寄稿記事に対する質問等への応答
本記事では、以下の記事に寄せられた感想や質問などに対する応答を掲載しています。応答は原稿を書いてくださった方にお願いしております。(半ギレAroace)
コメント1.
感想などです
まず文章として、アロマンティックに触れることができました。ありがとうございます。私はレズビアンとしてのアイデンティティで生きてきて最近アロマンティックがアイデンティティになりました。なので今までレズビアンが書く文献や異性愛規範を問う文献に親しんできましたが、アロマンチックについて書かれてる文章を読めて嬉しいです。
あとは批判というほどでもないですが気になる点がありましたので、共有させていただきたいです。
まず、≪「レズビアン」と「ヘテロセクシュアル」は同時に存在できないとする人が多いと思います。≫とありましたが、確かに同時に存在され得ると思います。しかし、レズビアンとヘテロセクシュアルを同列に並べるには危険性が高いと思います。なぜなら、レズビアンたちは家父長制や強制的異性愛のナラティブの影響を強く受け続けてるからです。例えばレズビアンだった女性が突然男性と結婚するというストーリーなどによって、レズビアンは常に透明化、無化されてます。なので、レズビアンでヘテロセクシュアルというアイデンティティを持つ方が実際にいることはなんら不思議ではありませんが、≪「レズビアン」と「ヘテロセクシュアル」は同時に存在できる≫と言説として主張するのは困難で、そのためどうしても効果として、「レズビアン」が「ヘテロセクシュアル」の下位に置かれてしまってるように読者としては感じました。
また、最後に政治のお話がありましたが、あの部分はどう解釈すればよいのかあまりわかりませんでした。そもそも、「恋愛」を政治的に解体していく内容かなと思って読んでましたが、あの部分を読むと、恋愛/政治、というように前提として「恋愛」を政治の外ととして、捉えていらっしゃるのかなとも思いました。だとするなら、「恋愛」をイデオロギーとして説明してた前半部分と矛盾しているようにも感じました。また、私には恋愛ポジティブな人ほど「政治」的だと見えますが、そのようなマジョリティではなくあくまでマイノリティにだけ政治性を見いだしてるような印象も受けました。
あとは、惹かれと指向のはなしがあったと思いますが、そこで「指向」は、どういう意味で使われてるのかが理解できませんでした。というか惹かれと指向の違いがよくわかりませんでした。
そして最後に、「a-spec」のアイデンティティ獲得の理由について述べてるなかに「トラウマ」がありましたが、それはa-specへのスティグマを与える記述になるように感じました。もちろんそういう方もいると思いますし、その方を否定する意味ではありません。しかしあくまでa-specの説明としてはa-specへの偏見を強化するように思えます。なぜなら例えば「ヘテロセクシュアル」はトラウマと共に語られることはないからです。トラウマを理由としてヘテロセクシュアルになった方もいると思いますが、「ヘテロセクシュアル」を「トラウマ」と共に語る言説はたぶんありません。a-specに限らず、(特にマイノリティの)アイデンティティをトラウマの結果とする記述は避けるべきではないでしょうか。
以上が私の感想です。批判ばかりになってしまいましたが、現在使われてる性や恋愛についての言葉や認識が普遍的ではないことがよくわかりました。そして、読者を置き去りにしない姿勢にとても感謝してます。なので、感想を書きました。また、あくまで私個人の意見として述べましたし、意味不明な感想になっていましたら申し訳ないです。読んでいただきありがとうございました。
応答1.
ご感想、ご指摘等ありがとうございます!
