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【小説】温度

ポストを覗くと、封筒が入っていた。
無愛想な茶封筒には、覚えのない会社名と、わたしの名前が書かれている。
なんだろう、とは思ったけど、考えるのも面倒だったのでそのまま封を破った。

入っていたのは、2枚のチケットだった。
同封されていたポストカードには、鳥の写真。
そして、Kという名前。

昨日、テレビでKを見た。ギターを弾いて、うたを歌っていた。
そんな彼とわたしの関係はたったひとつで、一度だけインタビュー記事を書かせてもらったことがある。
新譜リリースの販促のひとつで、実際のCDは発売前。わたしはmp3のデータをもらって、曲だけ先に聞かせてもらっていた。
「完成したCD持ってくるの忘れちゃったんで、住所教えてもらえませんか?」と言われて、教えたことも覚えている。
自分で買うからいい、と何度も言ったのになぜだか折れてくれなかった。


沙理さんには、なんとなく見て欲しいなって思ったから。チケット送ります


ポストカードに書かれている文字は、それだけだった。

それだけだったのが、なんだか好ましく思えた。
適当に、適切なような顔をして綴れる言葉は、たくさんある。
それなのに、「お元気ですか?」のひとこともない。

わたしが元気かどうかは、Kには重要ではないかもしれない。
そんなことより、”理由は言語化できないけれど見て欲しい”と、それだけを告げたKという男への興味は、膨らんでゆくばかりだった。



同封されていたチケットは2枚だったので、Kのことを好きだと言っていた友人を誘ったら、あっさり断られた。
「代わりに、弟を連れてってよ。アイツ最近ギターとか初めてさ、ライブ見たいって言ってたから」
付け足すように「Kのことも好きだし」と言い放ち、わたしは断る隙も、術も失ってしまった。

待ち合わせ場所で、「沙理ちゃん?」と声をかけてきたときには、驚いた。
わかってはいたけど、もう制服姿ではない。
弟が高校を卒業して、何年経っただろう。
背は、ずいぶん昔に抜かれてしまったけど、また大きくなったような気がする。

開演前に「わたし、煙草吸ってくる」と告げたら、「俺も」と言われてまたびっくりした。
もう、21になったのか。
「姉ちゃんには辞めろって言われるけど」と言いながら、マルボロに火をつける姿は、ほんとうにもう子供じゃなかった。
少し前まで、かっぱえびせんをくわえていたのに。
おとなになったなあ、と思う。

「かっぱえびせんは、まだ好きだよ」と、頭上から笑い声が降ってくる。
「沙理ちゃんだって、まだ"たけのこ派"でしょ?」と言われて、ほんとうになにも言えなくなってしまった。
友達の代わりに、弟をコンビニに連れて行った。
あの小さな手を、まだ覚えている。

ずいぶん時間が流れて、おとなになったつもりだった。
お菓子の代わりに、煙草をくわえることも覚えた。
でも、それだけだった。



Kのライブは、すばらしかった。

文字を扱う仕事をしているくせに、「何がすばらしいか」言語化できないなんてよくないなあ、と思うけど、今日はいいじゃないか。
そんなふうに思える、Kにはパワーがあった。
もうぜんぶ、Kが歌詞と音にしてくれている。
こんな感覚は久し振りで、このすばらしいライブをKが「なんとなくわたしに見せたい」と言ってくれたならば、それはすごく、すごく嬉しいことだと思えた。

Kとわたしの世界はどこかで繋がっていて、
Kはそれに、気がついてくれていた。
そんな、錯覚。

弟は、未だ目を輝かかせながら、誰もいなくなったステージを見つめている。
まだ人も多いし、しばらく待ってから帰ろう。
声を掛けられたのは、そんなときだった。

「沙理先生ですか?」



わたしは、名前を呼ばれて振り返った。
沙理先生、はわたしのことだ。
「あの、」としどろもどろに語る彼女を見て、わたしは「ああ」と悟った。

きっと、わたしの本を読んでくれた人だ。
わたしの本は、”ベストセラー”になって、売れたらしい。
当のわたしは、”ベストセラー”の定義も知らないままでだった。
ただ、そのおかげで次の仕事があって、文字を書きながら飯を食っているということは理解している。
もちろん、贅沢をできるほどではなくて、生活の規模感は、アルバイトをしていた頃と何ら変わらない。
気づいたら、「先生」と呼ばれていた。
先生になるつもりなんか、なかったのに。
わたしはいつだって、言葉の中を旅していたかった。ただそれだけだった。
ほんとうはずっと、無責任な子どものままでいたかった。

