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(振り返り日記)5月のエッセイまとめ
こんにちは。
お元気ですか?
わたしの住んでいるところでは、寒暖差が激しいような、そんな毎日です。
気候としては過ごしやすいんだけどね。
このあいだは花屋さんで「暑いですね〜」って話した。
「夏は好きですか?」とか、
「これから、こんなのが毎日続くなんてね」と、わたしたちは笑いあった。
濃い紫の、トルコキキョウの花束と、クリーム色のガーベラを買った午後。
「暑いから、花の水はたくさん変えてくださいね」と言われたので、
「たくさんってどれくらい?」と尋ねたら、朝夕の二度だと教えてもらえた。
それからは、「日に一度(目安)」の水換えから、気づいたときに水を換えるようにしている。
そんなふうにして終わった5月のことを、
自分の書いたエッセイと一緒に振り返っていこうかなと思います。
だから明日は
本当は明日、仕事に行かずにいつか行こうとしていたコナンふるさと館に行ってもいい。
思考や行動のコストが面倒だから、仕事に行っているのかもしれない
ほんとはなんにでもなれる。
毎月、「たくさん読まれたエッセイ」とか「スキをいただいたエッセイ」みたいな肩書で作品をピックアップしていたのだけれど、
今月は、このエッセイがビュー数・スキの数、共に1位だった。
引用した部分の、このメモがすべての物語。
忘れたくないな、と思って読み返したら
#自分にとって大切なこと っていうお題のタグがきちんとついていて、安心していた。
忘れないよ。っていうのは、むりかもしれない。
でも、何度も思い出したいよ。
帰着
たぶん、好きだったんだと思う。
必死に、洗ってもなくならない皿を洗い続けるように、目の前の何かに取り組む日々が。
世の中の規則的に流れる季節を横目に、「わたしには関係ない」と言い訳できる、あの日常が。
エッセイを書き始めてから、2年と少し。
靄が掛かっていた、という言葉で誤魔化し続けて真実を、このところ射抜きつつある。
これは、現在と過去を織り交ぜた、わたしの真実の物語。
ひとつのゴールに、そして何度惑っても迷っても帰ってくるこの環状に、「帰着」と名付けた。
このエッセイは、ビュー数・スキ数が共に2位でした。
note公式のお題やコンテストタグをつけるとビュー数って増えやすいんだけど、これってなんのタグがついてたと思う?
#私は私のここがすき だって
笑っちゃうよね。前向きが過ぎるだろ。
でもやっぱり、好きだと思う。
ついでに・手紙でしか見つけられないもの・直感
「叱ってくれる人がいるうちが花だよ」という言葉は、それはそれで正しいとは思うけれど
二十代というその時間の大半を、あなたによって叱られずに生きてきたことが、いまのわたしが折れずにいられる理由。のような気がしている。
一生分の愛情だった。
そう言われても、「そうだよね」と頷くことしかできない。
すごい、懐かしい人に手紙を書いたんだよね。
妙に恥ずかしくて、汚い字になっちゃって、でも書きたくて。
手紙のこと、帰りの駅のこと、日常の家事のこと
乱雑に詰め込んだ物語は、書き終えてからなぜか1週間寝かせたことを今でも覚えている。
別になんでもないけど、印象的だった。
そういうことあるよね。
わたしにとっては、そういう物語。
食らい尽くした幸福のあとで
このエッセイはねえ、内容よりもこれに驚いた。
僕の小さくて大きな友人こと
— amano yasuhiro (@hiro_57p) May 13, 2022
まっつんのこの写真、実はいままで撮ったまつながシリーズの中でもトップ3に入るくらいのお気に入りで
どんな文章を添えたんだろうって思ったら
内容もとても素敵だったので、ぜひ◎ https://t.co/4wwdNVT5XO
わたしの顔が映っている写真の9割は、アマノさんに撮ってもらったものだ。
わたしの写真を撮ろう、なんていう奇特な人は基本的にアマノさんだけで
そしてわたしは、彼を信じている。
彼の美意識を信じている。
彼の「かわいい女の子が好き」というその感覚を、信じている。
アマノさんが選んで撮ってくれたんだから、わたしの顔も、すげえブス、ってことはないでしょう。と
エッセイの内容的には、「ついでに・手紙でしか見つけられないもの・直感」で書いた手紙に返事がきたっていうので
ちょっとセンチメンタルな気持ちと、いつもならちょっと隠したり取り繕ったりした感情を、できるだけストレートに書いている。
誰かはわたしの、「こーゆー乱暴なエッセイは好きじゃない」と言うかもしれない。