①「『レズビアン』と『ヘテロセクシュアル』は同時に存在できないとする人が多いと思います。」について
これは、あくまでも具体例だったのですが、この具体例を用いたことは確かに私の不用意であったかもしれません。
例えばパンセクシュアルとAセクシュアルなどとしても言いたいことの中身としては変わらないと思います。(この具体例であっても問題がないと言っているわけではありません。)従来のように「性的指向」が「一つのはずだ」という言説が「2つ以上ある」と考えることを、「矛盾している」「ありえない」と決めつけたり、そもそもその考え方自体が生じないために「一つでないと」と思ったりしてしまう場合があるのではないか、ということで書きました。a-specのコミュニティを見ていても、複数の「性的指向」や「恋愛的指向」のラベリングを同時に使う人も少なくないので、そのようなものを念頭に置いて言いました。
しかし、アイデンティティとして理解しやすいと私が勝手に考えた具体例を対置した結果、読んだ人が「どちらかが優位である」っという解釈につながり兼ねないような書き方をしていたと思われたのであれば申し訳ないです。
他の具体例でも問題ないのであれば、後ほど訂正いたします。また、具体例はわかりやすさのために書いたつもりだったのですが、もし、どのような具体例でも「上下」の判断に繋がりやすいのであれば具体例を省きます。(思う所があれば、またコメントいただけるとありがたいです。)
②「政治」のお話について
「政治」の話は「イデオロギーを解体する」とかことも含めて考えています。が、例えばその「ラディカルさ」を追求するあまり、a-specnやaro-specを主語にして「恋愛をする人/全くしない人」や「恋愛に対して否定的な人/そうでない人」といった語り方がなされることで、内部にあるスペクトラムや恋愛ポジティブな人を抹消しているようなものが見えるな、と私が思ったということです。例えば「aro-specの私」はという主語で述べるのなら問題はないと思いますが、「aro-specの人は」という主語で述べるときに、見落とされている人がいるのではないか、ということです。恋愛自体が政治ではないと考えているわけではなく、だからこそ私は「政治性はある」と言っているわけです。しかし、その後に批判を入れているのは「そうでない人が『政治性』を主張するためにaro-specなわけではないし、第三者が『政治性がある』と価値判断したり政治的主張の道具にすること」へのちょっとした意見です。とはいえ、私自身もどちらかと言うと「恋愛至上主義」や「アマトノーマティビティ」などがその規範に乗らない人を周縁化することを強調するあまり、恋愛そのものの政治性についての考え方が足りなかった点はあったなと思います。「恋愛」の解釈によって、その人がどのようにこれらの規範や「規範的とされている『恋愛』」との距離を見出すのかも常に「政治的」だと私は思います。
③マイノリティだけに政治性を見出しているように見えることについて
私としてはマイノリティだけに政治性と思って書いたつもりはなく、どの点をもってそのようにお考えになったのかが私がわからないので、もし想定していたものと違う答えであったらごめんなさい。例えば規範やイデオロギーに抵抗する時に、「その『規範』に対するポジションにおいてはマイノリティ」であることを主張することが多いのかと思います。「規範」に対する考え方が「マイノリティ」なのか、「規範」によって「マイノリティ」とされている人とか、何が「マイノリティ」になるかは人や論点によってそれぞれだと思います。このような「マイノリティ」が「政治」を語るときの主語になりやすいのかもしれませんが、これは必ずしもマイノリティ/マジョリティでないと「政治」が出来ないことを意味しないと思いますし、マイノリティであることの必然性も無いと私は思います。(個人的にはマイノリティとマジョリティという二項対立自体、そこまで重要なものだとはおもっていません。もちろん、マイノリティだからこそ言えること、マイノリティだから見えるものもあると思いますし、それを「マイノリティ」とされている人の視点から主張することも重要だと思います)。また、抵抗する対象も「規範」だけでは無いかもしれません。とはいえ「ある規範(おそらく多数派であるから「~すべき、~はずだ」といった規範になっていることが多いと思います)」に対抗する場合、「どうして対抗するのか」「どうしてそれによって周縁化されているのか」という観点から述べると、その点においては「マイノリティ性」を強調しているように見えるのかもしれません。そして、これに関しては、今回の発表が「a-specの当事者である私」の視点から述べたものなので「a-spec」と「それを疎外・周縁化するもの」という書き方に偏っていることに由来しているのかもしれません。しかしこれは、a-spec以外の人を疎外・周縁化しないということ意味しているわけではないですし、a-spec以外の人が規範に抵抗できないとか、政治性が無いと言っているわけでも全く無いです。しかし、この発表自体がマジョリティ→マイノリティという一方向の「政治」を強調しすぎであるという点は半ギレAroaceさん側にも指摘された点であり、もしかしたら私の文章にそのように見える点があるのかもしれませんので、もし改善できる点があれば修正したいと思います。
また、恋愛ポジティブに関しても、私が政治性がないと言っているわけではありません。しかし、aro-specコミュニティの中でも「恋愛的な惹かれをしないのに恋愛を望むのは『アマトノーマティビティを内面化しているから』と言う言説などによって、あたかもアマトノーマティビティを支えている」かのような書かれ方がしてしまうことに対して言ったという側面もあります。
そして、ここで「政治」と述べたときには「⑦本当に「惹かれ」だけで「指向」は説明できるのでしょうか?」で述べた「行動で定義する」ような「政治的なAセクシュアルの定義」を意識しているからこのような書き方になっているという点もあります。例えば「恋愛に対して無関心であったり嫌悪する行動を取る人」として定義をしてしまうと、「規範的に他者には惹かれない」が、「恋愛に対して無関心であったり嫌悪する行動をとる人」ではない人やグレイロマンティックを排除してしまうかもしれないということです。もっとも、何が嫌悪や無関心に見えるのかは、相対的であると思いますが。
