わたしのもの
妙にリアルな夢を見た。
この家を、出てゆく夢だった。
*
目覚めて見渡せば、そこはいつもの部屋だった。
不思議だ、眠る前に眼鏡を置いた場所のこともしっかりと覚えているのに
夢の寂しさも、さめざめと記憶されている。
ふらりと視線をやると、本棚に飾った写真集と目が合ってほっとする。
このあいだ生まれて初めて買った写真集は、しょこたんデビュー20周年の作品集だった。
しょこたんは同年代なので、頑張っていたり、美しい姿を見ると励みになる。
だから写真集は本棚にしまわずに、手前に立てかけて飾っている。
かつては本のサイズより大きい本棚を、憎んでいた。
イケアで安かったから、楽譜や同人誌が入るサイズだから買った本棚は、文庫や新書を入れるとがばがばだった。
買い直したほうがいい、と何度も思って十余年。
わたしが本当に捨てたかったのは、幼く貧乏だった記憶ではなく、昔の恋人との記憶だということには気づいている。
楽しかったこともつらかったことも
わたしは器用に持ち合わせることができない。
結局、本棚は捨てなかった。
捨てるほどの情熱も気力も発揮することができなくて、その程度の感傷だった。
文庫と新書、漫画を入れるようの本棚を買い足して、がばがばだった部分にはいろんなものを飾っている。
友達からもらった桜のカード
コナンのアクリルスタンド
隣には、ゆるキャンの、ちあきとあおいのふたりが並んでいる。
友達からもらった、おなかの青い犬のマスコット
お気に入りのネイルを箱ごと
本はもちろん定期的に入れ替え、いまの自分に合うよう最新版にアップデートされている。
すべては少しずつ集めたお気に入りだ。
だいじょうぶ。
ここは、わたしの部屋だ。
*
床で寝たのがよくなかった、ということには気づいている。
そして、よくないことをすべき瞬間がある、ということにも
その瞬間には決して抗うべきではない、ということにも。
深夜の明け方の狭間に目覚めて、よろりとベッドに倒れ込む。
お気に入りのシーツと、まくらがふたつ。
ふたつ、というのを気に入っている。
それから、ニトリのブランケット。
その幸福たるや
どれくらい気に入っているかというと、これを買った年の秋には、3人の友達に同じものをプレゼントした。
そしてその幸福は、いまでも褪せない。
毎晩、褪せないことに驚く。
そのとろりとした肌触りに、確かな幸福を抱きとめる。
ああ、この部屋を出るときにはこれも持って行ける。
わたしがひとりで電車に乗って、ひとりでニトリに行って買ったブランケットだもの。
そう思えば、この部屋のほとんどすべてのものは持って行けるだろう、と思う。
大きな本棚に預かったいくつかの本を除けば
確かに、すべてがわたしの持ち物だった。
壁に飾ったフェルメールのポストカードも
何年もお守りにしている安野モヨコのカレンダーも
お気に入りのネイルだけを詰めたケイト・スペードの箱も
なにも失うことはない。
わたしはいったい、何に恐れていたのだろう。
*
わたしはいったい、何を失うつもりだったのだろう。
この家を失って
でもこの部屋のすべてを連れて行けて
どこに旅立ったとしても、お気に入りの毛布にくるまって、まくらをふたつ抱えて、お気に入りの写真集やポストカードを飾ってネイルを塗る。
ああ、いったいなにが怖かったんだろう。
なにかとても大切なものを失うような気がしていた。
きっと、触れなければ気づけない痛みがあって、わたしはこの家を出るとき、きっと泣くだろう。
でもわからない。
何を恐れているのか、
恐れているということは、大切なことを失うということで
きっとわたしは、何が大切なのかわかっていない。
そしてそれ以上に「意地とプライドより大切なものはない」と零した本音が
どうしたって打ち消せない。
君はわたしの涙を拭おうとしたけれど、その手を払ってしまった。
「涙は流すもの」
「わたしの傷は、わたしのもの」
と云って。
※now plyaing
今宵の物語の結末は、椎名林檎だったかもしれない。