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ふたつの心臓

「どちらでもいいよ」

目の前のひとは、そう言った。
慈悲深い微笑みだった。

「どちらでもだいじょうぶだよ」

わたしは愛され、許されているのだと思う。
目の前の想いから逃げ出そうとするのは、さすがに往生際が悪いというか、なんだか違う気がした。
深く吸い込んで、満たしてゆく。

「あなたの考えを支持するし、応援するよ」

告げられたやさしさはあたたかな空気となって、きっちりと肺の半分に収まった。

もう半分は、雨に打たれていた。
強い雨だった。

わたしはいま、「やさしくしてもらう必要がある女」だった。
強い決断をした。
決断はもう何度か襲いかかってくるだろう。
いくつかは、いや、もしかしたらすべてが、「少ししたらささやかだと思えること」かもしれないけれど
えいっと振り絞る瞬間は、易くなかった。

わたしは浅い呼吸を繰り返す。
反対の肺から流れてくるあたたかな空気と、なんとか中和しようともがいた。
いや、中和などするべきではないのかもしれない。
わたしは、どちらの温度も忘れてはならないのだ。べつべつの存在なのだ。同じからだなのに。

やさしく、あたたかく守られるわたしは
目の前のひととは、別の生き物なのだ。
だからやさしくしてもらえるし、
だから「どちらでもいい」と言われたとき、わたしは選ばなくてはいけない。
自由と引き換えに、決断を。
わたしが選んだのは、そういう生き方だった。
誰かに手を引いて欲しいそのときも、ぎゅっと笑ってやらなくてはならない。

「どちらでもいい」いう言葉は、愛の果てであり
別々の個体である証なのかもしれない。

最近は、そんなことを思う。
目の前のひとはもしかしたら、自身のことでも「どちらでもいい」と言うのかもしれないけれど。
だいじょうぶだよ、好きにしていいよ、とか、やさしくするとか
そういうことって、他人だから成立するのかもしれない。

だってあなたは「休んでいいよ」「だいじょうぶだ」って言うけれど
わたしは「なんかさぼっちゃったなあ」って思うよ。
折り合いって難しいね。

あたたかさに溺れながら、強い雨に安堵するわたしがいる。
もう気づいている。
あたたかさに溺れさせてもらえるからこそ、強い雨にも立ち向かえるのだと。
それでも、わたしは晴れを望まないような、どちらでもよくない生き方をする。

あなたを愛している。
あなたの心臓にはなれないけれど。

きみなしでは生きていけないって、そういう言い方は嫌いだって
そう、その通りだよ。
いてくれてよかった、と何度思ったとしても

べつべつの生き物であることを
あなたも決して、わたしの心臓ではないことを。

これからも、寂しいなんて言いたくない。
言い訳みたいにはしたくないんだ。




【photo】 amano yasuhiro
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松永ねる
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