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ヘッドフォンナイト

ガムのボトルに手を突っ込んだあと、
少し悩んで、コートに手を伸ばした。
いちばんあたたかなコート。

そうして、深夜の散歩に出掛けた。

ああ、わたしってばまた夜に歩いている。

昼間だって同じくらいの距離を歩いているのに、最近はなぜだか夜にも歩きたくなってしまう。
30分から1時間のあいだ。5000歩から、多いときに8000歩。

書きたくもなければ、眠りたくもない夜。
何をしたいかわからない。
だから、"どこか"へ向かって歩き出してみる。
それは、何もせずに鬱々としているよりは良いことだ、と知っている。

散歩から帰ってくれば、少しはマシな気分になる。
いつだってそうだ。
「散歩なんかしなけりゃよかった」と思うことはない。断言する。

昼の散歩は、「耳での勉強の時間」に充てているけれど、夜にそんなことはない。
ワイヤレスのヘッドフォンを装備して、慎重に曲を選ぶ。
夜の散歩に、ぴったりな曲。

このあいだは、別野かなさん

その前は、宇多田ヒカルの新譜

今日は、きのこ帝国にした。
ああ、どうして今日まできのこ帝国を選ばなかったんだろう。
こんなに夜に、散歩に、ぴったりな音はなかった。

耳元から、心地の良い音が流れている。
輪郭はハッキリしたり、ぼんやりしたりを繰り返す。
音に守られている瞬間もあれば、わたしが夜の一部になって溶けそうだ、と思うときもある。
溶けてしまえればいいのに。

歩いてしばらくは、鬱々とした気持ちが付き纏う。
君に伝えられなかった言葉たち。
「どうして言わないの?」と、尋ねられたこともあった。
「プライドより大事なものはないからだよ」と答えた。
プライドを折る瞬間、というのをわたしは決めている。
そうじゃないとき、むやみやたらにボキボキ折らないように。

「プライドより大切なものがある」
おとなになったら、そうならなくてはいけないのだと思っていた。
「へたなプライドは成長の妨げになる」とか、よく言われる。
成長したいから、プライドは捨てるべきだ。そう思っていたときもあった。

むかしの話だ。
もっときちんと、おとなになるべき、と思っていた頃の話で、いまは違う。

いまは、違うのだ。
大切なものは、もうわかっている。
むやみに、意地を張っているわけではない。
決して、むやみではない。
むやみだ、と思うときにはきちんと折れている。
だから、だいじょうぶ。
だいじょうぶだ。

歩いてしばらく経つと、わたしの存在はほんの少しだけ、夜に混ざってゆく。

自販機の明かりも、工事現場のヘルメットも、どこか遠くに感じる。

少し落ち着いた気分で、噛んでいたガムを吐き出した。
きちんと、吐き出す用のティッシュをいちまい、かばんに入れてきてある。
ガムを包んだティッシュは、ポケットの中に押し込んだ。

そうだ、ガム。
わたしは、ガムを噛んでいる。

そうだ、煙草を辞めたからだ。
だから、歩くしかなくなってしまった。

いままでは、灰皿とコーヒーを持って、家の裏に逃げ出していた。
気が済むまでぼおっと、何本でも煙草を吸っていたというのに。
それが、できなくなってしまった。
だからガムとマフラーを相棒に、歩き出すしかなくなってしまった。

溶けてしまえばいいのに。
夜に、闇に
どこか遠くへ行けたらよかったのに。
冷静なわたしがきちんといる。
明るい通りを外れてはならないと、ぎゅっと手を握ってくる。
その手はしっとりとあたたかく、冷静なだけでやさしくはなかった。
ただ、危なくなければと前置いて、歩くことを許してくれた。

夜に溶けることができなかったわたしは、コンビニの灯りに飲み込まれてみた。
じっくりと彷徨ったあと、アイスコーヒーを買う。
2月の深夜1時に。

セブンのコーヒーの味って、こんなだっけ。思い出せないけれど
冷える指先が、現実だと教えてくれる。
だいじょうぶ、残念ながらわたしは今日も、溶けていない。

耳元の音が、やさしさを増す。
増してきた、とわたしは信じることにした。

だって音は、信じれないくらい色褪せることを知らない。
あのときの感傷もそのまま、うたってくれているような気がする。
わたしは安心して、音の波に身を委ねる。
だいじょうぶ、もう一度言い聞かせて、一瞬だけまぶたを閉じる。
だいじょうぶ。
夜も、音も、わたしにはきっとやさしい。

そうしていつも、
最後には家に帰るわたしを、どうか褒めて欲しい。

家が近づくたびに寂しくなる、なんて言ったら叱られるだろうか。







【photo】 amano yasuhiro
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※今日のBGM


※12月の夜の話






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松永ねる
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