「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」
「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう。だよ」
疲れて、酔っ払って、目の前の男はなんの役にも立たなかった。
引っ越しの準備も進まないまま、解約日まで1週間。
ああ、だめだ。
これじゃあ、だめだ、と思うのに。
「そう言われたら」
わたしは、頷くしかなかった。
*
スガシカオのライブに行ったとき、
「聞きたい曲はなに?」と尋ねられた。
好きな曲はたくさんある。
救われた曲もたくさんある。
それでも、いま
重たい身体を引きずって、ぎりぎりのところで、国際フォーラムに向かう電車に乗っていたわたしは、笑って答えた。
「午後のパレード」
季節はどう考えたって夏じゃなかったのに、
わたしは会いたくて仕方がなかった。
脳天気なクエスチョン・マークに。
夏の午後のパレードに。
「ごめんなさい なんとかなると思っちゃう」というのは、
午後のパレードの一節で、一番好きなところのひとつだった。
*
「車なんて、何往復もしてもらえれば大丈夫だよ」と、言った。
やっぱり、酔っ払っていた。
引っ越しは、酔っぱらいの後輩であるサカモトくんが車を出してくれることになっていた。
わたしはサカモトくんに会ったことがないので(例え会ったことがあったとしても)、何往復もしてもらうのは申し訳ないなあ、と思っていたので、大きな本棚をバラすことは決めていた。
「車に入らなくてもさあ、後ろ開けたまま運んだっていいでしょ」
なんて言うのには驚いた。
ばかか、という代わりにぴしゃりと言った。
「わたしたちは免許を持っていないので、なにかあったときに傷がつくのはサカモトくんの免許です」
「罰金はわたしたちが払わなくてはなりませんが、そんなとこに払うお金はありません」
酔っ払いはしゅんとして頷いた。そうだよね。
わたしはお酒を飲まないので、酔っぱらいがどこまで本気で話して、どこまでを明日覚えているか検討がつかないけれど、言うべきことは言わなければいけない。
「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう。というのは
懸命に、なんとかしようと努めた人が使う言葉です」
そんなせりふが、すうっと降りてきた。
あまりにも、すうっとしすぎていて驚いていた。
ああ、そうか
わたしが、この言葉を愛しているのは、そういう理由だったんだ。
当たり前すぎて、考えたこともなかった。
*
眠れない夜、不安な夜。
理由は様々だ。
自分のせいかもしれないし、巻き込まれただけかもしれない。
今すべきことを後回しにしていることもあれば
明日、会社に行かなければ解決しないことで、悩んでいることもある。
自分が死ぬかもしれないという妄想と
親が死ぬときがくるというリアル。
もちろん、自分が死ぬときだってリアルで訪れるはずだけど、それはまだ遠い。
来月の家賃を払うことと、老後の貯蓄がないこと
未払いの公共料金と、言わなければよかった言葉。
会えなくなった友達のこと。
いくつもの問題と不安があって、いくつかはきちんと流れて消える。
でも、その中で残ってしまった”どうしても現実的と思える問題”に、立ち向かう。
立ち向かって、ひとつずつ考える。
思考を整理して、整理した思考で行動して、それでも不安で、身体が動かなくなったその最後に
「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」って、笑えたら。
たぶん、それが最強だと思う。
だからわたしは、何年経ってもずっと、求めている。
午後のパレードが、僕の街へ、わたしのこころへ、訪れてくれることを。
いつでも、午後のパレードを受け入れられる、わたしでいられることを。
*
今日、君が「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」と感じているなら、それがいい。
年に一度の大舞台、ワンマンライブ。
13度目というと、見るほうは「慣れ親しんだ夜」かもしれないけれど
求められた感動を紡ぐには、同じことを繰り返すだけではいられない。
努めて、でも不安で、もう少し時間があればよかった、と思っているかもしれない。
あれこれに気遣って、足りないような気がして、身体はぼろぼろかもしれない。
今日に向けて、ライブの準備と並行して、歌える身体を作るっていうのは易しいことではない。
でも君は今日、
13度目の挑戦をする。
そういう努力と勇気と夢を掲げた人のところに
午後のパレードが訪れればいい、と思っている。
そしてそんな勇気を後押しするように
開演前の薄い酸素の中で、この魔法が「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」が
眩しすぎるくらいに、ぎらりと輝けばいい。
(13回目の夜に)
1回目のときから友達です。
配信のチケットもあるって
ちょっと聞いてみて
もちろん、午後のパレードも
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