(そもそも、私は「政治」という言葉をあまり理解しておらず、もしかしたら私の「政治」の使い方がよくないのかもしれません。しかし、生きているだけで政治となりうるとは思いますし、マイノリティとかマジョリティとかは関係なく、政治性が無い人なんていないと思います。)
④「惹かれ」と「指向」の違いについて
「惹かれ」と「指向」が同じように見えるのは(aro-specコミュニティでも、それ以外でも一般的に)「惹かれ」に基づいて「(性的)指向」を説明してきた(つまり、〇〇(ジェンダー等)への「惹かれ」が〇〇への「指向」と言ったように)からだと思います。ここで使ってる「指向」は、日常会話とか、アイデンティティラベルとしての「指向」とかを含みます。しかし、「誰かに惹かれる」ことだけで「指向」が説明できないとしたら、「惹かれ」と「指向」は一致しないかもしれないということです。具体例をあげれば、惹かれとは関係なく行動や欲望などが生じることもあるでしょうし、それによって「指向」を位置づける人もいると思います。また、それ以外にも「惹かれ」と「指向」が異なるものだと考えている人もいるかもしれない、ということです。
⑤トラウマとa-specについて
a-specの人たちに関しては、Awarenessのところに書いた具体例の部分でもトラウマの結果生じると決めつけたり、なにか原因を推測することはおかしいし、それが当事者に対してマイナスの影響を与えたりすることがあると書いたと思いますが、スティグマなどに関してもそうです。
ただ、「トラウマであったり、他の(一般的にはマイナスのものとされうるような)ものが影響してアイデンティティを名乗っている」場合を記述しないことが、そのような人たちの存在を不可視化したり、a-specの健常主義的なものに結びつくかもしれない、と考えたのでこのように「もいる」という書き方をいたしました。この書き方によって確かに「a-spec」はトラウマによってなる人もいるんだ、ということばかりが強調されて独り歩きされることは怖いのですが、書かないことによって存在が無いものにされたりすることも嫌なので書きました。
ヘテロについてそのようなかかれ方がなされないのは、「強制的異性愛」のように、最初から異性愛である前提があるからであると思います。「性的指向」を問い直すことによって、「誰もが生まれながらにして(Alloで)ヘテロである」という前提もなくなると良いなと思っています。
読んでいただき、そして私自身の配慮が足りなかった部分などについて、ご指摘いただきありがとうございました。私自身も改めて考えるきっかけになったと思います。
こちらこそ、あまり難しい文章を読んだり、政治のような難しい概念についての知識がなかったりするので、答えになていないような回答であったら申し訳ないです。そして、これはあくまでも私個人の意見であり、同じように考えるように押し付けるものでもありませんし、aro-specを代表して言っているわけでもありません。また、半ギレAroaceさんの見解と全ての点で必ずしも一致しているわけでもありません。
もし何かれば、またご指摘・ご感想などをいただけるとありがたいです。
コメント2.
質問をした者です。返答ありがとうございました。返答に対してです。
まず、レズビアンとヘテロセクシュアルを同列に語ること、そしてトラウマと共にアイデンティティを語ることでのスティグマの影響についてです。私はどちらも「言説」に着目してました。ただの具体的であることや、実際に存在するから書くというのはよくわかります。ただ、こちらの文章が「言説」として、既存の規範や言説との力関係などの効果によって、どう響くのか、そして響いた結果を心配してあのような意見を書きました。なので、読者として、と書いた者として、何を重要視し、また、書いた者として、何を残したいか、伝えたいかはもちろん違うと思います。そして私は、読者として、あの文章が響いた結果の印象を書いたまでです。もちろん読者に寄せる必要もないと思います。恋愛と政治のはなしはなんとなく、私の意見もあまり伝えられなかったし、何を伝えたいかを読み取ることもできなかったなーと反省してます。ただ、なんとなく主語が誰かわからない印象がありました。つまりどの視点から語ってるかが曖昧な感じです。それは、私がどのような文章を求めてたかにもよると思いますが、a-specの視点でがっつり語る文章を求めてたからそう感じたのかもしれません。「恋愛ポジティブな人を抹消しているようなものが見える」とおっしゃってましたが、私はその配慮がない文章をただ読みたかっただけだと思います。つまり、それは私が求めてたものと、書く側が何を伝えたいかが単に一致してなかっただけだと思います。つまり、私の問題です。「マイノリティにのみ政治性を見いだしてる」というのはa-specだけを政治的に語ってるようにみえたという意味でした。政治的に語るとは、「a-specだけ語られてる」と感じたという意味です。例えば、「恋愛ポジティブな人」の「恋愛ポジティブ」については語らないのかな?と思いました。そういう意味でマイノリティ/マジョリティを使いました。マジョリティによって語られてきたa-specがa-specの視点からマジョリティを語り直すのではなく、あくまでマジョリティに語られてきた延長の文脈での文章に見えました(全体的に)。マジョリティがa-specを語ってきたように、マジョリティの透明化・非政治的のもとで、a-specのみが有徴的・政治的に「語られてる」と感じました。「語られてる側」であるa-specが語りなおすときにマジョリティ、マイノリティという視点はあるべきだし、その視点を維持することが自動的に「二項対立」として解釈され・落としこまれることにこそ問題があるように私は感じます。以上がご意見を頂いて考えたことです。返答、考察して頂いてありがとうございました。
応答2.
私側の事情でコメントの掲載及び返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
大変丁寧に書いていただき、新たな視点が得られ、とても勉強になりました。
配慮が至らなかった点や、もっと配慮すべき点を色々考えさせられました。ありがとうございます。