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フツーのひと
ルイボスティーが美味しい。
久々に淹れたら、みょうに美味しい。染み渡るようだ。
寒くなるまで、アイスティーの暮らしを続けるだろう。
お気に入りの、イケアの、ガラスのティーポットにバッグをふたつ
お湯を注いで、蒸らして、また注いで、冷まして冷蔵庫に入れる。
夏になる前に、ルピシアのカフェインレス福袋を買った。
そして、ルイボスティーの美味しさに驚いた。
まだ、夏になる前の出来事だった。
ティーポットがカラになったので、次のお茶を淹れようと思う。
ルイボスティーを選ぶか、悩んでいる。
1袋にバッグが10個、5回しか飲めないルイボスティー。
美味しい、好きだ、と思うと急に手放したくなくなる。
好きなものは、最後に食べるタイプだ。
*
*
*
そういう、
いたってフツーな日常を送るわたしは
いたってフツーな言葉たちを綴っている。
「みんな特別なんだ」
「ひとりとして同じ人はいない」
「みんな違ってみんないい」
そういう言葉は聞き飽きたし、わたしなりに理解しているつもりだ。
もちろん、すばらしいと思っている。救われることも、救われたこともある。
ただ、どうしても”勝てない”と思ってしまう。
勝つために書いているわけではないのに、思ってしまう。
最近は、「大学生で出産を選んだ」という記事を見た。
前向きに出産を選ぶ姿勢と、それを支える家族の在り方が美しく、話題になったのだという。
ほんとうにすごく乱暴な言い方をすると、(悪く思わないで欲しい)
難病でも前向きとか
複雑な家庭環境とか
若くしてデビューするとか
勝てない、というか持っていない。
わたしの人生に於いて、他人があんまり経験していなそうなことと言えば
会社をクビになること
二十代と三十代で一度ずつ、別の理由で働けない身体になったことだろうか。
でもそれはわたしにとってのフツーで、経験談を語るほど神々しくもなく、不幸ぶるほど深く悲しむこともできなかった。
なんだか、前向きに振る舞わなくちゃいけない、と信じていた。
もちろん、そういった特別を生み出すこともできると思う。
でも、その努力をしない。
しないことを選択した。
例えば、
会社を辞めて独立するとか(稼げるかどうかは別として、辞めることは今日にもできる)
出版に向けて動いてみるとか(みんな売り出す努力か、売れる成果を用意して出版している。書いているnoteを誰かが見つけてくれて出版に至るっていうのは、ライブやってればメジャーデビューできるっていう夢物語と同じだ。そういうひとも、いるだろうけど)
もっと世の中の関わって
寂しくないような
なんて言えばいいんだろう。
見つけてもらえるような
*
わたしの書くものは、フツーだなあ。と思う。
勝ちにも、関わりにもいけないなあ、と思う。
たぶんみんなフツーで
そのフツーを、周りとかわたしが勝手に「勝っている人種」などと烙印を押すだけで
でもやっぱり
わたしの書くことは、おそろしくフツーだなあと思う。
美味しいルイボスティー
仕事帰りのコーヒー
誰かの新設
日常の、なんでもないような実験
誰にでもできること
石を投げれば当たること
どこにでもあることを、書いていたいのだと思う。
それが「努力しないこと」とか「挑戦しないこと」の言い訳になってしまわないように
見極めることだけは努めていたいなあ、と思っている。
※now playing
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