Kが案内してくれたのは関係者席と呼ばれる場所だったけど、一般の人もいるのか。
そういえば、隣でまだ座っている弟も一般人だった。

そういうわたしだって、一般人だ。
そうだ、「一般人」この言葉がよくない。
対義語は「有名人」に当たるのだろうか。

「あの、沙理先生のファンで…」と、彼女はおずおずと話しだした。
通行人10人捕まえても、わたしの名前を挙げる人がいないこの世界で、この出会いは奇跡かもしれない。
「こんなご時世にこんなこと言うの、本当はダメだってわかってるんですけど、握手してもらえませんか?」
むりならいいです!と、それだけ言って彼女は下を向いた。

こんなご時世。
観客席に座っている人は半分、関係者席はかなり空席が目立った。
流行り病の影響だということは、みんなわかっている。
マスク越しのわたしを見つけてくれたのは、奇跡に近い。
いやすごい、よく見つけてくれた。すごい出会いだ、なんて思っていたら、わたしはしばらく黙ってしまっていたらしい。
彼女は、慌てて話し始める。

「本当は握手なんてダメだって、わかってるんです。
 でも子供の頃、テレビに出てる有名な方と握手させてもらったことがあったんです。
 そのときに握った手が、あったかくて、あまりにもふつうのオジサンの手で
 いえ、沙理先生はオジサンじゃないんですけど
 そのとき、”このひともわたしと同じ人間なんだ”って、思って…」



そうだ、わたしにもそんなことがあった。

わたしが、弟くらいの年齢だったとき。
敬愛するミュージシャンのCDの感想を綴ったブログに、本人からコメントをもらったことがあった。

まさか本人に読んでもらえるとは、
いや、読んでいるかわからないけど、見つけてもらってコメントをもらえるとは…
コメント通知の画面を3度見つめて、コメントの文字列を理解することができないまま何分も経って、
どきどきした心臓を落としそうになりながら、スクリーンショットを撮った。

ああ、繋がっていたんだ。
わたしの世界も、このミュージシャンの世界も

どこか、雲の上とか、異次元みたいに思っていた。
届かない人で、勝手に崇拝して、それはどこか、人間味を失わせるような行為だった気がする。

違うんだ、存在しているんだ。

実際に会うことが簡単に叶う相手ではないだけで、電車を乗り継いだたら、繋がっている。
どこかの駅のホームで、コメントを書いてくれたのかもしれない。

この世界に、あの人はいる。

ばかみたいに、そう思った。
あの人は、今日も明日も変わらずに発信しているだけなのに。
急に、”生きている”と思えた。
どうしていままで、そんなふうに思えなかったんだろう。
わたしは、勝手だった。



「握手、いいんじゃない?」

何も言えずにいるわたしの代わりに、弟が言った。
「コレもあるし」と言って、消毒用のアルコールを振り回している。

握手をすることが、正しいことかどうか、わたしにはわからない。
でも、そんなことよりわたしは、彼女の手を握りたかった。
知って欲しかった、人間だということを。
ただ、あなたと同じ世界で暮らしているだけのわたしが、言葉を紡いでいることを。

そして、「正しさ」よりも「感情」で動く、わたしがいることを
わたしは、認めたかった。
そしてあなたに、伝えたかった。

「握手、お願いします…」

消毒もあるので、と告げた声は、ずいぶん小さくなってしまった。
「いや、あの、嫌とかじゃなくて、あの、うれしくて。読んでいただいて、ありがとうございます」
慌てて言いながら、わたしはそっと、手を差し出した。

