2024年の困りごとから、2025年は消えない
2024年11月。困っていた。
実は、困っていた。
共通の友達(ぎょんちゃん)が東京に来るので、一緒に飲みに行くか?と誘ってくれたのは、松下だった。もう嬉しくて、元気いっぱいに「いくいく!」と答えたまではよかった。
けれども、ぎょんちゃんが泊まる駅は、名前を聞いてもどこかわからず(東京には知らない駅がいっぱいある)、中間地点も検討がつかないし、わかったところで、近隣の居酒屋の情報なんてない。
わたしは、友達と会うと言えばだいたい家で、それ以外でもだいたいスタバ……そういえば友達と外食ってしないなあ。このあいだ、ジョナサンに行ったくらいで。
松下はわたしより居酒屋に詳しいけれど、彼のテリトリーは、ぎょんちゃんが泊まっている駅とは逆方向で、来てもらうのもちょっと違うしなあ。と、あれこれ悩んでいた。
「せっかく、ぎょんちゃんが鳥取から来ていて、そのうちの一晩を一緒に過ごすならば、ぎょんちゃんに美味しいものを食べて欲しい」と、松下は言った。そうか、そうだよな。と、わたしも思う。
いつもは「君と過ごせればどこでもいい」と思ってしまうけれど、せっかくだしな、もてなしたいよね。でもな、食べログの情報しかわかんないんだよォ……
「山田さんの店は、どうだろうか……」
松下の口からこぼれ落ちた、「山田さん」の響きは、しびれるほどに懐かしかった。山田さん。そういえば、どっかで店をやってるって言ってたよね。そういや、1回も行ったことなかったよ。
山田さんは、ライブハウス「下北沢屋根裏」の店長だった。
松下の紹介で、わたしも屋根裏に出るようになって、ブッキングを担当してくれたのが山田さん。屋根裏の、バーカウンターで何度も話した。正直、何を話したかひとつも思い出せない。ただ、たくさん話した。いつも、焦ったり落ち込んだり怒ったり忙しいわたしを、「どうどう」となだめるように話してくれていた。今でも山田さんのことは好きで、屋根裏はもうない。
「ゆっくり話せる感じのお店か、電話して聞いてみたら?」と、わたしは言った。山田さんのお店は、何やらライブができるバー?だとか、そういうことを聞いたことがあったので、「ゆっくり話したい」という、ぎょんちゃんの唯一の希望に沿うかは、確認必須だった。
その夜、興奮気味の松下から電話がかかってきた。
「山田さん、何も変わってなかったよ」と言うので、だろうね。と頷いた。
「お店に電話したら、バイトの女の子っぽい子が出てさ。下北沢屋根裏で山田さんにお世話になっていた松下です、お店のこと聞きたいので、山田さんと話せますか?って聞いたら、お店のことならわたしがお答えしますって言うの。ずいぶんちゃんとスタッフの教育してんなァ、って思ってたら、ちょっと待ってください。って言われて」
保留が明けたら、聞き慣れたあの声が飛び込んできたらしい。
「もしもし? まっちゃん? まっちゃーーーん!」
いやいや、まっちゃんだけれども。
下北沢屋根裏でお世話になっていた、松下って言ったけど。
何の疑いもナシに、こっちが話す前に「まっちゃん」って、いやもうほんと、山田さん全然変わってねぇわ。って、その話を聞いて、実はちょっと泣けた。
あれからもう十年近いのか、十年越えたのか、わかんない。
ただ、山田さんがいまも、十年も連絡しなかった不義理なわたしたちを、変わらず呼んでくれるというならば……
結局、ぎょんちゃんとは下北沢の居酒屋に行った。
山田さんのお店は、バンドの音が鳴っているのが基本で「ゆっくり話すのとはちょっと違うかもなあ」というのと、ぎょんちゃんと会う日に、山田さんは欠勤だという。それじゃあ寂しいではないか。
下北沢のお店は、友人の下北沢おいしいものマスターから情報を集め、予約しようと思ったら満席で(水曜だったのに!)
