コーヒーと呪い
絶望の淵で書いたエッセイは、公開しないことにした。
確かに、希望の淵を掴んで、おそらく腰掛けようとするところまできていた。
だから書いた。
絶望を絶望のまま書くのは簡単で、それは呪いだ。
悪い呪いだ。
わたしはもっと、歌うように呪いたい。
マグカップに残ったコーヒーみたいに呪いたい。
ユーミンみたいに呪いたい。
別れた恋人の、ベッドの下に真珠のピアスを捨てて
引っ越しするとき気づくでしょう、と言って笑いたい。
ユーミンは、泣かない。
他の女を選んだ男を想って、泣いたりしない。
耳元でささやきたい。
「わたしはずっと変わらない」と
そういうのが、わたしの目指す呪いだった。
このセリフで終われたことで、満足していた。
「新作のフラペチーノを飲むまで生き続ける」とか
「スタバの新作は永遠に続くから」とか
そういう言葉は添えなくても、「生きる」という意味そのものだった。
でも、公開画面に貼り付けたら、3000文字と表示されて驚いた。
勢いで書いた、絶望の、掴みきれなかった希望の物語を、いまは見せることができない。
*
それでも、わたしは書いた。
書くべきだ、と思った。
書きたい、と思った。
最近、「他人の体験」に勇気をもらったから。
通りすがりで読ませていただいたのだけれど、もうタイトルから惹かれた。
わたしも、毎朝ラジオ体操をしている。
ルーズになりつつあるけれど16時間ダイエットをはじめて半年
ラジオ体操以外にも、ストレッチとか筋トレとかプランクとか
朝は、30分くらい運動している。
それなのに、痩せない。
半年かけてマイナス5キロくらいのラインで停滞しているのが、いまのわたし。
ゆのまるさんが載せていた、体重と体脂肪の推移というグラフに、すごく勇気をもらった。
それは1年間の努力のグラフだった。
上下はあっても、1年間で見れば確かに、右肩下がりになっているーーー
毎日の体重に一喜一憂していたけれど、
1ヶ月の体重の平均を取れば、わたしもきっと右肩下がりだ。
そのときの晴れやかな気持ちといったら、
もうデブには戻りたくないし、16時間ダイエット以外の食事制限は絶対にしたくないからダイエットは続けるつもりでいた。
一生ダイエットするつもりでいた。
身体がどれだけ変わらなくても、と思っていた。
ああでも、変わるんだ。
変われるかもしれないあるんだって
誰かが実際、「歩いたよ」「この道歩くとこんな感じだよ」とささやいてくれる、勇気たるや。
自分では、歩いてきた道のことを語ることは「別にすごいことはしていない」って思うかもしれないけれど
誰かから見れば知らない道で
それはすごく、価値のあるものだって
経験って、勇気だ。
*
だからわたしも言葉を紡ぎたくて綴ったけど、だめだった。
むかし好きだった男のことを想って、そこが主軸みたいな物語になっちゃった。
もっとこう、別れたあとに飲めるようになったブラックコーヒーの話とか、
「おまえブルマン好きって言ってたけど、それって高価なだけなかっこつけだったよな」
「でもそれが格好良いと思ったわたしは溺れていた」
「いまはもう、絶対にブルーマウンテンは飲まない」とか
そう、そういう話を書きたかった。
だいぶ逸れたけど。
もう少しときが来たら、
この物語を書きたい。
笑って書くべきかわからないけれど、痛めつけない方法で書きたい。
とりあえず、会社に行けなかったわたしは、こうして生きているし書いている。
今日はそれでよい、ということにしておきたい。
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