった。
「いらっしゃいませ」の代わりに、「こんにちは」と言ってくれる。
そして、少しだけ天気の話をする。
雪が降るといえば雪のはなしだし、寒いときは「今日は冷えますね」
夕暮れには「陽が伸びましたね」と。
ほんとうに天気の話題は尽きない。
尽きないからこそ、いつも天気の話なのか。
それがべつにいやなわけではない。
花屋で花を選んで、顔見知りの人と少しだけ話すこの時間を、わたしは大切に思っている。
もう少し気の利いたことが言えればいいのに、と思うのだけれど、いつもうまく話せない。
*
ああ、そういうことだったのか。
理解できたのは、つい最近のことだった。
わたしが何も話さないから、
このひとは、いつも天気の話をしてくれるのか。
*
週に1度か2度、いまではかなり不定期な時間帯に訪れるわたしのことを、どう思っているだろうか。
お互いマスク越しの顔しか知らない。
わたしは背が低いから年若く見えているだろうか。
家族と訪れたこともあるから、主婦に見えているだろうか。
家族は、もしかしたら兄に見えたかもしれない。
平日の昼間に勤めている会社員ではない、ということだけは理解されているはずだ。
会社勤めの在宅ワーカー、にも見えないと思う。お店に行く時間が不定期過ぎる。
花屋さんが花屋さんであり、
わたしがお客さんである、ということ以外
わたしたちは、わたしたちのことを知らない。
そしてあなたは、尋ねないでくれた。
何をしているか、何歳なのか、どこに住んでいるのか。
だから、天気だったんだ。
だから、わたしは花屋で、「ただの、ちょっと花好きのお客さん」でいられたんだ。
そう思ったら、ちょっと泣けた。
*
いつもありがとうございます。
何度か言おうと思ったんだ。
実はわたし、病気で治療を受けていて
それが週に1回ものすごく痛くて
でも、ここで花を買うことを励みに、頑張っています。
実はわたし、ふつうにお仕事をすることができていなくて
そんな中でも、お花のお世話だけが楽しみなんです。
他の花屋さんにも行ってみたんですけど、ここがいちばんすてきです。
いちばんかわいくて、
ここで買ったお花は、不思議と長持ちするような気がします。
ほんとうに苦しいとき、ここで花を買うことができたから、生き延びることができました。
ほんとうに、大袈裟ではなくて。
あしたは何を買おうかって考えて、そう思えたら病院の前の夜も眠れたんです。
変化の少ない毎日だけど、部屋のお花を見て、わたしずっと嬉しい気持ちになっています。
最近ようやく、
時折、お花の匂いがわかるようになりました。
お花って、すごくすてきな匂いがするんですね。
*
あなたたちのおかげで、なんとか生き延びられました。
お花屋さんって人を生かす、とてもすてきなお仕事ですね。
そう、伝えたいと思った。
でも、うまく言えなかった。
言うべきか悩んでいた、というのもあるけれど。
もし、この街を離れることがあったら、きっと話そう。
それまでは、べつにどちらでもいい。と思うことにした。
言いづらいわけではないのだけれど、
もう少しだけ、「定期的にやってくる不思議なひと」でいたかった。
*
「いつもありがとうございます」
わたしはお店を出るとき、必ずこう言う。
最後に「またきます」とほほえむ。
そうして必ず、ここを訪れると決めている。
ほんとうに、いつもいつも
すてきなお花を、少しのおしゃべりを、たくさんの気遣いを、ありがとうございます。
あなたたちは、花を生かしながら
わたしという人間を生かしたのだということを
やっぱりいつか、伝えたいと思っています。いつか、必ず。
※今日のBGM
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