でも、このエッセイを「好きだ」と言ってくれた人を、わたしは好きかもしれない。
この、「ちょっと挑戦したエッセイ」について、
きれいな花の写真とか、誰かのかわいいイラストとか使うのは気が引けて、自分の顔が映ってる写真を選んだんだけど
いやまさか、アマノさんのお気に入りとは思わなかった…
サムネイルの時点では「恥ずかしいし、顔の部分は隠しておこ〜」と思って切り取り設定をしたんだけど
最後に、「せっかく撮ってもらったんだから、写真の全体像も載せとくか」って載せてみたんだよね。
あ〜〜〜よかった
アマノさんが好きだって言ってくれた写真、全体も載せといてよかった。
って、思ったのを覚えてる。
ときには素敵な色
「白もいいよ」
もうひとりのじいさんが、しみじみと頷く。
そしてそのあとに、
「みんないい色しているよ」と、ほほえんだ。
念願のバラ園のはなし。
今年のバラ園は、このじーさんにすべてを持っていかれた感じがする。
歩いているエッセイを、写真を混ぜながら掲載するのって結構好き。
またやりたいなあ。
海を知らない水辺の話
実家にいるときから、そうだった。
祖母の高い声が嫌いだった。
父親のテレビの音が嫌いだった。
わたしは何度も、MDウォークマンのボリュームを上げていた。
エッセイを書くとき、SNSで発信をするとき
友達と話しているときでさえ、気をつけて使わないようにしている言葉がある。
それが、「嫌い」
これ、わざわざ言わなくてもよくないシーン多くない?
わたしは自分の好きなものを嫌いって言われると「むむっ」て気持ちになっちゃう。心が狭い。幼稚すぎるけど。
でも
それは、「何かを嫌ってはいけない」というのと、イコールはしていない。
わたしはいくつもの嫌いを飼っている。
意図的に「嫌い」という言葉を選んだ深夜のエッセイ。
そのあとの「MDウォークマン」という、現代に於いてはちょっとめずらしくて、目を引く言葉でなんとかバランスを取ろうとした。
エッセイとしては、不出来だったと思う。
でも、これ以外に何か書ける気がしなかった。
深夜3時
投稿したあとすぐに、Twitterで「スキ」がついて安心したことを、わたしはずっと忘れない。
(おわりに)
ほんとうは、こういう「やさしい生産性」みたいなエッセイをを大切にしたほうがいいんだろうけど、
ひとりで落下するような夜を、知らないじーさんの横顔を、
わたしはどうしても愛してしまう。
これはこれで好きなんだけどね。
大事だなあ、って思ってるんだけどね。
もっと、公園の片隅みたいな感情を拾い集めて、ノーコンで投げ続けたい。
*
不安定な練度で、時間もマチマチで、
ふわふわしたまま終わってしまった5月だったけど、書ききれてよかったです。
予約投稿って便利すぎて、使うとすぐサボっちゃうよね。
いや、すごい便利なんだけど。
「予約投稿したからしばらく休も〜」って思うと、平気で一日半くらい経ってる。
そもそも、毎日投稿が苦手なタイプだということを、強く噛み締めた5月でもありました…
*
今月は、核心に触れるようなエッセイが多かったような気がしています。
それこそ、長年の感傷への「帰着」。
それがわかったからと言って、たぶんいまはまだ仕掛けるときじゃなくて。
やっぱり傷を捏ね繰り回しながら、道端の花でも愛でて、もうしばらくわたしらしく暮らしてゆこうと思います。
わたしらしくって
たぶん、書き続けることのような気がしています。
他に自分を許せる方法があればいいのに。
【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
https://www.instagram.com/hiro.pic09/
あと、今月は自分の顔の写真をたくさん使ったんだけど(当社比。3月末に撮ってもらった写真が届いたから
前述の通り「乱雑なエッセイに、かわいい花とかすてきなイラストとか使えないから」っていう理由だったり、
ピアノ日記で使った写真との兼ね合いだったり、わたしなりにイロイロ考えてたんだけど
なんか、「自分の顔写真ばっかり使ってるヤツだな〜って思われたらヤだな〜〜〜」なんて思っていた。
いま思えば、それこそが思い上がりだったよな!
誰もそんなこと気にしてないよっていうか、誰も気づいてないよ!
今月は、アマノさんの写真をいつもより多めに使った気がします。
やっぱりこう、乱雑さとかダークさとか、どうしようもない日常とかって、アマノさんの写真が合いますね!ありがとう!(褒めてる)(感謝してる)
※now playing
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