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最強の人生

この、とけるようなエレクトリックピアノは
「ハチミツとクローバー」の10巻を見ながら弾いた。


少し前に、ハチクロのことをエッセイに書いた。

花本はぐみが、はぐちゃんの本名で
それが「ハチミツとクローバー」という物語の出来事だということを
知っているひとや、覚えているひとはどれくらいいるだろう。
羽海野先生が現在連載している「3月のライオン」も、ずいぶん前に10巻を越えた。

このエッセイでは、ハチクロのことを深く説明したりはしなかった。
だけどわたしは、10巻のあのシーンを思い出したくて、単行本を手に取った。

多くのエッセイはこの場所で生まれ、
この場所は自室のパソコンで、パソコンの隣には電子ピアノがある。
エッセイで参考にした書籍はピアノの上に、ついつい積まれてしまう。
いまは、ハチクロの10巻と、江國香織さんの「つめたいよるに」が仲良く並んでいる。

ハチクロの、10巻の表紙を眺めながら
わたしはみょうに、勇ましい気持ちだった。

10巻の、あの観覧車。
はぐちゃん、あゆ、竹本くん、真山、森田さん

5人の男女を中心の織りなされた物語は、
青春群像劇でありがちな、予定調和な恋は起こらなかった。
5人がそれぞれ、別の道を、別の誰かと歩みだす結末を、さびしいとは思わない。
だってはぐちゃんなら、あゆなら、きっとそうしたと思うから。

わたしはいまでも、懐かしい友達を見つめるように、表紙を見つめている。
はじめてはぐちゃんに会ったときは高校生で、
完結巻である10巻は、2006年に出版されたらしい。
わたしは二十歳を越えてから、全10巻を手元に置くことを決めた。

あれから5度ほど引っ越したけれど、ハチクロだけは手放さなかった。
手放すなんて、考えもしなかった。

はぐちゃんや、あゆは元気だろうか。
このふたりと、真山については、「3月のライオン」で少し未来の姿を見ることができた。
元気そうで安心した。
竹本くんや、森田さんもきっと元気だと思う。
きっとどこかで、もりもり食べて、もりもり作っているんだと思う。

もしもう何も作っていなくてもいい。
あなたの望んだ未来に立っていてくれたら、それでいい。

だいじょうぶだ、と思う。
表紙を見つめながら、わたしはだいじょうぶだ、と思う。

わたしの人生には「ハチミツとクローバー」がある。
一度出会った物語は、決して失われない。
わたしはこれからも、はぐちゃんや、あゆたちと生きてゆく。
さびしくなったら思い出して、
教わった大切な言葉たちが、魔法のようにわたしを守り、血液のように身体中を循環している。

いまのわたしは、ハチクロを知っているわたしだ。
ハチクロと生きてゆけるわたしだ。

そう思ったら、なにを恐れることがあるのだろうか。
ハチクロがいる。
それって、最強じゃないか。

そういった「最強」の成分の幾つかで、わたしは作られている。
スガシカオもユーミンも、江國香織も
大切なことを教えてくれて、消えていない。

わたしはスガシカオみたいに「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」と笑うし、
なにかを諦める前にはユーミンを思い出して、「まだルージュの伝言も真珠のピアスも残していない」と立ち止まるし、
わたしの血液はいまも、江國香織さんの物語「神様のボート」の葉子さんでできている。

だから、だいじょうぶ。
なにも不安に思うことはない。
それでも何度も不安は押し寄せて
でも最後にはだいじょうぶだって

努めることとやさしくあることと笑ってやる強さを
わたしはもう、こんなにも教わってきたではないか。




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松永ねる
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