最強の人生
この、とけるようなエレクトリックピアノは
「ハチミツとクローバー」の10巻を見ながら弾いた。
少し前に、ハチクロのことをエッセイに書いた。
花本はぐみが、はぐちゃんの本名で
それが「ハチミツとクローバー」という物語の出来事だということを
知っているひとや、覚えているひとはどれくらいいるだろう。
羽海野先生が現在連載している「3月のライオン」も、ずいぶん前に10巻を越えた。
このエッセイでは、ハチクロのことを深く説明したりはしなかった。
だけどわたしは、10巻のあのシーンを思い出したくて、単行本を手に取った。
多くのエッセイはこの場所で生まれ、
この場所は自室のパソコンで、パソコンの隣には電子ピアノがある。
エッセイで参考にした書籍はピアノの上に、ついつい積まれてしまう。
いまは、ハチクロの10巻と、江國香織さんの「つめたいよるに」が仲良く並んでいる。
*
ハチクロの、10巻の表紙を眺めながら
わたしはみょうに、勇ましい気持ちだった。
10巻の、あの観覧車。
はぐちゃん、あゆ、竹本くん、真山、森田さん
5人の男女を中心の織りなされた物語は、
青春群像劇でありがちな、予定調和な恋は起こらなかった。
5人がそれぞれ、別の道を、別の誰かと歩みだす結末を、さびしいとは思わない。
だってはぐちゃんなら、あゆなら、きっとそうしたと思うから。
わたしはいまでも、懐かしい友達を見つめるように、表紙を見つめている。
はじめてはぐちゃんに会ったときは高校生で、
完結巻である10巻は、2006年に出版されたらしい。
わたしは二十歳を越えてから、全10巻を手元に置くことを決めた。
あれから5度ほど引っ越したけれど、ハチクロだけは手放さなかった。
手放すなんて、考えもしなかった。
*
はぐちゃんや、あゆは元気だろうか。
このふたりと、真山については、「3月のライオン」で少し未来の姿を見ることができた。
元気そうで安心した。
竹本くんや、森田さんもきっと元気だと思う。
きっとどこかで、もりもり食べて、もりもり作っているんだと思う。
もしもう何も作っていなくてもいい。
あなたの望んだ未来に立っていてくれたら、それでいい。
*
だいじょうぶだ、と思う。
表紙を見つめながら、わたしはだいじょうぶだ、と思う。
わたしの人生には「ハチミツとクローバー」がある。
一度出会った物語は、決して失われない。
わたしはこれからも、はぐちゃんや、あゆたちと生きてゆく。
さびしくなったら思い出して、
教わった大切な言葉たちが、魔法のようにわたしを守り、血液のように身体中を循環している。
いまのわたしは、ハチクロを知っているわたしだ。
ハチクロと生きてゆけるわたしだ。
そう思ったら、なにを恐れることがあるのだろうか。
ハチクロがいる。
それって、最強じゃないか。
*
そういった「最強」の成分の幾つかで、わたしは作られている。
スガシカオもユーミンも、江國香織も
大切なことを教えてくれて、消えていない。
わたしはスガシカオみたいに「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」と笑うし、
なにかを諦める前にはユーミンを思い出して、「まだルージュの伝言も真珠のピアスも残していない」と立ち止まるし、
わたしの血液はいまも、江國香織さんの物語「神様のボート」の葉子さんでできている。
だから、だいじょうぶ。
なにも不安に思うことはない。
それでも何度も不安は押し寄せて
でも最後にはだいじょうぶだって
努めることとやさしくあることと笑ってやる強さを
わたしはもう、こんなにも教わってきたではないか。