食べログを漁って、「ここなんかいいんじゃない?」と松下に送ったら、「同じところ見ていた」というそのお店に決めた。良いお店で、本当によかった……
ぎょんちゃん、あの日のわたしたちは、実は緊張していた。君に楽しんで欲しくて、松下は本当にいろいろ頑張った。アイツいいヤツだわ。わたしはずっと、「大丈夫!ぎょんちゃんいいヤツだから!どこでも楽しんでくれるよ!」と、無責任に励ましていた。
いやあ、良いお店でほんとうによかったね。あれは楽しい夜だった。
いまでも思い出して、にんまりする。
わたしはお酒をほとんど飲まないので、居酒屋にはあまり行かない。あの日の貴重な居酒屋飯、四角くてふわっと黄色い玉子焼きのことを思い出すと、今でも嬉しい。あれ、だし巻きっていうんだっけ? わたしは、違いもよくわからないけれど。
そして、12月19日。
わたしたちは、神田に降り立った。
訪れたのは、音STAGE。
「いつか」と言うのはもうやめよう、と思った。
年末の、お店が忙しくなる前の時期に、駆け込むことにした。
「店長の山田さんに予約頼んだんですけど」と言ったら、手前の席をキープしてくれていた。有り難い。
店内にはテーブルと椅子が、ゆったりと並んでいる。
それから、バンドセットとスピーカー、あれこれの機材が美しく配置されていた。
どうやら、自分でやりたい曲を申し込む→申し込んだ曲を一緒に演奏してくれる人をお客さんの中から探す(いなければスタッフが演奏する。みんな楽器ができるスタッフさんらしい)というシステムだった。
「それでは次の曲は……」というMCが入って、ステージの人が入れ替わってゆく。
人の入れ替わりが基本とされているので、椅子の後ろを通れる導線が確保されている。人の行く先をみれば、機材が綺麗に配置されている。それは、言葉にすれば当たり前に聞こえるかもしれないけれど、そうではない。
ああ、ここは良いお店だな。と思った。機材が丁寧に配置され、人の導線が確保されているということは、モノに優しいということももちろんだけれど、人に優しいってことだ。ああ、ここは山田さんのお店だ。
山田さんはすぐに現れて、やっぱり何にも変わっていなかった。
「屋根裏の頃はガチで音楽やってる人ばっかりだったけど、こーゆーのも楽しみ方もあってもいい」と語るその笑顔は変わらなくて、それはあの頃の違う答えたかもしれないけれど、たどり着いたのだと思った。
そして、十年経ってわたしたちも、たどり着いたのだと思う。
山田さんが作るお店の、その音を、「良い音だ」とわたしも思えて、嬉しかった。声がしっかりと聞こえて、長いあいだ聞いていても疲れない音。たくさんの人が、安心して過ごせるお店だと確信した。
山田さんには、毎月発行している折本名刺を渡した。
10月号で、掲載しているのは「消えたい」から始まる小説だった。
山田さんは「すごいなあ」と言って受け取って、すぐに最初のページを開いて「消えたいって」と言って笑った。わたしも笑った。
消えたくなったら、神田に行こうと思った。
消えたくなるその前に行ったっていい、と思った。
優しい音が鳴って、スタッフさんもみんな感じが良くて、お客さんは聞いている人も演奏している人もみんなにこにこしていて、暖かいお店で、たぶん、わたしが消えることを許してくれないだろうなあ。と思えた。
2024年11月、わたしたちは確かに困っていた。
2025年1月、やっぱりまだ困り事はある。消えたいわけじゃないけれど、どうやって消えずに生きていこうか考えて、いま、この文章を書いている。
「大丈夫!ぎょんちゃんいいヤツだから!どこでも楽しんでくれるよ!」と、無責任に言ってしまった友達のこと。本当にどこでも楽しんでくれるやつだった。そんな友達がいて、やっぱり嬉しい。
ぎょんちゃんが来てくれなければ(連絡をくれなければ)、わたしたちは山田さんに連絡をすることはなかったと思う。
今もまた、次の問題がわたしに襲いかかってきているけれど、まあ困ったら神田に飲みに行こ。山田さんがいる日がいいから、その顔見て笑おう。そしたら、たぶん大丈夫になれる。
このあいだ行ったとき「わたしに弾ける曲ないかなあ」って思ったりしたけれど、別にもう弾かなくてもいいんだ。ただ、好きな曲を歌ってもいいんだ。えへへ、それは楽しいかもしれない。
それは楽しいかもしれない人生である。
困っているけれど楽しい人生である。
それらはお互いを関せず、勝手に襲いかかってきて、そしていつか、勝手に去ってゆく。
2025年も、折れずに生きてゆこう。
何かに負けても、消えないように。
そう思ったことを覚えていたくて、あの日の思い出を記している。
▼音STAGEはホームページもハイパー見やすいけど、Xでの情報がマメで助かる……混雑具合とか、実際に演奏された曲とか、店内写真とか、ときには山田さんの出勤情報とか、何でも見れる。
▼ぎょん(G!on)ちゃんが連載している漫画の続きだって気になる!!
縦読み漫画って苦手だったんだけど、ぎょんちゃんの漫画は縦読みだから面白いというか、びゅんびゅんと音が飛んでくる感じがして、なんかすげえ。(感想は「なんかすげえ」でも充分って言ってくれた、ぎょんちゃんは良いやつ)
▼松下は元バンドメンバー。今年はコーラスのお仕事をノーギャラで受けるそうなので、ご興味あれば気軽に声かけてください!
▼山田さんに渡した折本名刺
▼消えたい小説