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ガーベラと、かすみ草の花束

 うとうとと、ぼんやりしたアタマで、マクドナルドのコーヒーをすする。
 午後六時。

 自分の暮らしを肯定したい、という思いで、noteの毎日更新をはじめて、もうすぐ一八〇〇日。その途方もない数字について、もう何年だとか、何歳の頃からとか、考えるのは辞めてしまった。もともと、数字は得意ではない。
 ただ、友達が何人か減った。それは、ニアイコールくらいで、考え方とか、生活が変わったことを意味する。可能性がある。変わることに充分な日数、わたしは書き続けている。

 ぼやぼやしていると、何を書いていいかわからなくて、過去のわたしに尋ねる。メモ帳を少しずつ読み上げて、ああそんなことも書きたかったなあと思い出したり、本当に忘れているものもあったり、でも、今すぐに書きたいことを見つけるのは難しい。
 ぼやぼやしているというのは、ぼやぼやしているということなのだ。

 書きたいと同時に、書かなくてはと思うことはある。
 アフレコ潜入のレポートは、もうだいぶ大詰め。
 毎週、水曜日に出しているメルマガと週報の準備。
 月初にやったコーヒー屋さんの、メニュー紹介と収支報告。
 特に収支報告は気が重く、数字が苦手だ。
 コーヒーの残量と、金額を照らし合わせると思うと、気が遠くなる。たぶん、三十分もかかずらずに終わるのだろうけれど。
 病院についても書きたいと思っている。直近の記事でいくつか触れて、助走して、ようやく確信に触れられそう。

 でも、そういう記事はもう少し、もう少しだけでいいから意識のあるときにしたい。少なくとも、コーヒーをすすっているときじゃなくて、飲んでいるときにしたい。

 そうじゃなくて。
 毎日書くということは、書きたいことを書くとは別に
 毎日、一本の、特別なバラを届けるのではなく
 わたしは、ガーベラを花束にしたかった。
 どの季節でも、どの花屋でも、絶対に安定して供給されて、毒も棘もなくて、比較的安価なその花みたいに、気取らずにっこりとした色彩で
 コーヒーをすすることと飲むことの違いだとか
 ドーナツをフォークで食べる喜びだとか
 記念切手の、かわいいやつが出たことを教えてもらっただとか
 ひとつもらったミルクキャンディーの甘さだとか
 そういうことを、綴ってゆきたかった。
 それは、書きたいことじゃなくても、書かなくてもいいことでも
 何かが、すごうく特別なことでなかったとしても

 ガーベラに、かすみ草を添えて花束にしたい。
 どこかで、気高いバラを一輪ずつ並べなくてはいけないと、焦っていたのかもしれない。
 それほど器用な人間でもないのだから。

 特別な毎日じゃなくても
 毎日が少しずつの成長でなくとも
 わたしが届けたい花束はきっと、「まあいいか」とか、「ちょっとうれしい」っていう
 そういう感じが、いいと思うから

 ときどき、自分の足元を確認する。
 背伸びを、どれくらいしているか、確認する。
 どうせ背は伸びないのだから、と言い聞かせて
 屈伸ひとつで、また伸びたり縮んたりしながら
 ガーベラをひとつずつ、束ねてゆく。



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松永ねる
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