朝顔の呪い
昨日の記事でも、
「母親が定期的に、Facebookでコメントをくれている」という話をした。
こうして、noteの連続更新をして、もうすぐ100日。
「エッセイも毎日書くぞ」と決めたのが5月の最初なので、
毎日書いて、70日と少し。
再三お話しているように、わたしは無職。
ということで、毎日家にいる。
このご時世、わざわざ出掛けることは稀だ。
リモートワークをはじめた4月頃は、「散歩しなきゃヤバイ気がする」という強迫観念のようなものに駆られ、意識的に散歩をしたりしていたけど、いまはそんなにしない。
家の裏のスーパーに、行く日もあれば、行かない日もある。
インプットの量が少ない、という話だ。
わたしの世界は、家の中で完結している。
同居人の話が増えるのは、もう必然というか、これを封じて「ひとり暮らしのフリ」を演じ続けなければいけなくなったら、もう書けなくなってしまっていただろう。
だから、エッセイは「暮らしの中で思ったこと」を中心に、同居人との出来事を書いたり、
あとは、「暮らしの中で思い出したこと」を書いている。
過去のわたしを、拾う作業だ。
その中で、母親の存在は大きい。
わたしが覚えていない、わたしのことを知る、数少ない人物だ。
例えば、「生まれた瞬間泣かなかった」なんて話は、母親から聞くしかない。
もちろん、覚えていない。
そんな、生まれた瞬間から、世界に反旗を翻していただなんて……
幼少期、予防接種(注射)でお医者さんに「痛い!ばか!ふざけんな!」的なことを言って、キレ散らかしたというのも、もちろん覚えていない。
おにぎりが好きだという話を書いたときには、「子どものからだはおにぎりで出来ている、って小学生のあなたたち兄妹を見ていてよく思ったものです。」とコメントされた。
小学生の時から、おにぎりが好きだったらしい。
これも覚えていない。
祖父が、「自分で増築したお寺でお葬式をした」という話を書いたときにも、
「そういえば、増築だっけ? 改築だっけ?」と不安なまま、投稿をしてしまった。
その後Facebookにて、増築で合っていると教えてもらった。
*
この話も、わたしは覚えていない。
覚えていないのだけれど、ここ数年のあいだに母から聞いたので、その事実を知ってはいた。
「君に伝えたい百の言葉」というマガジンで、百個目の記事を書いたときだ。
母親から、こんなコメントがついた。
祝♥️100話🎉
私が月1の作文クラブにきゅうきゅうしているところ、あなたはサクサクと100に到達🐾素晴らしい‼️
小学校1年生の夏休み、朝顔の観察日記からあなたと文字との特別な関係は始まっていると思われます。
朝顔の観察日記。
わたしは、そんなものを書いていたことすら覚えていないし、
毎日書くマメさなんて持ち合わせていないうえに、
あとでまとめて書くずる賢さは持ち合わせていたので、どうせ最後にまとめて書いたんだと思う。
その、朝顔が咲いたときの日記での出来事だ。
わたしは、こんな風に書いていたらしい。
花がさいたよ、あさがおのね
お気づきだろうか?
倒置法である。
本来ならば、「あさがおの花がさいたよ」と書くところ、順序を逆に書いていたらしい。
わたしは12月生まれなので、小学校1年生の夏は6歳だったのにも関わらず、倒置法を用いていたというのだ。
わたし自身には子供がいないので、6歳の知能がどのほどか、理解はできないのだけれど
当時の母親は、えらく驚いたらしい。
あれから20年以上、いや、30年近く経とうとしているのに、いまでも褒められる。
「このひとことで、”ようやく”朝顔の花が咲いた、という感動が伝わってくる」と。
これが母の言う、「朝顔の観察日記から始まった、わたしと文字の特別な関係」だ。
その後の人生については少し記憶がある。
本は好きだったし、はじめて市営の図書館に連れて行ってもらったときは感動した。
子供のときは、海賊ポケットシリーズと、わかったさんとこまったさんのお菓子作りシリーズをかなり読んだ。(このおかげで、幼少期からお菓子作りには興味があったと思う。ひとり暮らしをしてからも、たまに作っていた)
10歳くらいのときワープロ(データをフロッピーディスクに保存するやつ)を与えられて、日記と小説を書きまくっていた。
中学2年生でノートパソコンを買ってもらうことに成功し、やっぱりわたしは書いていた。
そのあいだもピアノを習っていたけど、書くことのほうがずっと好きだった。
書くことより、音楽に比重を置き始めたのは大学生になってからなので、思い返してみれば、音楽の歴史のほうが浅いのだ。わたしにとっては
*
ここまで書いて、
なんだ、そういうことか、と思っている。
ハタチ過ぎから、10年以上
ライブハウスでライブをすることに、人生の比重を置いてきた。
バンドが休止し、ひとりになったわたしは、それでも音楽活動を続けたくて、弾き語りをはじめた。
これに関しては、音楽が好きだったからというよりも、「ひとりで何もできないやつになりたくなかった」という、意地のようなものの方が強かった気がする。
そしていま、無職になり、
自由な時間を手に入れたわたしは、やっぱり書き始めた。
そして、書き続けている。
書くことが、純粋に毎日楽しいかと言われれば疑問だけど、
そもそも、毎日純粋に楽しいことって、そんなにないと思ってる。
わたしは、怠惰だから。
「約束は、呪いでもある」と言い放ってきたのも、母だ。
七夕のとき「約束」というタイトルでピアノ日記を作ったのだけれど、どうも呪い染みてしまった。
という投稿に対しての、コメントだった。
6歳のとき、わたしが出会ったのは呪いのようなものだったと思う。
悪魔に魂を売るような、「特別な関係」に出会ってしまった。
わたしはきっと、これから死ぬまで
朝顔の呪いを、受け続けてゆくのだ。