水曜日の裏側
※よみうりランドたのしかった!っていう、「水曜日の表側」のエッセイはこちら
(同じ日の内容を当社比で楽しく書いてます)
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じわりと涙が浮かぶのを、止められなかった。
雨で、暗くて、ひとりで、止める必要もなかった。
唇を少しだけ噛んで、歩き出した。
この夜のことを「書こう」と思った。
「書くべき」というほど強い意志はなかったけれど、響くようにそう思った。
直感を、信じることにする。
*
「ひとりで行った」なんて言ったら、「誘ってよ」と言われるのはわかっていたので、誰にも言わなかった。
そもそも、行けるか確信がなかったんだ。
あの夏、コロナウイルスってやつがわたしの身体に侵入してきてから、体調は不安定なままだった。
仕事にはどうにか行けているけど、時間も日数もぐっと減らしたまま、戻せない。そのうえ、体調不良の当欠を繰り返している。
「元通りの暮らしが送れない」
言語化するなら、こんな感じだろうか。
急に訪れる息切れも頭痛も発熱も、自身では一切コントロールすることができず、症状そのものを薬で抑えつけることもできない。
わたしは、今日も静かに耐えている。
それでも、生きようと思いたかった。
帰って眠るだけの暮らしから、わたしは希望を求めた。
そして浮かんだのは、あのひかり
よみうりランド
冬のさびしさから、いつも守って、導いてくれたひかりに会えたのなら
わたしはきっと、
息切れの症状は、少しだけよくなったと思う。
禁煙までしたんだから、「よくなった」と信じることにした。
いまは、誰かとしゃべったり、集中すると疲れてしまう症状がメインだから
ひとりで、ゆっくり自分のペースで、短い時間であれば、歩けるような気がした。
会いたい、
そして、諦められなかった。
*
わたしが付き合っている”コロナ後遺症”という病は、なかなか一筋縄ではいかなくて、回復と停滞、そして逆走を勝手に繰り返している。
いままで「時間経過で治る病」しか経験したことがなかったので、こいつとの付き合いは本当に難しい。
最近の流行りは頭痛と熱だった。
熱は少しずつ下がってきたと思ったのに、昨日会社で熱を測ったら38度近くて驚いた。
そもそもわたしの平熱は35度台で、会社の体温計はいつも高めで表示される。
出社時は36度と少し、そして昼には37度を越える。
最近は37度を下回るときも増えていたのに、急に38度と言われて驚いてしまった。
慌てて会社を早退して眠った。
明日は、よみうりランドなのに。
*
眠っていた夜には熱も下がった。
翌朝はいつも通りの時間に起きて、病院に向かう。
最初はあんなに怖かったのに、人間の慣れってすごいよね。
早めに終わって、12時前。
わたしは、よみうりランドに向かうことにした。
自分のペースでならば、なんとか身体を動かせるような気がした。
イルミネーションを見たいわたしとしては、16時半以降の時間をよみうりランドで迎えたい。
あと、4時間。
最近は集中して本を読むことも難しいし、買い物も妙に疲れる。
歩くだけならなんとかなるのだけれど、「あれを買おう」と思えば、「家になかったっけ?」「本当に必要か?」なんて思っているうちに、クラクラしてしまう。
今のわたしには、外で4時間過ごす。というのは、楽しみというよりも、軽い試練だった。それでも、帰ってもう一度外出する気力もなければ、喉元まで来ているときめきを手放すこともできなかった。
暇つぶしと体力温存のため、遠回りのバスに乗る。
長時間にならないよう時計を気にしながら、少しだけ買い物をした。
また、バスの時間を調べながらコンビニ寄った。
10月くらいから「実際にはそこにない、変な匂いや味がする」という症状が出てから、食べられるものがかなり限られている。
味覚嗅覚のバグと一緒に、「そもそも無味無臭」の症状も回復していない。検査の結果、味覚嗅覚は常人の半分程度らしい。
半分はわかっているのか?と言われると頷くことはできない。
検査で「甘い」とか「苦い」はある程度わかったけれど、チョコレートとかコーヒーの味がわかるかって言われると、それは違った。
なんとか、細い糸を手繰るように「なんとかふつうに食べれるもの」を探さなければいけない。出先での食事って、いまは結構難しい。美味しくないのに、投資したくない気持ちもある。
コンビニで焼きおにぎり(あたたかくないお米と醤油は食べれる)といつもの菓子パン(セブンイレブンのちぎりパンと、2個入りのパンケーキみたいなやつが定番)を買う。
そしてまた、バスに乗る。
バスが来るまで20分と少し。いつもなら「ちぇっ」と思うところだけど座ってボケッとできるので、今のわたしには必要な時間だった。
3時くらいには、よみうりランドに着くらしい。
*
よみうりランドの入場口から、隣接施設のHANA-BIYORIへ
そして、目当てのスターバックスを目指す。
まずはプロジェクションマッピングの時間を調べようと思ったら、すぐに始まるところだった。
これも、目的のひとつ。
最初に見たとき、すごく感動した。
それからお土産を見て(わたしはお土産が好きだ。ポストカードとかハンカチとか、すぐ買っちゃう)、少しだけ歩くことにした。
ほんとうは入口の方まで行きたかったけれど、体力が心配なので空見の丘だけ覗くことにした。
スターバックスに戻って、わたしはメニューを見つめる。
外にはベンチがたくさんあるけれど、雨だから座れるのはここだけ。
そしてここに座るには、スターバックスで注文をするべきだ。
