魔法のチョコレート
「今日は、ゴディバのチョコレートがあるよ」
頼まれていたスターバックスの新作、桃のやつと
自分のためにアイスコーヒーを買って、彼女の部屋を訪れた。
「そろそろ、来る頃だと思って」
彼女は、時々自分のご褒美のために、ゴディバのチョコレートを買っていた。
彼女の部屋を訪れるわたしは、時折そのおこぼれをもらう。
いつも通り、不要な書類をチェックしたり、テーブルを拭いたり、ゴミをまとめたりしながら
アイスコーヒーがなくなる前に、ゴディバの箱をあけた。
6粒のうち、3つは既になくなっていた。
残りがみっつになっても、どうしてゴディバの輝きは変わらないんだろう。
付属された小さな紙の説明文を一生懸命読んだあと、わたしはマンゴーのチョコレートを手に取る。
少し溶けているチョコレートを、ひとくちで放り込んで、わたしはにやつく。
それは、いま思い出しても、少しにやついてしまいたくなるような、圧倒的な幸福感だった。
「残りのひとつも、食べていいよ」と声を掛けられたので、
わたしは、にんまりしたまま箱に蓋をした。
「これは、もうちょっとあとに取っておく」
そうして、わたしはゴディバに後押しされて、少し手間のかかる、ダンボールの解体とまとめの作業に取り掛かる。
作業に集中すると、ゴディバの幸福感は少しずつ薄れ、
いまやっている作業を手元でこなしながら、頭では「次はこれをやって」と、テキパキと動くことになる。
しばらくすると、目につく「やるべきこと」の大半が片付いて、
わたしはうっとりとした気持ちで、椅子に腰掛ける。
さっきまで「次はアレを」と考えながら過ごしていた部屋の中で、やることがなくなる。
不思議なことに、少し淋しい気もするけれど、さっぱりとした部屋を見ることは、いつもわたしをうっとりとした気持ちにさせる。
「あ、ゴディバ……」
ひとつ残したチョコレートのことをようやく思い出し、ゴディバの箱に手を伸ばす。
さきほどとまったく同じ幸福感で、箱を開ける。
ゴディバは、何度でもわたしをしあわせにしてくれる。
残りのチョコレートは、ごくごくふつうのやつだった。
特別な何か仕掛けがあるわけでもなく、ただまるく、
ごくごくふつうの、ミルクチョコレートだった。
「お、おいしい……!!!!!」
口に放り込んだ瞬間、行儀が悪いことはわかっていても、もぐもぐしながらつぶやいてしまった。
ただの、ミルクチョコレートなのに!
それは、圧倒的なチョコレートだった。
なんの小細工もないチョコレートが、こんなに美味しいと思わなかった。
だいたい何を食べても「おいしい」と言ってしまうわたしにも、違いのわかる味だった。
「やっぱりね、それが一番美味しいと思っていたよ」と、彼女は笑った。
「うっ、もうぜんぶ食べちゃったよ…!」
「え、いいよ。食べなって言ったじゃん」
いちばん美味しいのをわたしがいただいてしまった
そんな罪悪感も少し芽生えたけれど、この美味しさには構わない。
わたしはゆっくりと、チョコレートを味わった。
「むかしね、」と彼女は語り始めた。
「貧乏だったときにね、2粒だけゴディバのチョコレートを買ったの。
それがすごい美味しくて、本当にちょっとずつ、味わって食べてさあ。
あれからたまに、ゴディバのチョコレートを買うようにしてるんだよね」
わたしは彼女が今より貧乏だったときのことも知っているし、
気づけば、ゴディバのチョコレートを買うようになっていたなあ、と
ただ、そんな風に思っていただけだった。
そうか、これは
あの頃の彼女を奮い立たせる魔法だったんだ。
2粒だけど、きちんときれいな箱に収まった
幸福で、美しい魔法のチョコレート。
わたしは、今までの彼女の旅路を想い
今日も、彼女が笑顔でいることに感謝をしながら
甘く、濃いチョコレートを飲み干した。