竹本くんと家のこと
「あの、松永さん」
声をかけられたときに
名前を覚えてくれていたことに感動した。
新しく入った彼女とは、席が背中合わせで部署も違って、あまり接点がなかった。
「はい」と小さく返事をしながら、振り返る。
「郵便局のひとが来たって言うんですが、荷物を受け取れば大丈夫ですか?」
尋ねられて、頷く。
「受け取れば大丈夫です。もし困ったら呼んでください」なんてちゃんとしたふうを装って、わたしはきちんと微笑めただろうか。
やさしいおとなみたいに。
後ろを見れば、彼女の指導係はミーティングで席を外していた。
メンツや座席を見ても、彼女が声をかけるのはわたしが妥当、ということはわかっていた。
わかっていたけれども
わたしは、竹本くんのことを思い出していた。
*
わたしの一部はいまでも、”ハチミツとクローバー”でできている。
どれほど嫌がっても、忘れていても、きちんと春と秋に訪れる花粉みたいに
これは、ひとつの病だ。
時がくれば、必ず思い出す。
今日は、ふうっと竹本くんのことを思い出した。
自転車で旅をしていた彼のこと。
「水の補給には、かなり神経を使う」と竹本くんは言った。
自転車と、百均のシャツとハーフパンツで旅をしている彼は
社会的信用があるかと言われれば、そうではない。
たかが服装如きで、社会的信用をある程度買える、ということは良くも悪くもおとなになってから学んだ。
良い悪いとは別の、事実として。
中高生のとき、制服や体操服を”正しく”着ろと言われた真意は、そこにあったのかもしれない。
誰もそんなこと言わなかったけれど。
とにかく、胡散臭くてたぶん汚かった竹本くんは、少年と呼ぶには少し成長しすぎていて
何が言いたいかって、怪しいうえに、わたしみたいな運動神経のない女性が戦っても勝ち目がない、ということだ。
だから危険を回避するために、水をくれないような家庭も多かった、と語っていた。
「こんなご時世だから仕方がない」ということは、竹本くんだって理解している。
わたしだって
いまなら、もしかしたら断るかもしれない。
たぶん断る。
信用というのは関係性のうえに成り立つものだと思うし
わたしの時間や労力やお金は、信用のうえに使われるべきだ。と思う。
わたしが傷つくと悲しむ人がいる。という事実にも、もう無視はできない。
ああでもね、
でもね
竹本くんが、この部屋のインターフォンを鳴らしたら、お水をあげたいよ。
そういう、やさしい生き方ができたらいい。
十余年を経ても
竹本くんの言葉は、わたしの心臓をきちんと貫いている。
*
「あんな風な家に見えるといい」と言った竹本くんのことも、覚えている。
そのすてきな家のことも。
そしていま、声をかけられたわたしのこと。
それはあのとき竹本くんが言った「あんな風な家」に似ていてくれればいいな、と思った。
「お水をください」と声をかけられる
そういうやさしくて、少し隙きのあるような
息の深くできるような、そういう家に、わたしに
見えていればいいな。
それは十余年前
わたしが理想とした生き方だった。
*
「郵便物でしたか?」
戻ってきた彼女に、ほほえんで声をかけた。
手にした郵便物を手に、不安そうな顔をしていたのがほころんだ。
わたしもそうだった。
よくわからない郵便物を受け取って、どうしていいかわからないときがあった。
「だいじょうぶですよ」と声をかけて受け取る。
今後のために、仕分けの方法も軽く伝えて
もう一度笑った。
*
ねえ、竹本くん
どこかでわたしを見つけたら、道を尋ねてくれる?
お水がなくて困っているときだったら、「お水をください」って言ってくれる?
もし声をかけてくれたら、お水と一緒にお菓子もあげるね。
引き出しにゼリーがあったから持っていってね。
きっと自転車の旅にはぴったりだよ。
ねえ、竹本くん。
わたしも、「あんな風な家」になれたかな。
違うなら叱って欲しいけど、君は叱るのが苦手だろうから。
何度でも鏡を見て、間違えたら直して
あのときカッコ良いと、すてきだと憧れたやさしい家みたいなわたしに
なれるように、何度でも努めてゆくよ。
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