風呂いっぱいの愛を
昭和生まれ、36歳。
食べられなかったものがある。
時代の流行りというか、「昔あんまりなかったもの」が出始めたときって、みんな美味しくなかった。と思うのは、わたしだけだろうか。
マンゴー、マカロン、ルイボスティー……などなど
昔からあったのかもしれないしれないけれど、人生の途中で市民権を得たものたち。と、わたしは思っている。
そして、今ではみんな美味しい。
そう思うもののひとつが杏仁豆腐で、最初はピンとこなかった。
今みたいにとろとろしていなくて、寒天みたいで、味もあんまり美味しくなかった。ということで、しばらくは「杏仁豆腐は好きではない」という人生を送っていた。
転機は大学の頃で、同郷の男友達(兄弟、と呼んでいた)がなぜだかひとつだけ作れるおやつが、杏仁豆腐だったのだ。
当時のわたしは「杏仁豆腐は好きじゃないんだけど」と言えたかわからないんだけれど、振る舞われたそれを口にしたら、やたらと美味くてびっくりした。
断言できる。杏仁豆腐の美味しさを教えてくれたのは、兄弟だった。
わたしはたいそう喜んでそれを食べたのを見て、兄弟は「おまえの誕生日に風呂いっぱい作ってやる」と、真面目な顔で言っていた。
ふざけたことを真面目な顔で言う人で、もちろん風呂いっぱいの杏仁豆腐を作ってもらったことはないのだけれど、その言葉がすごく嬉しかったことは、今でも忘れない。
今日は、冷蔵庫の杏仁豆腐を食べた。
「甘いものを食べたい」と言ったら、家族が買ってきてくれたものだ。
今では杏仁豆腐を美味しい、と思っているけれど、自分で買うことは少ない。
ついついシュークリームとか、菓子パンとか、ガブリチュウを買ってしまう。そっちのほうが気軽だから。
それだとしても、
世界から杏仁豆腐が消えたら、わたしは深い悲しみに襲わるだろう。
杏仁豆腐は、しみじみと美味しい。
風呂いっぱいの杏仁豆腐を思い浮かべて、やさしい思いを馳せながら
確かな懐かしさで、心身を満たしてゆく。
これからも、何度だって