彼女が伸ばした手が、ゆっくりと、確かに重なる。

わたしは一度だけ、ぎゅっと握った。
わたしたちが"互い"に、"人間である"ということを確かめるように。
そしてすぐに、離れた。

「ハイ」
弟はそう言いながら、アルコールスプレーを傾けてきた。
わたしの手と、彼女の手に

「むり言ってすみません、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、お声かけていただいてありがとうございます」
なんでこんな定型文みたいなことしか言えないんだろう。
そう思いながら、わたしは精一杯の感謝を伝えた。

「わたし、沙理先生の書くものが好きで。Kのインタビューも読んでます。
 うまく言えないんですけど、沙理先生の言葉で、ハッとすることとか、安心することとかたくさんあって…
 これからも応援してます」

彼女は早口で告げて、最後に一度だけ笑って、去っていった。



あとで、Kにメールを送ろう。
あれはKのアドレスだったか、事務所のアドレスだったか、本人に届けばどちらでもいい。
いや、もはや届くかどうかは問題ではないかもしれない。
わたしはKに、話をしたかった。
Kという人に、今の気持ちを聞いて欲しかった。

わたしはKと話してるとき、たのしかったよ。
でも、わたしの片思いだよね、だってKはすごい人だし。なんて思っていたよ。
わたしの本が売れた数と、KのCDが売れた数は全然違う。
そんなことばかり気にしていた。
でもKは、肩書じゃなくて、「わたし」という”人間”をずっと見てくれていて、何かを感じてくれたんだね。

ごめんね、K
雲の上の人だと、思っちゃってた。
ギターを弾いてうたう、「有名人」の、あなたのこと。
今日もね、「有名人のライブがタダならいっか」って、なんかもう、そんな気持ちで来ちゃったんだ。

K、チケットありがとう。
そのことを必ず、君に伝える。



「よかったね」
呆然と立ち尽くすわたしに、弟は言った。

「沙理ちゃんだって、昔はフツウのジョシコーセーだったし、いまだってフツウのオバサンなのにね」
「ばんごはん奢ってあげようと思ったのに。オバサンなんて言われるとなあ、気が削がれるなあ」
「げっ、ごめんって、沙理ちゃん、お姉さん!」

わたしたちの横顔は、ふたりとも制服を着ていた頃と、変わらないんだと思う。
きっと、半袖で走り回っていたあの頃とも。
わたしにはいくつかの肩書がついたかもしれない。大切なものも増えたかもしれない。
弟はいつのまにか、「おとこのひと」になっていた。
煙草も吸うけど、かっぱえびせんも辞めない。

この世界に、わたしたちはいる。
わたしも、弟も、彼女も
そして、Kも。
みんな、生きている。

そんな当たり前のことが、なにやら急に愛しくなった。
繋がっている。
ぜんぶ、この世界は
電車を乗り継いだら、きっと会える世界にいる。

今日もどこかで眠って、どこかで目覚めている。
例外なく、みんなそうなんだ。

「ねえ、ばんごはんはファミレスでいい?」
「えっ? 沙理ちゃん稼いでるんじゃないの? 焼き肉とかさあ、」
「注文制限ナシのファミレス。どう?」
「それはあり!」
わたしたちは、視線を合わせ笑いあった。

さっそく場所を調べてくれる弟の横顔を、静かに見つめた。
この子はもう自分で場所を調べて、手を引かれなくても歩けるようになったのか。
ああ、きっとわたしもそうだ。

スマホを操作する手が止まる。
その手は何度見ても、わたしの知っているものとは違う。
ただ、ほほえみに宿る無垢な輝きを、わたしは知っている。

わたしたちは、おとなになった。
少しだけ大切なものが増えた。
でも、それだけだった。
わたしはわたしのままで、君は君のままで、電車と飛行機を使えば、会えない人ってきっといない。
みんな、この世界を生きている。

「沙理ちゃんが好きなジョナサン、近くにあるよ」






【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
https://www.instagram.com/hiro.pic09/


2022.2.7 加筆修正





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松永ねる
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