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深夜のフィナンシェ

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書いてみた短編小説と、小説っぽいもののまとめマガジンです。
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2022年2月の記事一覧

キッチンのポラリス

そろそろ買い替えかなあ、とぼんやり思っている。 でも、まだ使えるし、いいや。と思う。 でも、そろそろ。 ほんとうに、いい加減にしたほうがいい。 内側の塗装?が剥げているのは気にしたほうがいい。 外側は、まだしも。 18歳のときに買ってもらったことを、わたしは永遠に忘れない。 従姉が、大学進学祝いで買ってくれたのは、やかんだった。 わたしが頼んだ。 進学とは、イコールして上京であり、ひとり暮らしだった。 人生で初めて与えられた、キッチン用品を自分で揃えられるチャンスに、

パティスリーと街

わたしは、吸い込まれるようにそのドアをくぐった。 * 病院へは、バスで行く。 9月から、気づけば半年ほど通っているので、もう慣れた道のりだった。 それでも、最初のころは不安でたまらなかった。 バスはぐんと坂を登るのもよくなかった。ずいぶん遠くまで連れてこられてしまった、という気持ちになる そもそも、具合が悪いから病院に行くんだ。 わたしの具合の悪さのひとつは、思考能力を低下させていた。 ひとりで、あんなに大きな病院に行くのは初めてで、入ったところが2階で、西口にも東口に

花と天気

「雪、たくさん降らないといいですね」 そのひとは、ほほえみながら言った。 「そうですね」とわたしも笑って頷いた。 わたしは、このひとのことを好いていた。とても、好ましく思っている。 もう少し気の利いた言葉が言えればいいのに、いつも笑って頷くばかりだった。 「ご予定とかは大丈夫ですか?」と問われたので、 「引きこもります」とまた笑った。 週末の予定の、なんだか模範解答のひとつみたいになっちゃったけど、うそじゃなかった。 * 「雪、たいしたことなくてよかったですね」 週が

ヘッドフォンナイト

ガムのボトルに手を突っ込んだあと、 少し悩んで、コートに手を伸ばした。 いちばんあたたかなコート。 そうして、深夜の散歩に出掛けた。 * ああ、わたしってばまた夜に歩いている。 昼間だって同じくらいの距離を歩いているのに、最近はなぜだか夜にも歩きたくなってしまう。 30分から1時間のあいだ。5000歩から、多いときに8000歩。 書きたくもなければ、眠りたくもない夜。 何をしたいかわからない。 だから、"どこか"へ向かって歩き出してみる。 それは、何もせずに鬱々とし

コインランドリーとわたし

重たい荷物を抱えて、歩き出すことにした。 もう、後には退けない。 荷物の中身は、洗濯をしたシーツやタオルケットだった。 曇りの午後、16時。 いまから外に干しても乾かないし、そもそもこんなにたくさんのものを干せるスペースはない。 だから、行かなくてはならない。 コインランドリーへ。 * この家のことは、気に入っている。 住んで5年。 もう少し広いところに引っ越したい、とは思うけれど こんなに家賃が安いのに鉄筋造で、独立洗面台があって、エアコンは2台、駅から約10分。