だから、メニューを見つめる。
コーヒーはまずいままだった。
煮立ったような、酸化したような味がする。どこで飲んでも、必ず。
フラペチーノは飲めるものもあるけれど、味はあんまりしない。
新作のフラペチーノはバター風味が強いと聞いた。バターの強いお菓子を、今のわたしは食べられない。何度クッキーを食べても美味しくない。あんなに好きだったのに。
そもそも雨で寒いから、あたたかいものを飲みたい。
スターバックスでいちばん好きな飲み物「イングリッシュブレックファーストのティーラテ。オールミルク」は、少し前に注文してみたけど、ふたくちも飲めなかった。
家で冷たいミルクティーは飲めるから、いけると思ったんだけど。
ぜんぶ捨てた。
よくよくメニューを見て、「ゆずシトラスティー」というものを見つけた。
柑橘系の、牛乳も入っていない紅茶ならきっと、あたたかくても飲めるような気がする。
期限切れ間近なポイントを使って、グランデサイズを注文した。
このポイントなら、どのサイズでも無料になるし、今月もう一度、スターバックスへ来られるかわからなかったから。
「おいしい」と、わたしはこのときも泣いたと思う。
8月から「おいしい」と言えなくなっていた。
だって、ほんとうに味がしないか、不味いわけだし
エネルギーを摂取するために食べていた。
不思議とお腹は空くから、だから、生きるために食べていた。
すべての食べ物を「食べられる」か「食べられない」だけで判断していた。
このお茶は、美味しかった。
ほんとうに、美味しかった。
美味しい、に出会えてわたしは嬉しい。
ほんとうに、泣くほどに
美味しい紅茶をぐびぐびと飲んで、
池の外の恋を見つめた。
一応持ってきた小説を開いたけれど、すぐに頭痛がしてきたので早めに閉じた。
ゆっくりと、友達に手紙を書く。
手紙も、長文は書けなくなっていた。
ポストカードに、ほんの少し。
昔はあんなに書きたいことが溢れて「ポストカードじゃなくて便箋にすればよかった」と思ったのに、いまでは葉書を埋めるのもやっとだった。
なにを書いたかわからなくなったけれど、許してくれるふたりの友達に、「あなたを想っている」ことだけ告げた。
ひとつの動作に時間がかかるせいか、あっというまに16時半を迎えて、わたしはまた歩き出した。
*
やっぱり、来てよかったと思う。
もうほんとうに、間違いなかった。
家族と、友達の顔が浮かぶ。
沢山の人に支えられて、なんとか今日も生きていると思えた。
一度は諦めたこの場所に、来られたのは奇跡みたいだった。
8月のあの日から、わたしは一体いくつを諦めてきただろう。
ようやく、むりやりでも掴めるようになったんだ。
また、明日何かを掴めなくなっても、きっとそういう瞬間がこのあと何度も襲いかかってくるだろうけど、今日のことは忘れない。
よかった、ほんとうによかった。
でも、ほんとはね
なぜだか2周するジェットコースター、乗りたかった。
わたしたちのよみうりランドは、毎年これから始まる。
去年初めて乗ったUFOのやつも、乗りたかった。
あれ、すごい楽しかったよね。
グッジョバの置くに、リポDの新しい施設? 屋内ジェットコースター?みたいなのできてた。
外に一瞬出てくる瞬間に、乗っているひとの叫び声が聞こえてすごく気になったよ。
あれも、乗りたかった。
限定出ているフードに「シチューがけフライドポテト」ってやつを見つけた。
あれも食べたかった。
みんな好きなやつだと思う。
よみうりランドの、大きい肉まんも大好きだった。
そもそも、肉まんもピザまんも大好きなのに、今年は一度も食べていない。
大好きな食べ物を、うっかり「食べられない」とか「まずい」って言うのが怖くて、一度も買えていない。
噴水ショーも、ぜんぶ見たかった。
いや、ぜんぶは言いすぎだ。あれは本当に種類が多いから
せめて、LEDをつけたダンサーさんが踊る「シルエット」見たかったな。
あれがいちばん好き。
あれもわたしの「生きよう」のひとつだから。
見たかったな。
*
生きよう、生きれる、もうだいじょうぶだと思いながら
じわりと溢れる涙を、止められなかった。
好きなものを食べて、おいしいと思えて、叫んで走り回って、
疲れたって言いながらも、明日も起きて仕事に行ける日々を、恋しく思っている。
わかっている、折り合いもついている。
美味しくない、たくさん歩けないだけじゃなくて、立っているだけでも苦しくなるし、ゆっくりしか歩けない。頭が回らなくて、あなたの声が「言葉」じゃなくて、音声のようにすり抜けてしまうのがつらい。無事に外出できていることが、奇跡みたいだった。代わりに翌日は動けない。
こんなの、寂しい事実の確認に過ぎない。それだけだった。
*
次は、みんなで来たいな。
いや、今シーズン中にもう1回くらい、ひとりで来ちゃうかもしれないけれど。
やっぱり、みんなで来るのが好きだったよ。
もう少しマシな状態になったら、また一緒に来ようね。
来年でも、再来年でも
そうなれたらいいな、て思っている。
*
そしてわたしは、明日を生きるため早めの帰路についた。
長時間の散歩は不安だったし、疲れると熱が出てしまう。
帰るまでが遠足なのだ。
明日は休みだから、よく眠ろう。
そうしてまた、わたしの速度で生きてゆこう。
*
たぶん、いつか忘れてしまっても
この痛みを、記憶を、「なかったこと」にしたくはないんだと思う。
身体から消えても、この夜を乗り越えたわたしの勇敢さが、心臓に刺さり続けますように。
消えない傷痕に、なりますように。
そしてこの傷痕が、未来永劫のわたしを、守りますように。