KOJIKI<船出⑥>
少し時間が経ってしまいました。
さておさらいです。神日本磐余彦尊一行(神武天皇たち)はひとまず退いて弱そうに見せ、神々を祭り、日の神の神威を背に敵を倒そうと、和歌山の熊野灘の方へ傷を負った五瀬命を連れ海へと逃げました。ところが五瀬命は命を落としてしまいます。
また三兄の御毛沼命は暴風雨を熊野灘で受け、苦しい思いをしました。「自分の母と伯母は海神なのに、どうして海は荒れて溺れさせるのだ」
という嘆きの言葉を伝えています。二番目の兄の稲飯命もお溺れ死んでしまい、海神の流れを引くものが、皆、海に船も壊され苦しむ・・・。これはもう、自分も死んだも同然だ・・・。と、常世に行ってしまわれたそうです。高千穂を離れてしまったばかりに、・・・。と御毛沼命の故郷を思いが通じたのでしょうか。常世国に渡った御毛沼命が日向に帰りました。その頃、高千穂には「鬼八」という悪神がいて、人々を苦しめていたので、御毛沼命がこれを退治し高千穂の地を治めたという言い伝えが今もあります。
御毛沼命が祀られている神社。それが高千穂神社。高千穂神社のHPからのお写真ですが、こちらには「主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神をして広く信仰を集めています。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称です。十社大明神は御毛沼命はじめとする10柱を祀っています。」と説明があります。
さて、神武天皇は進路を迂回してただ一人の神子として熊野に入りました。めっちゃ、遠回り・・・。熊野の地、イメージとして熊野古道を思い出してみてください。
こちらは熊野古道のHPから。まぁ、見通しはよくありません。さて、この熊野へ神武天皇一行が入ったときに、突然大きな熊が現れました。
「あ!あれはなんだ???」と声をあげるや否や、熊は姿を藪の中に消してしまいましたが、神武天皇、そして兵士たちも気を失い、失神してその場に倒れてしまいました。そこへ熊野の高倉下(タカクラジ)というものが剣を持ってくると、神武天皇は蘇生します。そして神武天皇が剣を受け取ると、軍勢も皆目を覚まし、荒ぶる神たちは、みな自然に切り倒されました。
さて、この高倉下(タカクラジ)とは、物部氏(もののべし)や穂積氏(ほずみし)[鈴木氏]の祖神(おやがみ)であり、櫛玉饒速日命(クシタマニギハヤヒノミコト)の子と言われています。KOJIKI<船出④>で登場した天磐船(あまのいわふね)に乗って天降(あまくだ)りのお話を思い出してください。
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)(長髄彦)の妹、登美夜毘売(トミヤビメ)を娶(めと)り、長髄彦から君と仰がれ仕えられました。因(ちな)みに佐士布都神・布都御魂の鎮座する石上神宮<奈良県天理市布留町>は物部氏の信仰が厚く氏神となっています。
石上神宮のHPからです。この神宮に入ると一の鳥居で感じた空気感がさらに神聖なものであると感じます。御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があり、実際に明治7年8月に当時の大宮司 が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。
次回は熊野の不思議です。と、いうのも古事記では熊野を進んだ神武一行は「熊を見かけて失神した」となっていますが、日本書紀では熊野の道を進むと神がいて「その霊気によって人々は皆意識を失ってしまいました」と記述があります。
古代熊野の役割はなんだったのか。弘法大師も熊野と吉野を経由して高野山を開山しているため古代から現代の世にも人々にとっても神聖な場所であった熊野について次回はちょっと触れて行きたいと思います。