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竹本くんと家のこと

「あの、松永さん」

声をかけられたときに
名前を覚えてくれていたことに感動した。
新しく入った彼女とは、席が背中合わせで部署も違って、あまり接点がなかった。
「はい」と小さく返事をしながら、振り返る。

「郵便局のひとが来たって言うんですが、荷物を受け取れば大丈夫ですか?」
尋ねられて、頷く。
「受け取れば大丈夫です。もし困ったら呼んでください」なんてちゃんとしたふうを装って、わたしはきちんと微笑めただろうか。
やさしいおとなみたいに。

後ろを見れば、彼女の指導係はミーティングで席を外していた。
メンツや座席を見ても、彼女が声をかけるのはわたしが妥当、ということはわかっていた。

わかっていたけれども
わたしは、竹本くんのことを思い出していた。

わたしの一部はいまでも、”ハチミツとクローバー”でできている。
どれほど嫌がっても、忘れていても、きちんと春と秋に訪れる花粉みたいに
これは、ひとつの病だ。
時がくれば、必ず思い出す。

今日は、ふうっと竹本くんのことを思い出した。
自転車で旅をしていた彼のこと。

「水の補給には、かなり神経を使う」と竹本くんは言った。

自転車と、百均のシャツとハーフパンツで旅をしている彼は
社会的信用があるかと言われれば、そうではない。
たかが服装如きで、社会的信用をある程度買える、ということは良くも悪くもおとなになってから学んだ。
良い悪いとは別の、事実として。
中高生のとき、制服や体操服を”正しく”着ろと言われた真意は、そこにあったのかもしれない。
誰もそんなこと言わなかったけれど。

とにかく、胡散臭くてたぶん汚かった竹本くんは、少年と呼ぶには少し成長しすぎていて
何が言いたいかって、怪しいうえに、わたしみたいな運動神経のない女性が戦っても勝ち目がない、ということだ。
だから危険を回避するために、水をくれないような家庭も多かった、と語っていた。
「こんなご時世だから仕方がない」ということは、竹本くんだって理解している。

わたしだって
いまなら、もしかしたら断るかもしれない。
たぶん断る。
信用というのは関係性のうえに成り立つものだと思うし
わたしの時間や労力やお金は、信用のうえに使われるべきだ。と思う。
わたしが傷つくと悲しむ人がいる。という事実にも、もう無視はできない。

ああでもね、
でもね
竹本くんが、この部屋のインターフォンを鳴らしたら、お水をあげたいよ。
そういう、やさしい生き方ができたらいい。

そうしてたくさんの家を見ているうちに
家って やっぱり住んでいる人になんとなく似てる

もしオレを家に例えたとしたら
どんな家に見えるんだろう

羽海野チカ"ハチミツとクローバー"6巻

十余年を経ても
竹本くんの言葉は、わたしの心臓をきちんと貫いている。

「あんな風な家に見えるといい」と言った竹本くんのことも、覚えている。
そのすてきな家のことも。

そしていま、声をかけられたわたしのこと。
それはあのとき竹本くんが言った「あんな風な家」に似ていてくれればいいな、と思った。
「お水をください」と声をかけられる
そういうやさしくて、少し隙きのあるような
息の深くできるような、そういう家に、わたしに
見えていればいいな。

それは十余年前
わたしが理想とした生き方だった。

「郵便物でしたか?」

戻ってきた彼女に、ほほえんで声をかけた。
手にした郵便物を手に、不安そうな顔をしていたのがほころんだ。
わたしもそうだった。
よくわからない郵便物を受け取って、どうしていいかわからないときがあった。

「だいじょうぶですよ」と声をかけて受け取る。
今後のために、仕分けの方法も軽く伝えて
もう一度笑った。

ねえ、竹本くん

どこかでわたしを見つけたら、道を尋ねてくれる?
お水がなくて困っているときだったら、「お水をください」って言ってくれる?

もし声をかけてくれたら、お水と一緒にお菓子もあげるね。
引き出しにゼリーがあったから持っていってね。
きっと自転車の旅にはぴったりだよ。

ねえ、竹本くん。
わたしも、「あんな風な家」になれたかな。
違うなら叱って欲しいけど、君は叱るのが苦手だろうから。

何度でも鏡を見て、間違えたら直して
あのときカッコ良いと、すてきだと憧れたやさしい家みたいなわたしに
なれるように、何度でも努めてゆくよ。






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