あなたはわたしの、ミスター・サタン
トン、トン
規則性を持って、その音は響いている。
彼は人参を細かく刻み、次はピーマンに手を伸ばす。
ひき肉と炒めて、「いつでも使える便利な保存食」を作るのだと、意気込んでいた。
そんなに細かく刻まなくてもいいのに、と思う。
食べれればなんでもいいのに、と思う。
嫌いな食べ物こそいくつかあるけれど、わたしはあんまり食にこだわらないタイプだと思う。
だからこそ、同居人は「食でわたしの健康を保つこと」に使命感を持っている。
そして「安く食材を買えること」は、彼にとっていちばんの幸福のひとつだった。
代わりにわたしは、掃除も洗濯もゴミ出しもやる。
それは、ひとりで住んでいてもやらなくてはいけないことだからやっているだけ。
美味しいごはんを食べたいわけじゃないのに。
そんなに頑張らなくても、やさしくしてくれなくてもいいのに。
わたしは何も返せない、と思ってしまう。
*
あなたは、ミスター・サタンをご存知だろうか?
ドラゴンボールシリーズの登場人物で、格闘技の世界チャンピオンだ。
と言っても、主人公の悟空はサイヤ人で、言葉通り”人外規格”の強さなので、それと比べるとサタンはずいぶん軟弱に描かれている。
ドラゴンボールZの終盤になると、サタンはものすごく活躍する。
強くなるわけじゃない。
でも、サタンはすごかった。
ドラゴンボールでは毎度「史上最悪の敵」が出てきて、
ベジータも、フリーザも、セルもそうだったんだけど、ドラゴンボールZで一番最後に出てくるのは「魔人ブウ」だ。
悟空たちもなかなか、魔人ブウを倒すことができない。
人類は戦車や戦闘機まで持ち出したのに、ブウを倒すことができなかった。
最後、人類の希望を託されたミスター・サタン。
サタンは、ブウが強いことを理解していた(彼なりに)
だから、ブウの子分になって、仲良くなって、気を緩ませて、そのすきに倒そう、という姑息な作戦に出た。
最初はおそるおそるブウに接していたけれど、一緒に遊んで、子犬を助けて、ふたりの距離はぐっと縮まってゆく。
そして、サタンとブウの、奇妙な共同生活が始まった。
サタンは、ブウのために料理を作る。
魔人ブウは、とにかくたくさん食べるし、食べることが大好きなのだ。
「お〜い、ごはんまだか〜?」
フォークとナイフを両手に、ブウは笑顔で叫ぶ。
「は〜〜〜い、もう少しですよ〜〜〜」と答えるサタンは、笑顔だった。
サタンは、ブウのことを好きになったのだ。
史上最悪の敵で、倒さなければならない相手だったのに。
一緒に遊んで、話して、暮らして、ブウのことを理解していき、良いところを知り
そしていま笑って、ブウのためにごはんを作っている。
この、ミスター・サタンと魔人ブウの友情が、のちの世界を救うこととなる…
*
わたしは決して、「ごはんまだ?」とは言わない。
もうおとなだし、作ってもらっている立場なので、急かすようなことはしない。
おなかが空いているときは、「ごはんいつできる?」と時間を確認するようにしている。
でも、ソファーに埋もれて、ゲームをしたり、YouTubeを見ながら、
何も心配せずにごはんを待つわたしの姿は、魔人ブウと似ているかもしれない。
わたしは魔人ではないので、「いつもごはんを作ってもらってばっかりで悪いなあ」などと思ったりする。
でもきっと、サタンなら
ブウに、そんなふうに思って欲しくないだろうな。
誰かが自分のごはんを待っている、必要とされている、サタンはきっとそれだけで、しあわせだったはずだ。
わたしは時々、ミスター・サタンのことを思い出す。
そして、人参やらピーマンを刻む同居人のことを、「ミスター・サタン」だと思うようにする。
わたしはブウみたいに無邪気な顔で、ごはんを食べる。
何を食べても美味しい、と思うので、毎日「おいしい」と「ごちそうさま」を言う。
「おなかいっぱい」と言うと、隣で「よかったね」と笑っている。
「わたしはあなたに何も返せていないと思う」と、同居人に告げたことがある。
「それは、こっちが決めることだから。返してもらっていると思っている」と言われた。
ふうん、そんなもんかと思ったけど、やっぱりちょっと腑に落ちない。
あなたはわたしの、ミスター・サタン
そう思うことにしている。
魔人に餌付けして、それが楽しくなっちゃったりして、
最終的に魔人を好きになってしまったミスター・サタンであるならば
なんだかもう、仕方のないことなのだ。